河和港から河和駅までは無料の送迎バスが出ている。ありがたくそれに乗せて頂く。河和駅には11時半ごろ着いた。空港見物と船旅を楽しんでも、まだ一日の半分だ。なんと充実した日だろう。
河和駅は鉄骨の立派な駅で、スーパーマーケットが併設されていた。喫茶店があるかもしれないけれど、とりあえず腹は減っていない。朝食をたっぷり摂ったし、もともと電車に乗っていれば食欲ものどの渇きも忘れてしまう身体である。私にとって、もっともふさわしいダイエットは、日がな一日、電車に乗ることだと思っている。まあ、それなりに資金も必要だし、時間を作る方も難しいことではある。
時刻表を調べると、都合の良いことに11時40分発の特急が出る。船旅でたっぷり観光気分を楽しんだところで、ここはう電車に乗ろうと思う。河和駅について事前に調べたところ、あの戸塚ヨットスクールの最寄り駅だった。教育論には興味がないし、見物に行くところでもない。
河和駅から特急で。
河和駅構内はホーム2面、線路が4本もあった。観光の拠点らしい構えである。観光シーズンならズラリと電車が並ぶのだろう。しかし平日の昼間は閑散としていて、片方のホームに2本の電車が停まっているだけだ。今度の電車は1番ホームの特急で、展望車つきのパノラマスーパーだった。最後尾に展望車、その隣の車両までが特別車。特別車はJRでいうとグリーン車指定席に当たる。特急というからには名古屋へ直通する列車だ。名鉄は律儀な会社で、あらゆる支線と名古屋を直通させる方針である。それが仇になって、名古屋から初めて名鉄に乗る人は大いに迷う。しかし、自分に必要な列車さえ覚えてしまえば便利である。
私のきっぷ「まるのり1Day」は、日中に限り特別車の空席に座って良いことになっている。しかし、後ろ向きではつまらないし、すぐに降りるので、その権利は行使しなかった。私はホームの先まで歩き、先頭車の運転台の後ろに立った。客室はガラガラに空いており、好きな位置で特別車よりくつろげそうだ。しかし今はいけない。実は、船に揺られている間は眠くて仕方なかった。新規乗車路線だし、ここはしっかり目を開けて景色を見たい。だからあえて立っている。まるで修行だ。
森に包まれた路。
しかし、この修行は苦行ではなかった。電車は丘に沿って進み、森の中を抜けていく。次の河和口までは単線だから、緑に包まれて走っている感覚がある。なるほど。これは逆方向のパノラマスーパーに乗って、展望車の景色を楽しみたい。私は名古屋で「まるのり1Day」チケットを買う最後の機会、と思ったけれど、こういう景色を見ると、やっぱりもう一度乗ってみたい。パノラマ車両がなくなる前に再訪したい。
河和口で下り列車が待っていた。
河和口駅からは複線になる。カーブも緩やかになり、とてもよく整った線路である。風景は建物が多くなった。水田の広い部分と新しい住宅の部分があって、いかにも新興住宅地という雰囲気である。知多新線とは違い、こちらは通勤需要もありそうだ。そんなことを思っていたら、左から単線の線路が合流してきた。ああ、さっきはあっちに乗ったな、と思う。もう富貴駅である。これで知多半島めぐりの旅は終わった。
スピードを出せそうな複線区間。
私はそのまま電車に乗り、次の知多武豊で降りた。名鉄の旅を中断して、ここからJRの支線に乗る。武豊線といって、この近くの駅から東海道線の大府までを結ぶローカル線がある。駅が少し離れているので、この乗り継ぎは事前によく調べた。道のりは600メートル。歩行速度が時速4キロだとすると、1キロは徒歩15分。600メートルなら8分だろうか。知多武豊駅着は11時49分だった。武豊線の次の列車は12時ちょうどである。11分。いや、もう10分。ギリギリである。なにしろ武豊線は1時間に2本しかない。それを逃せば30分待ちである。急ごう。
富貴までほぼまっすぐ。
裏口のような寂しい出口を出て、細道を線路に沿うように進み、広い通りを右折する。このまま真っ直ぐ歩き、突き当たって左に折れ、また真っ直ぐ歩けば武豊駅のはずだ。単純な道順でも、気がせいていると遠い。ようやく突き当たりに着いて左を向くと駅らしき建物が見えた。安心するよりも、あの距離なら走らねばならぬと覚悟した。残り2分である。私の旅の場合、ここは30分待ってでも、駅前を散策した方が有意義かもしれぬ。武豊線の成り立ちを思えば、港への廃線跡めぐりもまた楽しかろう。しかし、なにかが気持ちを焦らせてしまう。もっと乗りたい。日暮れまでに帰りたい。その気持ちがつい足を速めてしまう。
慌てて撮影した武豊駅。
電車に駆け込み、涼しい車内でボックスシートを独占できた。靴を脱いで足を投げ出し、深い呼吸を繰り返した。息が整った頃に列車が動き出す。そしてやっと、これが電車ではなくディーゼルカーであると気づいた。最近のディーゼルカーは小綺麗で、デザインが電車にそっくりだ。冷房も効いている。汗が引くと、やっと汽車旅を再開した気分だ。
慌てて撮影した武豊駅舎の写真を見て、傍らにある銅像に気づく。それは自分の命と引き替えに多くの人々を災害から救った人物だったらしい。この旅から帰って何日も経ってからそれを知り、なぜ顔を見ておかなかったのかと後悔した。こういう旅をする者は、その人生でも何かを見落として生きているような気がする。いっそ知らない方が幸せか。
(注)列車の時刻は乗車当時(2008年9月)のダイヤです。
-…つづく
第286回からの行程図
286koutei.jpg