1000円のランチタイムビュッフェと展望デッキの眺めに満足。ここから空へ行きたいと思いつつ、名鉄の駅に戻る。やはり立派な駅だと思う。飛行機に乗るときと同じくらい気分が高まる。ホームには赤と銀色の特急電車が停まっていた。名鉄の新時代特急電車2200系である。前面デザインは、なんとなく海外旅行用スーツケースの合わせ目に似ている。
空港の帰りは新型特急で。
名鉄の特急といえばパノラマカーだった。しかし、中部国際空港の乗り入れに際して、名鉄は空港アクセス重視へと大きく梶を切った。空港行きの特急列車用に新型車両を作ったけれど、そこにパノラマ席はなく、背広姿のお客さんが似合いそうなスタイルにした。それが2000系と2200系だ。2000系は全車特別車で青と銀の塗装、2200系は一部特別車で赤と銀の塗装である。2200系は6両編成で、1号車と2号車が特別車。他の4両が一般車。名鉄には特急料金はなく、"特別車"という指定席だけ料金がかかる。特急列車でも一般車に乗る場合は乗車券のみだ。
一般車はセミクロスシート。
一般席でも一部はクロスシートになっているし、窓も大きくて快適だ。窓ガラスに色が付いていることもあるけれど、行きに乗った急行電車とは景色が違って見える。07時40分に中部国際空港駅を出発した特急は、約20分で太田川着。特急列車はこのまま名古屋へ向かう。しかし私はここで降りる。知多半島の名鉄路線を踏破するためである。2200系はここで先頭に2両を増結するそうだ。夕方の通勤ラッシュ対応である。
空港を振り返る。
階段を上がって降りて、岬方面のホームに立つ。さっきはちょっと停車するだけで観察できなかったけれど、よく見ると隣の敷地に駅を作っている。どうやら2面4線で、現在の太田川駅と同じ構成だ。高架化を進めているはずが、なぜか地平に作っている。作り上げてから巨大なジャッキで持ち上げるつもりか。あるいはアレは仮駅で、向こうを使っている間に、こちらで本番用の高架駅を作るつもりだろうか。
途中の知多半田行き各駅停車を見送って、次の内海行き急行に乗った。複線の平面分岐を今度は左へ。高架化したら、分岐器がたくさんある風景もなくなるだろう。分岐器がいっぱいあると、なぜか「豪華だな」と思う。ずいぶん前に鉄道模型に手を出したからだろうか。鉄道模型の分岐器は、コントローラも含めると割高だ。いろいろと欲しい部品が増えてお金がかかるから、とうとう私は鉄道模型自体を封印してしまった。足腰が立つまでは本物に乗ろう。動けなくなったら模型をやろう。でも、そのときは細かい物を見づらいかもしれないが。
太田川で内海行きに乗り換え。
さて、太田川から分岐したこの線路は河和線である。線路はすぐに高架に上がり、電車はカーブの少ない直線を快走する。高架がふいに切り通しになった。半島の先端に行くほど、土地の高低が変化する。森のようなところがあって、短いトンネルが造られている。そこを過ぎると場面が変わる。いままでは住宅街の中だった。ここからは田畑が広がる。あっ、いま、パノラマカーとすれ違った。4両編成。先頭車の行先表示は「金山」だけだった。各駅停車で運行しているらしい。
運転台後ろのかぶりつきで景色を眺めている。知多半田駅が見えてた。さっき見送った各駅停車が隣のホームに停まっている。対向車線には2200系特急電車がいた。名古屋方面に行く列車だ。途中でパノラマカーを追い越すだろう。新旧の特急電車が追い越しを演じる場面も見てみたい。
もうすぐ引退するパノラマカー。
景色はふたたび住宅地になる。いつまでも緑の農村ならパノラマカーでもいいけれど、線路際に住宅が迫ってくると、パノラマの景色は騒がしくなるだろう。線路際の家だって、パノラマカーの客と目を合わせたいとは思わないだろう。そうなると、パノラマカーを作り続けていいのか、という話も出ると思う。小田急も一時期、展望席のない30000形という特急電車を作った時期がある。しかしその次に新しいロマンスカーを作った。さて、名鉄はパノラマカーを新製するだろうか。
上り線側だけ待避構造になっている駅が見えた。富貴駅である。いや、待避構造ではなかった。この駅の先から知多新線が分岐する知多新線用の側線だ。私が乗っている電車は共通の下り線ホームに停まり、発車すると分岐器をわたって右に進路を変える。そしてほぼ90度に向きを変えた。畑とため池、森、畑とため池。遠くに住宅が見えるけれど、線路は宅地から離れた場所を走っている。名鉄がこの辺りまで線路を延ばすうちに、この地域の交通の主役は道路になってしまったか。
富貴から知多新線に乗り入れ。
名鉄知多新線は1974年に富貴駅から隣の上野間駅までが開通した。その後、1975年に知多奥田駅、1976年に野間駅とひと駅ずつ延伸し、1980年に内海駅に達して全通したという。世相はというと、1974年にオイルショックがあったものの、トヨタカローラが量産車で世界一の販売を記録している。東京ではセブンイレブン1号店が開業した。これは小型トラックによる流通が盛んになる端緒とは言えないか。1977年には徳大寺有恒の「間違いだらけのクルマ選び」がベストセラーとなっている。
たしかにクルマに力がある時代だった。しかし「鉄道が弱い」というわけでもなかったはずだ。ほぼ同じ時期、東急田園都市線は少しずつ西に進み、不動産開発と合わせて沿線を大発展させている。そのおかげで、現在は10両編成、それでもラッシュ時は飽和状態だ。なぜこちらは、と思う。知多新線はいくつもトンネルを掘りつつ既存の集落を結んだ。いっぽう、田園都市線は何もないところに線路を敷いた。しがらみのないほうが物事ははかどると言うことだろうか。いや、知多新線は名古屋のベッドタウン形成を目的としていなかった、とすればどうか。内海から名鉄名古屋までは1時間以上かかる。通勤にはちょっと遠い。岬へ行くし海にも近いから、比較すべきは京浜急行の三浦半島かもしれない。
森の中を貫いていく 。
電車は山の中を駆け抜け、いくつかトンネルをくぐり抜けて、高架の内海駅に到着した。全線単線の終着駅にしては大きい構えだ。ホーム2面、線路4本である。もっとたくさん列車を走らせよう、という意図があったと見える。あるいはこの先、豊浜港や半島の先端まで延ばそうという野心があったかもしれない。そういえば、全線単線とはいえ、複線化する用地も確保されたところがあった。景色もいいし線路のカーブも緩やかだ。もっと特急列車を颯爽と走らせたい路線である。山とトンネルの連続なら、まさにパノラマカーに似合う景色ではないか。
空港路線が軌道に乗り、名鉄が観光開発に力を入れたら、この路線に新しいパノラマカーが復活するだろうか。そんな想像はとても楽しい。
豪華な内海駅。
(注)列車の時刻は乗車当時(2008年9月)のダイヤです。
-…つづく
第286回からの行程図
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