人は一晩のうちに浅い眠りと深い眠りを約2時間サイクルで繰り返しているそうだ。寝台列車で目覚めてしまうとしたら、おそらく浅い眠りのときに列車が揺れたり、駅に停車した場合だろう。私は尾道に停車したことを覚えていて、それが定刻なら23時48分だった。下関から4時間20分ほど眠ったことになる。次の目覚めは5時少し前だった。件の男性がガサゴソと荷造りをしていた。起こして申し訳ない、という感じで挨拶された。「いえ、たっぷり寝ましたから」と応える。合計9時間近く眠った。もう充分だ。名古屋着は05時16分。お向かいさんが降りた。
誰?
「はやぶさ」の東京駅着は09時58分である。あと4時間半ほどだ。意外と速いなと思う。新幹線のこだま号なら3時間ほどだが、在来線の客車列車で4時間半は健闘といえる。それにしても4時間半である。ネットワークにアクセスできないし、パソコンも持っていない。つまり仕事はできない。この時間帯なら誰かが携帯電話を鳴らすこともない。睡眠たっぷりの早起きで、もう一度眠ってみようかと横になったけれど、頭は冴えきっている。上下2段の寝台が向かい合わた空間には私だけ。こんな時に限って、おしゃべり好きのお向かいさんはいない。世間から隔絶された、隠れ家に居るような贅沢な時間が始まった。
こんな時間はめったにない。何もできないし、何もする必要がないから、何もしないでぼんやりしようと思う。結局、列車の中でもっとも相応しい時間の過ごし方は景色を眺めることだ。都市の景色は単調ではあるけれど、それは絵画ではなく、生活の情景だ。眠っている街がもぞもぞと動き出す。早朝から走っているトラック、犬の散歩をする老人。列車は川を渡り、貨物列車とすれ違う。始発列車が扉を開けている駅。そこには人々の暮らしがあり、刻々と景色が変わっていく。
本日も晴天なり。
思い返すと、上り東京行きの寝台特急に乗った経験は少ない。初めて乗った寝台特急は30年前。ブルートレインブームの頃だった。「さくら」で長崎へ行き、帰りは「みずほ」に乗った。小学5年生のときだ。同級生のオガワ君と一緒で、彼の父親が付き添いだった。行きも帰りもA寝台だった。みずほのA寝台は熊本編成だけで、長崎編成はB寝台のみ。鳥栖で併合してから席を移動したことも覚えている。A寝台しかチケットが取れなかったというけれど、あの頃、2段式開放A寝台の上段は7,000円、下段は8,000円。B寝台は3,500円だったような気がする。家はあまり裕福ではなかったし、よく許してくれたなと思う。
その後、高校時代にアルバイトで貯めたお金で旅に出て以降は、もっぱらB寝台ばかり乗っていた。東京発西鹿児島行きの「はやぶさ」では、相席になったお兄さんに親切にしていただいた。彼とは今も年賀状の交換をしている。八甲田で青森へ行き、青函連絡船に乗り継いだこともある。それから20年後に私は旅を再開し、下り「北斗星」で札幌へ。「銀河」で大阪へ、「出雲」で山陰へ、京都発の「あかつき」で長崎へ。どれも下り列車だ。そうか、上りの寝台特急は30年ぶりの体験か。オガワ君とは小学校卒業後に疎遠になり、付き添ってくれた彼の父親も他界したと聞いた。あれだけ世話になったのに、墓参りに行っていないと反省する。
浜名湖を渡る。
いくつも寝台特急に乗っていて「北斗星」と「はやぶさ」以外はすべて廃止されていることに、時代の流れを感じざるを得ない。この「はやぶさ」は来年3月に廃止されるというし、「北斗星」も東北新幹線や北海道新幹線の開業によって消えてしまうかもしれない。そうなると、上り寝台特急の、こんなにのんびりとした時間は二度と経験できないような気がする。寝台特急ならではの姿勢で過ごそうと、もう一度寝転がってみる。頭上の窓から晴れた空が見えた。白くて丸い雲が一列に並んでいる。夏の青空と白い雲。この景色は忘れないようにしたい。
「富士」と「はやぶさ」が廃止されると、残る寝台特急は「カシオペア」「北斗星」「トワイライトエクスプレス」「日本海」「あけぼの」「北陸」、そして電車寝台の「サンライズ出雲」「サンライズ瀬戸」である。電車寝台急行のきたぐにもある。カシオペアとサンライズ以外は、ブルートレインブームの頃に作られた車両だ。30年前の客車がまだ走っていて、おそらく、その寿命と共に列車も消えていくのだろう。「北斗星」に10年前に乗ったとき、すでに車体は波を打ったように歪んでいて、扉の隅にはサビが浮いていた。あの客車がまだ走っていて、新車に置き換えられる気配もない。
茶畑の緑。
身体を起こして、夏の朝の風景を眺めた。さっきまで水田が多かったけれど、いまは茶畑が目立っている。静岡県に入ったのだな、と思う。浜名湖を見たときに静岡だと理解していたけれど、茶畑を見てやっと納得した。一歩ずつ着実に目的地に向かう。そういう感覚は、飛行機や新幹線では得にくいものだ。大井川を渡り、少しずつ富士山が見え隠れする。それは雲に隠れていたけれど、沼津あたりで山頂までの姿を見せてくれた。熱海から先、右の車窓は海。行きの「富士」のときは夜だった。そうだ、あの時に一緒に暗闇を見つめた子はタイシ君と言ったっけ。たった3日前のことが遠い昔に感じられる。
西湘パイパス越しの海の風景が終わると、気分は少しずつ現実に戻されていく。車窓は住宅地になり、緑色が減る。列車は太陽に照りつけられた都会へ進入した。横浜駅に着くと、もう帰ってきちゃったな、と思う。東京着まであと30分ほどだ。荷物を整えて、どこか気持ちが忙しくなっていく。ああそうだ。今日の夜には仕事の約束があるんだな。そこに気がつくと、もう旅も終わり。気持ちが日常にスイッチする。
湘南の青い海。
定刻に東京着。ホームに出ると東京の蒸し暑さに包まれる。噴出す汗を拭いつつ、旅の名残を惜しむように、先頭車に向かって歩いた。下関からこの列車を牽いて来た機関車を見てから帰りたい。そこには青いくさび形の機関車がいた。EF66という、国鉄末期の機関車である。あとで写真を整理すると、行きの「富士」を牽いた機関車と同じ47号機だった。このときの私はそれに気付かず、お疲れ様、とつぶやいていた。
通勤電車で家路へ。昼間の都会の電車は活気に満ち溢れ、一日の始まりを自覚させてくれる。そういえば、いままでの旅の終わりは最終便の飛行機や、夜に到着する新幹線ばかりだった。疲れた身体を引きずって、なんとか家にたどり着く。そのけだるさも悪くない。しかし、夜行列車で朝に帰ると、すっかり体力を回復して、新しい日常に放り込まれる。そしてなぜか足取りが軽い。早朝からの贅沢な時間は、日常を受け入れるために必要なチカラを与えてくれたようだった。
東京駅に到着。
第259回から第283回の行程図
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2008年8月4-6日の新規乗車線区
JR:120.2Km
私鉄: 76.5Km
累計乗車線区(達成率)
JR(JNR):17,574.6Km (77.93%)
私鉄: 4,909.6Km (71.49%)
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