約一年前に発生した新潟県中越沖地震により、鉄道も大きな被害を受けた。信越本線の柿崎-柏崎間が土砂崩れと液状化による路盤損傷で不通となった。とくに青海川駅の被害は大きく、崖が崩れて土砂で埋まり、基礎も壊れたという。復旧は約2か月を要し、運行再開後も災害再発防止工事に半年かかった。

青海川駅を通過。
その青海川駅を、『くびきの3号』は10時35分頃に通過した。青海川駅は日本で最も海に近い駅のひとつに挙げられる。ホームからの眺望の良さ、とくに日本海に沈む夕陽の名所として知られている。ドラマのロケ地としても話題になったらしい。海水浴場が近く、青海川駅周辺の海岸も賑わっているけれど、『くびきの3号』は気にしないようである。この列車の目的は観光輸送ではなく、直江津-長岡-新潟の速達が目的だからであろう。景色がよくても人口が少ない駅には停まらないということか。新駅舎完成のニュースは復興の象徴のように報じられ、立ち止まって見たいと思っていたのだが。
もうすこし海を、という瞬間にトンネルに入り、抜けると再び海沿いを走る。海水浴場が続く。美女の水着姿を愛でようと思っていたけれど、人々の姿はマッチ棒より小さく、どんどん車窓を流れて行く。汽車旅の景色には"流れ行く車窓"と"立ち止まるべき風景"の2種類があって、どちらに重きをおくかで旅の印象は変わってくる。両方の利を得ようと、シャッター速度を高めて写真を撮ってみた。奇しくも、こちらを眺める二人連れの写真が撮れた。まるで時を止めたような風景で良い雰囲気だった。二人に差し上げたいが、連絡先を知るすべが無い。あちらとこちら、まったく異なる空間に起きた奇跡である。

一瞬の偶然。
マリンリゾートとして開発された鯨波付近を過ぎると、列車は海岸から離れていく。海沿いはホテルや港、住宅などが並ぶ好立地で、線路は人の住処を遠慮しているようでもある。そして『くびきの3号』は柏崎駅に停車した。人口9万人の柏崎市の中心で、東京電力の原子力発電所がある町としても知られている。新潟県中越沖地震でこの発電所が停止したため、首都圏は電力危機である。クーラーなしでは夏を越せない私は、テレビの電力予報を見てハラハラしたものだ。しかし、柏崎の人々は、故障したと報じられる原発を見ながら暮らしているわけで、その緊張感は私の比ではないだろう。
その柏崎駅からは越後線が分岐している。海沿いに新潟へ向かう路線だ。こちらも未踏の路線だから、あとで乗りに来るつもりである。『くびきの3号』で長岡へ行き、折り返して戻ってくるつもりだ。『くびきの3号』信越線をひた走る。市街地を過ぎれば水田が拡がる。日本有数の米どころだ。空の青、山の深緑、そして水田の緑。どれも強い日差しの賜物である。こんな日は外に出たくない。ずっと冷房の効いた電車に乗っていたい。
『くびきの3号』は来迎寺を通過した。停車してくれないのでけじめがないけれど、これで信越本線の未乗区間を踏破したことになる。かつて、この来迎寺駅からは魚沼線というローカル線が分岐しており、25年前の私はそれに乗るために信越線を訪れている。あのとき高校生だった私は、魚沼が米のブランドだったことをたぶん知らない。だから何も食べずに引き返したと思う。なにしろ記憶が乏しい。住宅か田畑の風景だったのだろう。

米どころを行く。
長岡から柏崎への戻り道は昼食に当てるつもりだった。「もぉ~舞っちゃう」という名の牛丼の弁当を見つけて、車内で食べようと思ったら、意外にも大勢の乗客がいる。4人がけボックスシートを占領できず、向かいにお客が座ったので食事は延期する。どうせ柏崎でたっぷり時間があるのだ。そこでゆっくり食べればいい。今度は各駅停車だから来迎寺に停車した。車窓から魚沼線の路盤跡を見つけて納得する。信越本線、完乗だ。
信越本線と越後線は接続が難しく、何度も日程を練り直したが、どうしてもどこかで2時間程度の待ち時間ができてしまう。通勤時間帯を外しているために、列車の本数が極端に少ない。検討した結果、柏崎で2時間半を過ごすことにした。東京に電気を送るために原子力発電所を置いてくれた町である。感謝の気持ちでじっくり歩いてみたい。
ところがこの柏崎は旅人に優しくなかった。酷暑は柏崎のせいではないとしても、やっとの事で海岸にたどり着けば、席料を払わなければ砂浜に入れないという看板がある。海水浴客が多い時期だから仕方ないと思いつつ、アクアパークという立派な建物に行けばそこも閉鎖中。いかにもレジャー施設なのに、夏休み初日の祭日に閉館とはどういうことか。妙だな、とこのあたりから疑問に思いつつ、建物の外の庭で駅弁を食べる。暑くて泣きたい。しかも弁当には暖める仕掛けが付いている。うまくて暑くて熱くて、である。自分が何をしているのかわからなくなりそうだ。しかし食い意地が張っているので完食した。

柏崎、海には入れない。
腹ごなしに隣接の海岸公園に入った。ところがここもなにやら工事中で、丘を越えて海へ向かう道は立ち入り禁止。工事を示す黒と黄色のロープが張られている。別の道を探そうとしたところ同じ状態。それなら道なきところ、林からと侵入を試みれば、そこにもロープが張られている。どうあしても海に近づけさせないつもりらしい。こちらとしては海も見たいが、ふだん見られない原子力発電所も眺めたいのである。そこで気がついた。このあたり、原子力発電所があるために厳しく規制されているのだ。つまり、海沿いの原子力発電所は、何らかの事情で外観を見せられない状態なのだ、と。
そういうことなら秘密を暴いてみたい。これでもフリーライターのはしくれである。こういう場合、ドラマや映画の主人公がフリーライターなら、陰謀の証拠を見つけ、悪役たちをバッタバッタと倒しつつ、敵陣の奥に隠された美女を救出するものである。しかし、噴き出す汗と照りつける太陽には抗えなかった。もういいやぁ。映画は涼しい映画館で見るべきだ。いまはとにかく涼める場所を探そうと歩き出す。児童館のような建物があって、中に入ればとても涼しい。しかし、物騒な世の中だから警戒されて追い出されるかもしれない。そこでまずは詰め所に行き、「暑くて死にそうだ。ちょっと休ませてほしい」と懇願する。美しい女性職員が応対してくれて、自由にしていいと言ってくれた。室内では二組ほどの親子が遊んでいる。ここは全天候型の公園だろうか。原子力発電所を受け入れると、様々な補助金や優遇政策で潤うと聞いたことがある。そんなことを考えると、この施設も陰謀の香りがする。美しい女性職員も、実は悪の手先ではないか。

暑くて熱い牛丼弁当。
でも、そんなことはもうどうでも良くなった。この施設に市街地循環バスが立ち寄ることがわかったので、帰りは涼しいバスで駅に戻る。そのバスがよそ者を選別し、どこかへ連れ去ってしまうかもしれない。そうなったらそのときだ。せいぜい暴れ回って、どさくさに紛れて美女を連れ出してやろう……と思っているうちに柏崎駅に着いた。駅は涼しい。しばらく待合室にいたら、ようやく落ち着いてきた。越後線の発車10分前、逃げ出す前にはっきりさせておこうと観光案内所に行く。海岸公園には入れないのはなぜか、マリンパークが閉鎖されているのはなぜか。海岸が有料なのは……どうでもいいが。
「復旧工事なんですよ」と案内所の美女が言った。どうして美女ばかりなのだ。これが新潟か。新潟美人なのか。悪の手先がここにもいるのか。「復旧工事だって?」「ええ。砂浜はなんとか海開きに間に合わせたのですが、海岸沿いは昨年の地震で液状化してしまいました。その工事が続いています。マリンパークの被害も大きくて、外から見るとわかりませんが、内部がめちゃめちゃになってしまいまして……」。

海岸公園は陰謀の香り。
昨年の中越沖地震は私の想像以上に町を破壊し尽くしていた。私はお気楽に、青海川駅に駅舎ができたから、鉄道が復旧したから元通りだ、と思っていた。しかし違うのだ。この町はまだ傷だらけで、そんなことも知らずに私はのんきに訪れ、勝手に暑がり、勝手に憤り、勝手に妄想をふくらませていた。炎天下の柏崎で、まるでドン・キホーテを演じていたというわけだ。私は文句を言うような口調で質問したことを大いに恥じた。
-…つづく
第252回~の行程図
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