大分名物といえば温泉、かぼす、どんこ、鳥天などがあるけれど、乗り物好きとしてはホバークラフトがある。ホバークラフトは海上を浮上滑空する高速船で、かつては本州と四国を結ぶ連絡船でも活躍した。しかし、現在は大分市街と大分空港を結ぶ航路が日本唯一の定期旅客路線である。日本唯一どころか世界的にも珍しい。ホバークラフトは主に軍事用。上陸作戦兵器として使われており、旅客航路自体が希少な存在だ。イギリス、マカオ、米国の国定公園、ロシアのバイカル湖など、数えるほどしか旅客船はない。アメリカとロシアは観光用なので、実用航路としても大分のホバークラフトは珍しいといえる。大分県は観光素材として、もっとホバークラフトを宣伝しても良さそうなものだ。
大分駅からホーバーのりばまではバス連絡。
大分ではホバークラフトではなく、"ホーバー"と伸ばして発音する。大分駅前から『ホーバーのりば』行きのバスに乗った。他の路線バスよりも小さな車体だ。しかしホーバー乗客専用と言うわけでもなく、一般の路線バスのように途中のバス停にも停車する。ただし乗客は私のほかに1名で、途中のバス停での乗降はなかった。ホーバーのりばまでは約15分。大通りから離れ、団地の駐車場のような地区の突き当たりがホーバーのりばだ。バスの乗客は少なかったけれど、駐車場はいっぱいだ。他に送迎車やタクシーも見かけた。待合室はかなり混んでいる。
大分市街から大分空港まではリムジンバスもある。しかし、大分空港は国東半島の端にあり、道路は別府湾に沿って迂回する。バスの所要時間は約1時間もかかり、料金は1500円。対するホーバークラフトは別府湾を一直線で結ぶ。所要時間は25分で、連絡バスを含めると約40分。運賃は片道2980円でバスの倍である。有効期間なしの4枚回数券を使うと1回当たり2400円。20分しか短縮されない割には高めの値付けだ。しかしのりばは盛況である。大分市民に人気の乗り物となっているらしい。
三菱造船製MV-PP10 定員105名。
片道2,980円のホーバークラフト。見物のための往復で約6,000円は高い。しかし大分ホーバーフェリー社には粋な割引制度があって、空港の滞在時間が5時間以内という条件で往復2,800円だ。なんと片道分より安い。空港へ見送り、出迎え、そしてホーバーそのものを見物したい人のための割引である。しかも空港内のレストランと土産物店の割引券が付く。Webサイトには旅客獲得のための実証実験とあるけれど、期限は随時延びている。見物客に好評なのだろうし、期限付きにしておかないと、正規運賃客の機嫌を損なうということか。
窓口で体験乗船と申し出る。時刻は15時を過ぎているので、自動的に帰りは19時の最終便が指定された。もっとも、その便の前に空席があれば乗っても良いそうだ。元々高い料金とはいえ、半額とはありがたいような申し訳ないような気分である。搭乗までの時間、窓から駐機場を眺めて過ごす。平屋の建物で、待合室も登場口も連絡船のそれと同じ様だ。しかし、搭乗口の向こうは海ではなく、更地になっている。そこに一台のホーバークラフトが停まっていた。詰め所から乗務員がやってきて機体に乗り込む。エンジンがかかり、船のスカートが膨らんだ。右を向いていたホーバークラフトは、さらにエンジン音を大きくして、その場でくるりと向きを変えた。まさしくホーバークラフトの動きである。私と並んで眺めていた人々が、ため息のような歓声を漏らす。
船内。カーテンを閉めると暗い。
やがてホーバークラフトに車輪つきの階段が取り付いた。乗降は小型航空機のようなタラップ方式だ。待合室に案内放送があって、搭乗口のサッシ扉が開く。階段を上って船室に入ると、座席がズラリと並んでいる。高速艇だからであろう、シートベルトも付いている。窓が小さく、天井に明かり取りの窓もないので室内は暗い。こうした"ちょっと窮屈な感じ"が、逆にスピードへの期待を盛り上げる。私は右側前方に座った。運転席の窓が高くて前方は見えないが、右の窓から景色は見える。
エンジンがかかった。小型飛行機のプロペラのような音が聞こえてくる。その音が高く変化すると、ホーバークラフトはふわりと浮かんだ。空気で持ち上がっているけれど、ジャッキでドンと持ち上げられたようなしっかりした感覚だ。乗客は40人ほどだろうか。定員の半分くらいである。自由席なのでみなゆったりと間隔をあけて座っていた。たった25分の旅なのに、もう居眠りを始めた人もいる。寝るならバスのほうが快適ではないかと思う。本を読む人もいる。何度もホーバーを利用して、もう何も珍しくないという境地に達しているらしかった。
出発~水上へ進入。
いったいこれは船なのか。飛行機なのか。陸路を走行できるとすればクルマとしても認められるものなのか。初めての乗車体験にワクワクする。エンジン音がひときわ大きくなって、いよいよ出航である。テープの案内放送がなにやら言っているが、エンジンのせいで聞こえない。そしてホーバーはゆっくりと動き出し、いったん機種を下げ、すぐに戻った。駐機場から傾斜を降りて水上に出たわけだ。そしてぐんぐんとスピードを上げていく。エンジンが呻る。プロペラの風切り音も聞こえる。細かな振動が伝わってくる。そして窓の外の景色はどんどん後ろに送られていく。なるほど、これは船ではなく、飛行機である。
水しぶきで窓ガラスは滲んでしまう。
翼をつければ飛べるのではないか、というくらいスピードが安定してくると、窓の外は何も見えない。水しぶきが窓を外から塞いでしまう。前方の景色も空しか見えない。この乗り心地は小型飛行機そのものだ。眠ったり本を読んだりしている人たちは、晴天にもかかわらずカーテンを閉めていた。その理由がやっとわかった。水しぶきと日差しの乱反射で、窓の様子が煩わしいのだ。前方を見たくても席を立てないから、腕を伸ばしてデジカメで前方の景色を撮った。それを繰り返していると、意外に早く大分空港が見えてきた。前方に陸地が見えて、水辺に坂道が接している。ホーバーはそこにグイと乗り上げ、地上滑走を始めた。
空港までの地上区間はS時カーブになっている。車輪のないホーバークラフトは、どうやって舵取りをするだろうか。なんと、運転士は大胆に機体を左に傾け、横走り状態でヘアピンを抜けた。運転席の窓を、右から左へと森が流れていく。姿勢を立て直したかと思ったら、今度は左から右へと景色が流れる。自動車レースゲームでもめったに見られないようなドリフト走行が披露された。これは外から見たほうが楽しそうだ。あとで滑走路の脇から走行場面を見ておこう。
空港滑走路。ドリフト走行中。
ドリフト走行で空港ターミナルに進入。
さて、飛行機に用はないけれど空港に着いた。時刻は16時過ぎ。帰りの便は19時。そこでもうひとつの大分名物『鳥天』を食べに行く。滑走路を見渡すレストランがあって、ひとり客にもかかわらず窓際に案内された。ご機嫌である。料理が到着するまで飛行機を眺めた。これなら展望台に寄らなくてもいい。それにしても大分は乗り物に恵まれている。飛行機、フェリー、ホーバークラフト、寝台特急。いろいろな交通手段が他の都市と大分を繋いでいる。さすがは日本一の温泉観光地域だ。
鳥天定食は空港内のレストランにしては良心的な量だった。茶碗蒸しや御新香などの副菜も付いて980円。鳥天には天つゆがつき、レモンもつき、辛子も付いている。どの食べ方がいいのか判らず、どれが好みかも決められず。もう少しいろんな店で食べてみたくなる。観光客向けの店だけで名物を判断してはならぬ。これは信州で暮らし、信州そばを食べ比べた経験からの知恵である。そういえば中津名物のから揚げも食べたい。鉄道ぬきで、鶏を食べるだけの旅も良いかもしれない。旅に出て、次に訪れる楽しみを見つける。これは旅好きにとって、とても幸せなことである。さて、次に大分に来るのはいつになるだろう。
レストランからの眺め。
鳥天定食。これで980円。
-…つづく
第259回からの行程図
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