昨日は遠州鉄道を往復した後、いったん東京に戻った。今朝は品川発09時30分の各駅停車に乗り、熱海と静岡で乗り継いだ。掛川着13時27分。4時間も各駅停車に揺られている。さすがに効率が悪い。本音は静岡か浜松で泊まりたかった。しかし東京でどうしても外せない用があった。東京に帰ったのではなく、東京に一泊したと思うことにする。
掛川駅はJRホームの真横。
静岡鉄道も遠州鉄道もJRの駅から離れていた。しかし掛川と新所原を結ぶ天竜浜名湖鉄道は、基点も終点もJR東海道線と接続している。この路線が旧国鉄路線だったからだ。国鉄時代は二俣線という名だった。二俣線の開通は1940(昭和15)年。建設目的は「浜名湖の海寄りに敷かれた東海道本線が、敵の艦隊から艦砲射撃を受けて破壊された時に迂回路として使用する」ためだった。しかし、昭和後期、赤字問題の解決を迫られた国鉄は、全国の赤字ローカル線を廃止する。二俣線も廃止が決まった。
平和な時代あって、艦砲射撃の予備という意味はない。仮に戦争が始まったとしても、現代は空から何処でも攻撃できる。皮肉なことに、平和な時代だからこそ二俣線は用済みとなった。しかし、沿線の人々の足と言う役割もある。そこで、地元自治体が出資して第三セクターの天竜浜名湖鉄道を設立した。そんな経緯である。
車内はきれいなボックス席が並ぶ。
東海道本線と天竜浜名湖線は旧国鉄だった。したがって、掛川駅では外に出る必要はなく、ホームも繋がっている。ただし料金は別勘定だから関所のような乗り換え窓口がある。天浜線のきっぷを買うために、ここまでのJRの切符を見せる。青春18きっぷをかざすと、窓口のオバサンは「ああ、18さんね」と言った。親しみを込めているようで、何処かよそよそしさを感じた。天浜線の経緯を知っているせいだろうか。
天竜浜名湖線には「みちくさきっぷ」という割引乗車券があって、これを使うと掛川から新所原まで、途中駅で何回も下車できる。ただし逆戻りはできない。価格は1,200円で、全区間の普通片道切符より80円安く、乗降するほど初乗り運賃分がトクになる。切符には「下りのみ」と大きく表示してあり、チケット袋には沿線の案内図が描かれていた。
小川と用水路が多い。
天浜線の列車は13時50分に掛川を発車した。白地に赤と青の帯を巻いた姿のディーゼルカーで、1両で運行する。座席はボックスタイプで、ヘッドカバーがついていた。発車するとしばらく東海道本線と並び、やがて右にそれていく。小さな川や用水路をいくつも越えている。ここは天竜川の恩恵を受けた地域であるらしい。次の停車駅は掛川市役所前だ。市役所の最寄り駅は天浜線だけで、東海道線側に駅はない。市役所へ行くには天浜線は便利。住民の足として認知されているようだ。
「憩いの広場」という駅で20人ほど降りてしまう。今日は何かイベントがあるのだろうか。車内はスカスカになってしまった。向かいの座席に足を乗せた。家にいるようなリラックス感だ。車窓に見えるものは、点在する家、駐車場、畑、ビニールハウスである。工場がひとつだけあった。煙は出ていないようだが、自走クレーンがいくつもある。何の工場か気になるけれど、もう見えなくなってしまった。
列車交換風景。
原谷駅で列車交換のため少々停車する。この列車はワンマンカーで、運転士が車内アナウンスも兼ねている。その口調が軽妙だ。「この列車の乗務員は運転士だけでーす」「次は○○にとまりまぁす」と、語尾を延ばしている。乗客が少なく静かな車内で、運転士の声だけが元気よく聞こえてくる。しかしエンジン音が高くなり、列車は山道に差し掛かった。生い茂った夏草が車体を撫でる。
急に視界が開けて戸綿駅。戸綿を出ると鉄橋を渡る。列車は今まで何度も水路や小川を越えてきた。しかし今度は川幅が広い。太田川と言うそうで、地図によると信州街道が沿っている。列車は築堤上を走っており、見晴らしが良い。鉄橋を渡って遠州森駅。住宅が多く、工場のような大きな建物も見える。この地域の中心と言えそうだ。駅構内の線路も多い。貨物列車が走った頃は物流の基地でもあったのだろう。
斜面の茶畑。
このあたりは平野部のいちばん奥である。東海道本線の迂回路としては、かなり用心した経路だ。山と平野の間に線路を敷いている。右と左の車窓を比べると、平野部は水田、斜面は茶畑が多い。静岡茶の発祥は800年前に遡るという。当地出身の聖一国師が宋から種を持ち帰り、晩年に生地で種を植えたそうだ。その後、明治維新で職を失った藩士たちが茶の栽培で生計を立てるようになり、一大生産地になったらしい。水源に恵まれ、水田を潰すことなく、何処にでも水を引けたという地の利もあっただろう。夏の日差しの強さも功を奏したかもしれない。
遠江一宮駅付近は箱庭にしたくなるような佇まいだ。程よく家屋があり、ささやかな駅前広場があり、畑があって、ちょっと歩けば川を渡る橋もある。背景には森と神社。古い駅舎は改装されて手打ち蕎麦屋が入店しており、美味と評判らしい。もうすこし列車の運行頻度が高かったら立ち寄りたい。しかし、降りてしまうと次の列車が1時間後となると躊躇してしまう。今日は暗くなる前に新所原に着きたい。
再び川を越えて。
敷地駅で楽器のケースを抱えた若者たちが降りていく。練習に行くのだろうか。地図によれば駅の北側に西の谷南公会堂という建物がある。地方の公共施設なら駐車場があるだろうし、あの年代なら車で行くだろうと思うけれど、列車で通っているようだ。鉄道を利用する会の賛同者だろうか。いや、大人びているようで、もしかしたら高校生かもしれない。今日は平日の昼過ぎだから、社会人は仕事中の時間である。
敷地駅を過ぎると左手に高台がある。潅木で「ENKEI」と描かれた斜面があった。レーシングカーのアルミホイールで有名な会社である。あっ、そうか。遠州の軽金属のメーカーだから「ENKEI」だ。創業時の会社名は遠州軽合金だという。恥ずかしながら、今まではホイールの形の「円形」をローマ字書きにしたと思っていた。車窓を遮っていた木立が途切れ、建物の窓からアルミホイールが覗いている。
ENKEIのロゴが見えますか。
豊岡駅、上野部駅と列車は停まった。上野部は「天竜川にいちばん近い駅」と書いてあった。たしかにちらりと川が見えた。天竜川と言うと、飯田線に中部天竜という駅があり、徒歩五分ほどで天竜川を渡る橋になっていた。あれよりも天竜川に近いとは自慢できる。もっとも、暴れ川に近いことは、それだけでデメリットも大きいような気がする。
列車はそれを察したかのように川を離れ、トンネルに入った。ふたつめのトンネルを通り抜けると、車両基地を備えた広い構内に出る。そこが天竜二俣駅。この列車の終点である。新所原行きの乗り継ぎまで約1時間だ。駅周辺を散歩しつつ、遅めの昼食を戴くとしよう。
天竜二俣駅に到着。
-…つづく
第286回からの行程図
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