熊本市電と熊本電鉄を巡って、15時過ぎに熊本駅に戻った。東京行き寝台特急「はやぶさ」は15時57分に発車する。食堂車のない夜行列車に18時間も乗るから、食料と飲み物を調達したい。そんな気持ちで駅の構内を歩いていると、なにやら不穏な気配である。改札前に数人が集まって、切符売り場あたりで立ち止まる人もいる。ホームに青い客車の姿がない。はやぶさは熊本駅から発車せず、本日は博多発だという。
リレーつばめが西鉄特急を追い越す。
原因は、前日の大雨の影響だ。今朝のはやぶさは大幅に遅れて、博多で運転を取りやめたという。遅れたまま熊本まで走らせても、折り返しの出発までに清掃などが間に合わないという判断だろう。予備の車両が用意されていないところに、寝台列車末期の倦怠感がある。私にとって最後の「はやぶさ」に始発から乗れないとは残念だ。夕方からゴロ寝できるところが上り寝台特急の魅力だが、嘆いてもどうにもならない。
改札口に立つ女性駅員さんの話によると、手持ちの寝台券を持って16時06分発の「有明24号」自由席に乗り、小倉で「はやぶさ」に乗り換えてほしいという。有明24号の博多発は「はやぶさ」より遅いが、途中の福間で追い越すので、後から来る「はやぶさ」に小倉で乗り継げる。
しかし、私は時刻表を捲り始めた。博多発だと言うなら、博多から乗りたい。駅員さんのいう処置は寝台特急券と普通切符を持った人向けで、「有明24号」しか乗れない。しかし私は周遊きっぷを持っていて、どの特急の自由席にも乗れる。16時55分発の「リレーつばめ14号」に乗り、博多に17時16分に到着すれば、博多発17時33分の「はやぶさ」に間に合うのだ。私は改札口付近で「有明」を待つ人々をすり抜けた。いかにも初めからリレーつばめに乗る客だと装ってホームに向かう。
ゴロ寝ができなくなって残念だが、リビングから寝室に乗り換えるのだと思えば贅沢な気分でもある。博多発の東京行き寝台特急なら「はやぶさ」ではなく「あさかぜ」だよな、などと思いつつ。それなら、熊本行きの「はやぶさ」や大分行きの「富士」を残さず、初めから博多-東京間の寝台特急だけ残し、博多から九州各地への特急券を通算すればよかったのに、と思う。いまさら何を言っても遅いことではある。
博多発になった「はやぶさ」。
博多駅3番線ホーム。17時30分。「はやぶさ」を待つ人は少ない。それは予想通りだ。熊本からの乗客は次の小倉で乗ってくるはずだし、博多から東京へ行く人は、飛行機や新幹線の最終便がある。新幹線なら、1時間後の「のぞみ」に乗っても、その日のうちに東京に到着できるのだ。明日の朝の飛行機に乗ったって、東京駅には先に着く。そもそも運賃だって飛行機のほうが安いことがある。寝台特急に乗るなんて趣味人だけ。そんな趣味人の需要が少なくなって、ついに廃止となるのだ。
列車に乗り込み、荷物を指定された寝台に持ち込むと、旅立ちの余韻もなく発車した。車内放送の第一声は博多発になったことのお詫びだった。来るときの「富士」も遅れたので車掌さんがお詫びをしていた。彼らにとって、寝台列車は乗務するたびにお詫びする列車なのか。そんなんじゃ働く気力も失せるだろうな、と同情する。事業が採算ラインに達せず、従事者側も嫌気がすれば、その事業はやらないほうがマシだ。
私はかつて雑誌の広告営業を担当していて、受け持ちの雑誌の部数が減り、広告が入らず、偉い人に休刊を進言したことがある。かつては勢いのある雑誌だったが、時代の流れから取り残されてしまった。「この雑誌に手間を割くよりも、広告を売れる雑誌に力を入れたい」という私の意見は聞き入れられ、その雑誌は終了した。ごく少数の熱心な読者に惜しまれ、新聞でも報道された。あの状況に「はやぶさ」は似ている。
スペースワールドが見えた。
寝台車は進行方向左側に2段ベッドが並んでいて、右側が通路だ。その通路側の窓を初老の男性が眺めている。挨拶すると、「この列車もあと何度乗れるか……」と寂しそうに笑う。金融関係の企業に勤めていて、かつて八幡製鉄所の中にある支店を任されていたという。東京の会議に出るときは必ず寝台特急を使ったそうだ。今日は枕崎から東京へ帰るところだという。枕崎に先祖代々の山林があり、その手入れや諸処の手続きのために何度か鹿児島を訪れているそうだ。いつも飛行機を使うけれど、今回は気まぐれと懐かしさで切符を買ってみたらしい。男性は話をやめ、何かを思い出すように景色を眺めている。私は頃合いだと思って寝台に戻った。車窓を観覧車とスペースシャトルのレプリカが流れていった。そこがかつて八幡製鉄所の一部だったところだった。
小倉着18時37分。有明24号から乗り継ぐ人々が移ってくる。私の区画にも中年の男性が入ってきた。私より少し年上だろうか。下段とのことで、私とは向かい合わせである。挨拶の後、私が昨日、やっと下段に変更できたと言うと、彼はなんと2日前に切符を買ったのだという。どうやら3日前に大量のキャンセルが出たらしかった。彼はその幸運がよほど嬉しかったのか、あれこれと私に話しかけてきた。今日は天気がいいとか、その程度の内容だったので、私はただ頷くしかない。
門司で切り離された機関車。
門司着は18時46分。ここではやぶさ」は珍しい動きをする。停車して客扱いをしている間に機関車を切り離し、関門トンネル用の機関車を連結する。次に客車のドアを閉めて、いったん下関方向に進んで停まる。この間に門司駅には寝台特急「富士」が到着する。「富士」の機関車を切り離すと、はやぶさが後進してホームに入り、富士の客車と連結する。電車の連結、切り離しに比べると、客車はとても面倒だ。窓からカメラを持った鉄道ファンが走り回っている様子が見える。機関車と客車の連結場面を撮影したいのだろう。私も少年の頃はそうだった。
私たちの乗った「はやぶさ」が、いったん下関側で待機しているとき、向かい席の彼が、「あれ、停まっちゃったな。どうなっているんだろう」と言った。知ってるくせに、と思いつつ応える。私はクイズの回答者ではないし、彼と知恵比べをするつもりもない。何しろ私は寝不足で疲れている。彼は名古屋まで乗ると言っていたが、それまでこの調子で話し相手をさせられるかと思うとうんざりしてきた。窓の外はちょうど夕陽が沈むところで、ぼんやりと眺めたい景色でもあった。
今夜の宿。
失礼だと思いつつ生返事をして、カーテンを引いて横になった。まだ19時だが、とにかく眠い。彼は、「もう寝ちゃうんですか」と言い、カーテンの向こうからなおも話し掛けてくる。「寝台車の最高の楽しみ方は、眠ることだと思うんです。おやすみなさい」と言って、あとの話は一切無視した。無愛想だが、生返事を続ける失礼よりはましだろう。
寝台車の正しい乗り方は眠ること、という考えは本心である。そして私は本当によく眠った。眠りの浅い頃に停車した気配で目覚め、カーテンを開けて窓を眺めると下関駅だった。彼の寝台もカーテンが引かれていた。私は心から安心して、やがて深い眠りに落ちていった。
夕陽が見えた。
-…つづく
第259回からの行程図
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