第48回:西部劇名作選 ベスト20 No.14
西部劇史上初のアカデミー賞受賞 『シマロン』(原題:Cimarron;1931年)
またまた古い映画の登場で、制作が戦前も戦前の1930年、公開が1931年の『シマロン』だ。
ジジイ、またえらく古い映画を引っ張り出してきたもんだと言われそうだけど、これは何としても外せない名作だ。
『シマロン』は河の名前で、ニューメキシコ州の北からオクラホマ州でアーカンソー河に合流するまで、全長900キロ余りある。同時に、オクラホマ州の一地域の名前にもなっている。
他にもずいぶんたくさん“シマロン”と名付けた地名があり、私たちお気に入りのキャンプ地も山に分け入るように流れている三つの渓流地帯もコロラド州の“シマロン”と名付けているし、山の裾野に広がる山の分譲団地も“シマロン”と呼んでいる。“シマロン”の響きがなんとはなしに広々とした平原、山裾を彷彿とさせるのだろうか。
だが、何と言っても“シマロン”を有名にしたのは、映画『シマロン』だった。この映画の開幕は伝説になったグレート・ラン(great rush とも呼ばれている)は土地、農耕地獲得レースで、ヨーイ・ドンで数千もの幌馬車が早い者勝ちのレースを展開し、自分が狙っていた土地に早い者勝ちで着き、白旗を打ち込み、ここは我が土地だと宣言する前代未聞の競争(ほとんど狂騒かな)を描いている。この場面は、映画史上伝説的な迫力だ。
エイゼンシュタインの『アレキサンダーネフスキー』『戦艦ポチョムキン』と並び、また戦後の大作主義の走りとなった『ベンハー』の戦車競争場面にも多大な影響を及ぼしたと言われている。この場面だけでも一見の価値がある。
映画ほど派手ではなかったにしろ、このグレート・レースは実際に行われた。この場面はカリフォルニア州の平原を買取り、5,000人のエキストラ、28台のカメラを回し、1週間かかったと言われている。
すでにホームステッド法(Home Stead Act)が施行されていたのに、なぜこのようなあまりにもアメリカ的なグレート・ランを行ったのか分からないが、史実として残っている。
原作はエドナ・ファーバーの小説だが、実在のモデルがいる。この同名の小説は、出版されたのが1929年だから、製作者は即映画権を買い取ったのだろう。
西部劇である以上ガンファイトはあるが、西部開拓史的な映画で、オクラホマの油田発見と開発ブームまでグレート・ランから40年をクラバット一家の変遷を時代の流れに沿って映し出している。
このクラバット家はオクラホマ州、オーセージでローカル新聞を発行し、町の浄化に貢献するのだが、主人のヤンシーは放浪癖があり、一所に身を落ち着けることができず、妻のセーブラがローカル新聞発行を続け、当時女性としては稀有だった米国下院議員に立候補し、選出されるという女権運動の先駆者になる。
そこへ放浪に疲れ、かつ油田開発の事故で重傷を負った夫ヤンシーが帰郷し、妻のセーブラの腕に抱かれ死ぬというストーリーなのだが、ストーリーそのものより、画面に映し出されるオクラホマの変遷の方が興味を抱かせる。
この映画『シマロン』は西部劇史上初のアカデミー作品賞、脚色賞を獲得した。他にも主演男優、女優賞など6部門でノミネイトされたが受賞はならなかった。
余談だが、『シマロン』はアカデミー作品賞を取りながら、赤字に終った稀有の映画だ。おまけにその製作費は当時最高の140万ドルにもなった。評論家の点数も良く、大成功と予測されていたのが、製作費をカバーすることすらできなかった。
1929年に始まった大恐慌のためだろうか、それともアメリカ人好みのハッピーエンドでなかったせいなのか、油田掘削の事故で油まみれになって夫のヤンシーが死にゆき、それを年老いた妻セイラブが泥の中で膝まづいて抱くラストシーンが受けなかったのかだろうか。

1931年のポスター。なんか随分な大作みたいな張り切り様だけど、
大作は大作に違いないけど、大赤字を出した。
オクラホマのグレート・ランから油田開発までの40年間の変遷を辿った西部年代史は非常に丁寧に作られている。開幕シーンのグレート・ランだけでなく、オーセイジがテント村であった時代から、バラックが立ち並ぶ典型的な西部の町になり、高い油田ポンプが立ち並ぶオクラホマ平原風景まで、よくぞ再現したものだと感心する。
それにしても、西部劇の大作はペイオフしないという不文律がハリウッドの巷に残り、『シマロン』の後、西部劇でアカデミー作品賞を獲得したのは、それから60年後の『ダンス・ウイズ・ウルブス』まで待たなければならなかった。もっとも、『ダンス・ウイズ・ウルブス』の方は超大作どころか、ミニ・バジェットに近い製作費の作品だったが…。
-…つづく
第49回:西部劇名作選 ベスト20 No.15
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