第41回:西部劇名作選 ベスト20 No.7
これぞ古典中の古典、『真昼の決闘』(原題: High Noon;1952年)をここで取り上げないわけにはいかない。
映画や舞台でもストーリーの進行と映写時間が完全に一致し、緊迫感を盛り上げていく、観る側にもあと何分しか残されていない、どうしたらいいんだと臨場感をもたらす映画の典型がここにある。
こんなリアルタイム劇、映画は結末が最初から分かってしまう欠点がある。主人公が時間に間に合わず、それまで緊迫感が徒労に終わったりしないし、主人公は決して殺されない。いわば、結末までの2時間なりの葛藤を見守るだけなのだが、その残された時間にいかに凝縮されたドラマを盛り込むかが、映画作りの腕の見せどころになるのだろう、結構リアルタイム劇は多い。
保安官、ゲーリー・クーパー演ずるウィル・ケインは結婚したばかりで、新妻エイミー(グレース・ケリー)と町を去るつもりでいた。ところが、そこへウィルが数年前に逮捕した悪漢フランク・ミラーが真昼、12時到着の汽車でこの町に来るという報が入る。もちろんフランクは、自分を逮捕、入獄させた保安官ウィルに復讐するためだ。
ウィルは新妻を連れて町を去ることもできたのだが、町に残り3人の手下を引き連れたフランクと対決しなければならない義務は全くないのだが、男の意地、名誉を賭けて町に残り、最後の始末をつけることにするのだった。
4人の拳銃使いを相手にすることになる。ウィル一人では太刀打ちできない。ウィルは町の主だった人々、判事や元保安官に頼み込み、教会にまで足を踏み入れ、参礼者と牧師に、この町を悪漢どもの手から守り、無法の町にならないためにもフランク一味を撃退しなければならない…と説得するのだが、町の重鎮らは町の平和のためには、お前、ウィルが町を去ることが最善策だ、お前さえいなければ、町は平穏なのだと、誰もが我が身が可愛いく、自分の身の安全だけが重大事なのだった。ウィルと一緒に立ち上がる者はいなかった。
新妻のエイミーは一切の武力行使をしない信条のクエーカー教徒という、捻った設定にもなっており、彼女はウィルに町を一緒に去るよう懇願する。
そして、刻々と真昼の12時が迫ってくる。孤立無援のウィルは一人で4人の悪漢どもに対決することを余儀なくされるのだった。
実際の決闘がそうであったように、両者ヒトケのない西部の町のメインストリートで立ち向かい、マカロニ・ウエスタンの典型的な決闘シーンのように、早撃ち競技を繰り広げることは、なかった。互いに物陰に身を隠し、撃ち合った。それが普通だったようだが…。
結果は言わずと知れたことだが、妻のエイミーが絡み、危ういところでゲーリー・クーパー=ウィルは勝ち残るのだが、そして、軟弱、優柔不断な町の住人に愛想が尽き果てたように、保安官の星のバッジを捨て、妻と町を去る…結末になる。ディミトリ・ティオムキンのテーマソングが流れて、幕になる。
この映画は封切りから大ヒットした。翌年のアカデミー賞の7部門にノミネートされ、主演男優賞を含む4部門を受賞した。

『真昼の決闘』 映画ポスター
(原題: High Noon;1952年)
だが、この映画が作られた1951年(公開は1952年だが)は、マッカーシーの狂気の赤狩りが吹き荒れている時だった。少しでも左寄りの思想の持ち主らしき人間は公職、教職から追放されたり、赤だと決めつけられ牢屋にぶち込まれた時代だった。映画界、マスコミ、ハリウッドでも赤狩り行われた。
さらに悪いのは、密告が奨励されたことだ。
ウォルト・ディズニーの密告で一体全体、何人が非米活動委員会の権限で議会に招集され、詰問され、入獄されたことだろう。その多くは、自分の競争相手を蹴落とすためっだったのだが…。
ダルトン・トランボ(『ジョニーは戦争に行った』の原作、制作、監督、脚本では『ローマの休日』『スパルタカス』『栄光への脱出』など手掛けた)は実刑を受け、入獄した。出獄後、メキシコに亡命、そこで脚本を書き、ハリウッド映画界に関わった。と同時に、レッドパージされた俗に“ハリウッド・テン”と呼ばれている映画人をサポートした。
『真昼の決闘』の脚本を書いたカール・フォアマンも非米活動委員会のブラックリストに載り、招集、逮捕される前にイギリスに逃げている。
製作のスタンリー・クレイマーは単なる娯楽ではなく、社会性の強い映画(ボクシング映画『チャンピョン』『セールスマンの死』『ケイン号の反乱』『ニュールンベルグ裁判』など)を多く作っているのが非米活動委員会の目ざわりだったのだろう、彼はコメントを求められ、「この映画は全く政治的なものではなく、一人の男の勇気を語ったものだ」と回答している。マッカーシーとしては、軟弱な町の住人はアメリカ国民の象徴だと言わせたかったのだろうが…。
ブロードウェイの舞台経験だけで、映画出演が一本だけだったグレース・ケリーの気品に目をつけ『真昼の決闘』の新妻エイミー役に抜擢したのは監督のフレッド・ジンネマンだった。大監督は新人発掘にも確かな目を持っていたのだろう、グレース・ケリーはハリウッドを代表する大女優に育っていく。
だが、製作、プロデューサーのスタンリー・クレイマーや映画関係者は、初老のゲーリー・クーパーと歳が離れ過ぎている、若さの絶頂にある21歳のグレース・ケリーと初老でかなりくたびれている50過ぎのゲーリー・クーパーとでは不釣り合いだ…と言うのだ。
そのせいかどうか、映画が始まる時は結婚式で、それ以前の恋愛関係時代は一切描かれていない。映画はそれで良いのだと思う。50過ぎにしては細くスマートなゲーリー・クーパーのウィルと、純情、可憐を絵に描いたような(そう見える)グレース・ケリーのエイミーがどんなイキサツで結ばれたのかは大人の童話である西部劇で立ち入る必要はないのだ。
『真昼の決闘』はアメリカ映画100選で33位、西部劇部門では堂々の2位に入っている。
-…つづく
第42回:西部劇名作選 ベスト20 No.8
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