第47回:西部劇名作選 ベスト20 No.13
エドワード・ドミトリク監督 『ワーロック』 (原題:Warlock;1959年)
“ワーロック”なんと響きの良い、語感の強い言葉だろう。戦い、戦争を意味するワー(War) と鍵を意味するロック(Lock)を組み合わせ、戦いの鍵と命名した町がタイトルだと今まで思い込んでいた。ところが、Warlockはそれだけで全く別の意味があることを連れ合いに教えられた。
ウィッチ(Witch)が魔女で、女性専門なのに対し、ワーロック(Warlock)は男の魔術師、魔法使いを意味することを初めて知った。なんと60年以上勘違い、思い込み違いをしていたことになる。辞書をマメに引かない罰だ。ちなみに、研究社の中辞典に“warlock”はないが、大辞典にはチャント載っている。
『ワーロック』は地味な西部劇だ。地味と言ってもインディアンとの戦闘こそないが西部劇である以上ガンファイトは結構ふんだんにある。筋書き、人間関係が複雑で、中学の時、一回見ただけでは筋が良く掴めなかった。西部劇の良さはストーリーが明確で、多少心理的表裏があるにしろ、ラストシーンでウーム納得、大満足と余韻に浸れるところにあるのだが、この『ワーロック』はスッキリした筋ではない。
アメリカのテレビ局で24時間西部劇ばかり放映しているチャンネルがあり、数ヵ月前、それで『ワーロック』を観て、こりゃ中々の名作ではないかと、DVDを借り出し、観直したところ、引き込まれた。どうして、『ワーロック』はなかなか穿った作品なのだ。
監督のエドワード・ドミトリクは巨匠とは呼べないが、職人肌の監督で、毎年のように矢継ぎ早に映画を作っている。おそらくこの『ワーロック』が一番の記念作品になるのではないだろうか。
西部劇はたとえありきたりの筋書きのものでも、役者で決まる部分が大きい。
元アウトローで今は改心し、ディプティ(deputy;保安官補)を務めるリチャード・ウィドマーク、町に乗り込んできた流れマーシャル(連邦保安官)に ヘンリー・フォンダ、そして彼の親友で野心家、起業家を目指す男にアンソニー・クインを配し、三つ巴の葛藤を繰り広げてゆく。

このポスターでも見て取れるように、リチャード・ウィドマークが
全面に大きく、まるでヘンリー・フォンダ、アンソニー・クインを
押しのけるように出ている。おそらく、リチャード・ウィドマークの
代表作と言い切って良い映画だろう。
西部の多くの州、領域にある町で、シェリフは住民の選挙で選ばれるが、部下のディプティは通常臨時雇いの保安官補で、無給のことが多い。他に職業を持っているのがほとんどだ。銀行強盗追跡のため、シェリフ(保安官)がその場で星のバッジを肉屋、床屋のオッサンたちに与え、追跡団を組織する、西部劇でお馴染みの場面で見られるのがディプティ=保安官補だ。
何らかの理由で町のシェリフがいなくなった場合、次の選挙まで常駐のディプティを置く。それがこの映画でリチャード・ウィドマーク演ずるジョニー・キャノンだ。
町が無法者で荒れているのをなんとかしようと、中央政府から派遣されたのがヘンリー・フォンダのUSマーシャル、クレイ・ブライスデルで、旧友のトム・モーガンのアンソニー・クインが同行している。
弟がカウボーイ・アウトロー軍団にいる保安官補リチャード・ウィドマークの苦悩、煩悶そして激情が、細めの体に強い意志持つが、どこか人間的優しさが漂う目の持ち主ヘンリー・フォンダ演ずるクレイ・マーシャル、そして自分の野望のためならどんなことでもする、親友を裏切ることも辞さないアンソニー・クインのトムの抑えた演技と対比して光る。
役者にはその人物になり切って、感情、情念を爆発させるタイプと、感情を抑え、渋みのある演技をするタイプがあるらしい。その両方ができる俳優は滅多にいない。
監督たるもの、それら両者を上手く使い分け、組み合わせるのが腕の見せ所なのだろう。『ワーロック』は両者を生かした例だと思う。
当然、西部劇である以上、最後に決闘がある。先週書いた『ローマン』ほどの意外性はないにしろ、緊張感溢れるヘンリー・フォンダとアンソニー・クインの撃ち合いがラストシーンとして映画を引き締めている。
映画のロケはユタ州で行われた。もちろん“ワーロック”は実在しない架空の町だ。
この1959年に公開された『ワーロック』は製作に2.4ミリヨンドル(約3.6億円)かけたが、アメリカとカナダ両国でのボックスオフィスの売り上げは1.7ミリヨンドル(約2.5億円)で、製作費を下回った。興行収入面から言えば失敗だった。
ヒットせず採算割れした映画に案外名作が多いのを知った。
名優二人を相手に、リチャード・ウィドマークの熱演が光っている一見に値する西部劇だと思う。
-…つづく
第48回:西部劇名作選 ベスト20 No.14
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