第16回:西部奇談 ケイト・ベンダー その1
西部開拓時代には、とてつもない事件がママ起こる。文明、文化という衣装を着ずにナマの人間、性格、欲望がジ(地)で現れるのだろうか。
流れ者の前歴などは、まず100パーセント近く、本人がそうありたいと願った創作、ホラ話で、周囲もそれを歓迎していたフシがある。広く読まれていたダイム(10セント)小説には面白ければそれで良い、誰が本当のこと、真実を知りたがるものか、という大衆に迎合する基本的な姿勢があるように思う。
称号もかなりいい加減というか、愛称の一つとしか取られていない。OK牧場の決闘に登場するドク・ホリデイは本当の意味でのドクターではなく歯医者だったところからドクター、ドックと呼ばれた。彼の場合はまだマシな方で、少なくとも歯医者であり、西部には珍しいくらいの教養を持ってはいた。
ここに登場するプロフェッサー・ミス・ケイティー・ベンダー(Prof. Miss katie Bender)となると、どこで、なんのプロフェッサーをやっていたのかも分からなくなる。
彼女の両親、父親のジョン・ベンダーと母親エルヴィラは、タダで土地が貰えるホームステッド・システムで160エーカー(約65ヘクタール)をカンサス州、ラベッテ郡の北西に農地を貰い受け、移ってきた。ジョンは晩年に至るまで米語が達者にならず、かなり強いドイツ語訛りがあった。ドイツ語と彼を知る人は思っていたようだが、オランダ語だ、いやノルウェー語訛りだとか言う者もあり、どこからの移民なのかさえはっきりしていない。それが1870年のことだ。
今でこそ、ラベッテ郡には鉄道がミズーリー州のジョフリンから北西に横切り、幹線道路169号線が南北にかすめている。その後大きく成長した町チェリーヴェイルはジョン・ベンダー一家が移り住んだ時には小さな村でしかなかった。だが、ジョンの地所をグレート・オーセージ・トレイルが通っていた。ジョンとエルヴィラは百姓仕事の片手間に、西ヘ向かう旅人のため、主に貧しいパイオニアたちだったが、乾燥食品、缶詰を扱う店を開いた。
西へ向かう移民のための雑貨屋だが、それが小さな三角屋根の小屋の半分をカーテンで仕切り、前の方は店、後方の半分を居住スペースにしたもので、これで商売になるのかと思わせる極小の店だった。店の方に台所もあり、時折食事も小さなテーブルで供給していた。

これが1873年に撮られたベンダーの家兼店の全貌
カンサス州のパーソン地域は農耕に適した土地ではなく、せいぜい牧畜、牛を放牧するしかない地味だ。今では灌漑用水を利用して、結構な牧草、とうもろこし、麦を育てることができるようになったが、当時、ホームステッドで割り当てられた160エーカーでは、せいぜい20頭程度の牛しか飼うことができなかっただろう。
娘のケイトは近くの村チェリーヴィルのレストランでウェイトレスをし、息子、父親と同じ名前のジョン・ジュニアは父親ジョンの牧畜を手助けしていた。彼らの生活は、パイオニアの基準から言っても赤貧洗う最下層のど貧乏だった。それでも、小屋の前に菜園を作り、野菜を収穫できるようにし、小屋の北側にはりんごの木を何本が植えている。
親父のジョンは米語はカタコト以下しかできず、母親エルヴィラの方はすざまじいドイツ訛りの米語を話したが、同じ教会に行く近隣の人たちは、エルヴィラのことを不親切でよそよそしく、“魔女”とさえ呼んでいた。ベンダー一家と親しい付き合いをしている近所の者はいなかった。
ケイトは当時23歳前後だったと思われるが、一種霊感が強いタイプで、想像だが、最初のうちは、レストランの客相手に死んだ人を呼び寄せる霊媒のようなことをしていたようだ。そして、人が喜んで霊媒のためにお金を払うことを知り、お金を取って霊媒集会を主催するようになった。当然、ウエイトレスは辞めた。
彼女自身、自分の超能力を信じ切っていたように見える。一種の自己催眠だろうか、容易にトランス状態に陥り、また相手をも催眠にかけた。
そこで、そんな自分の超能力をショーバイ、金儲けに結び付けないホウはない、それには大いに宣伝し、客、信者を集めることだと、ポスターを印刷して、街道筋に張り出したのだ。

プロフェッサー・ミス・ケイティー・ベンダー
あらゆる病気を治癒する
目の見えない人、唖、ツンボ、テンカン、知恵遅れなど治すことができる
場所は14マイル、インディペンダンス(カンサス州の)東
インディペンデンスからミズーリー州のオーセイジへの街道筋
ムアヘッド宿場の南東1.5マイル
1872年6月18日 ケイティー・ベンダー
もちろんケイトがプロフェッサーであったことはない。それどころか、彼女自身、田舎の小学校を出たかどうかという教育レベルだったと思われる。だが、ケイトには人を魅入る能力が備わっていたのだろう、それに弁舌も立った。それは必ずしもキリスト教的教義に則ったものではなかったが、彼女の口から出る言葉に説得力あった。
彼女は兄のジョン・ジュニアと連れ立って定期的に教会で行われる日曜学校に出席している。そこで、ケイトは時折意見を述べた。彼女の主張は判で押したように同じで、精神生活が最も大切で、そのためには自由恋愛をしなければならないという、およそ教会の日曜学校、主に聖書の勉強会とはかけ離れた意見だった。
-…つづく
第17回:西部奇談 ケイト・ベンダー その2
|