第32回:ローレンス近郊の隠された財宝 その2
チャーリー・シンプソンが黙秘を貫き、業を煮やした官憲が彼を6ヵ月の刑に処し、牢にぶち込んだのだが、一体どんな罪をかぶせたのだろうか。チャーリーは二人のアウトローが現金輸送をしていたミッチェルを襲い、殺すのを目撃したと市民の義務を立派に果たしただけなのだ。
それとも、チャーリーには別件逮捕されるような疑わしき前科でもあったのだろうか。チャーリーは後にコロラド州の南プエブロで逮捕され牢屋に繋がれているくらいだから、彼の言動にはうさん臭さがつきまとう。
ともかくチャーリーは刑期を勤めあげ、待ちに待った出所の日、暗くなってから、埋められた宝を掘り起こしに行った。場所を正確に覚えていたのだろう、一人で掘り始め、いくばくもなく大きなチェスト、樫の木に鉄のベルトを回した重くて頑丈な箱に突き当たった。その時、西へ向かう移民団が街道に現れ、チャーリーはランプを消し、穴をもう一度埋め直した…と言うのだ。しかも、チャーリーはその後ローレンスを離れ、1878まで自分だけが知る宝を掘り起こしに来なかったというのだ。
このチャーリー談は、裁判の記録までは確かだが、発掘にかかる時点からはチャーリーが後に語ったものを第三者が又聞きしただけのことで、出所後の動向の記録はない。それが隠された財宝談、秘話になる由縁なのだが…。
このPaymasterミッチェルの盗まれた財宝談が有名になり知れ渡るようになったのは、事件が起こってから20年経った1882年に、シム・カントリルというデンバーの警部だった男が、20年前の事件を主に新聞 『デンバー・リパブリカン』でその当時働いていた記者がインタヴューをし、集めた談話がタネになっている“実話”が火元だ。
またもや、その新聞記事の焼き直しになってしまうのだが、シムの話はこうだ。
シムが本来の仕事でコロラド州のプエブロの刑務所を訪れた時、一人の囚人と知り合いになった。シムは彼をブルックと呼んでいるが、それが本名かどうかは分からない。そのブルックがチャーリー・シンプソンと刑務所で同室であり、チャーリーから繰り返しローレンスの財宝談を聞かされたというのだ。
シムはブルックの財宝談を話半分に聞いていたところ、しばらくしてデンバーのシムの元に出所したブルックからの手紙が届いたのだ。それにはチャーリーが目撃した財宝の位置が具体的に語られ、おまけに手書きではあるが詳細な地図まで添えられていたのだ。
ブルックの手紙の写しが残っている。それはその場に行ったことがある者にしか描写できない具体的な地点が明確に書かれていた。ローレンス郊外、南西の街道(当時はジャリでさえない、土の踏み付け道だったが、そこに2本の大きなマロニエの木があり、それらは寄り添うように5、6メートルしか離れていない。その西に2軒の冷蔵小屋がある。
2本のマロニエの木の中間地点、北側のマロニエから3メートルのところに大きなクルミの木の丸太が転がっている。そのクルミの丸太の向こう側は掘り起こしやすい砂地になっているが、そこを1メートルほど掘り下げると、鉄の帯を回した樫の木箱にぶち当たる。箱には頑丈な南京錠がかけられている。
そこまで詳しく知っているのならブルック自身が掘り当てに行けば良さそうなものだが、それをできない事情があったのだろう。
ブルックからの手紙を、シムは警察官として手順通り、ローレンスの近くのレーヴェンワースの軍駐屯地へ報告し、問い合わせた。時の軍の総監ポープは、管轄にある5ヵ所のPaymaster事務所にそのような盗難、窃盗の有無を問い合わせた。
ところが、1880年にはそのような窃盗、強盗事件はあったが、1862年にはそのような事件の記録はない、と返答があったのだ。
南北戦争の勃発期であり、奴隷州のミズーリーと接していた奴隷解放の先鋒、カンサス州、ローレンス界隈は、ゲリラ的戦闘が数多く発生ていたから、その種の襲撃ではないか、1863年にはクァントリルの南軍シンパのゲリラグループがローレンスを襲撃し、町全体を焼き尽くしているから、Paymasterの送金記録は消失したのかもしれない、との返答が軍の総監ポープからあり、シム警部は財宝追求を諦めた。

ローレンスの虐殺(南北戦争;1863年8月21日)
だが、その数年後、シムがシカゴからデンバーに帰る途中にローレンスに立ち寄り、『デンバー・リパブリック』紙の記者に語った記事が残っている。シム警部が持っていた地図とブルックからの手紙にピッタリと当てはまる場所を見つけるのは容易だった。真っ暗闇でもその地点を確定できるほど、明確だとしている。
だが、そこは1882年には旧街道を含めハリソン・スルの私有地になっていた。その土地の所有者ハリソンにシムが手紙で問い合わせたところ、すぐに返答があり、囚人服を来た男、身長180センチ、体重80キロ内外、黒い髪と目をした男で、年齢は30歳前で28歳くらいの男がその場所を掘り起こしているのを目撃したと言うのだ。
確かに財宝が埋めらていたとされる場所は、掘り起こされた穴があったとまでハリソンは書いている。
ハリソンの証言は信用しても良いだろうが、目撃した囚人服を着た男が30歳前の様相をしており、もし彼がチャーリー・シンプソンだとすれば、殺人強盗事件が起こった時には、8、9歳の子供だったことになるのだ。それに、この財宝談の要になるチャーリー・シンプソンとはいかなる人物であったのか、全く不明なのだ。
この埋められた財宝談は『デンバー・リパブリック』紙の記事だけが残された記録であり、ローレンスやコロラドのプエブロ刑務所の記録もない。ブルックなる人物の存在を語るモノは、警部ジムに当てた手紙とシムの言葉だけで、ブルックの実在すら疑えるのだ。
好き者揃いの西部史家の中には、この財宝談は警部シムの創作ではないかと疑う者もいるくらいだ。もっとも、このような隠された財宝談は1%の事実に99%トの虚構、思い入れがない交ぜになっているものだが…。
-…つづく
第33回:西部開拓時代の虚像と実状 その1
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