第17回:西部奇談 ケイト・ベンダー その2
ベンダー一家が起こした大事件が発覚してから、後の1873年5月23日付けの“エンポリアニューズ”(The Emporia News)に彼らを知る人たちの人物評が載っている。消え失せた者への歯に衣着せぬ、言いたい放題の感はあるが、ベンダー一家を近隣の人たち、同じ教会に通っていた人たちがどのようにとらえていたかが見える。
一家の主人、ジョン・ベンダーは人をゾッとさせる、いやらし人物で、いつも汚らしく、神を冒涜する言葉を吐き散らし、その上大変な短気だったと一致している。妻のエルヴィラは汚れ切ったしわくちゃダッチ婆さんだった(彼女がオランダ人であったかどうかは不明だが…)。息子のジョン・ジュニアだけは口髭を蓄えたおとなしい男だが、一旦興奮すると、墓を掘り起こすハイエナに変身した。
ケイトは若く、人によっては彼女を大変な美人とさえとっていたようだ。細面で鼻梁が細く高く、窪んだ目を持っていた。思っていることを即口に出す性格で、自分は霊界と繋がりがあると公言していた。人々はケイトがフリーラブ、自由恋愛を唱える時、自分の兄との肉体関係をも包み隠さず話し、それは純粋な精神を保つためだとしていた。それどころか、人を殺すことさえ霊界との関係を深めるために必要な場合もあると講義した。
近隣の村人たちは、あのベンダー一家は狂っている、普通ではないと近寄らなくなった。
しかし、通りがかりの旅人、移民はそんなことを知る由もない。

ケイト・ベンダー<Prof. Miss katie Bender>
オーセイジの町を確かに出発した移民がいつまで経っても、次の中継予定地、多くの場合はウイチタに到着しないことが頻発し始めた。南北戦争が終わり、すでに数年経ってはいたが、整備された警察権など存在せず、各郡ごとにシェリフはいたにしろ、田舎の町や村には事あるごとに便宜的にシェリフが任命したデピュティー(保安官補)を置くだけだった。
確しかに、オスウエゴを出た移民がかき消されたように行方不明になることが相次いだ。行方不明者の縁戚の者が、ウイチタから東へ移民団とは逆行するようにオーセイジ・ミッション・トレイルを辿ったところ、チェリーヴィルのすぐ東側に隣接しているラベティー郡のどこかで消え失せていることが分かってきた。
だが、実際に追跡調査を始めたのは1873年の春、ウイリアム・ヘンリー・ヨークの登場を待たなければならなかった。ウイリアム・ヨークは隣人であるジョージ・ニュートン・ロンコーがまだ5歳の娘を連れてカンサス州のインディペンダンスを出発し、待ち合わせていたフォート・スコットにいつまで待っても現れないので、オーセイジ・ミッション・トレイルを逆行し、ジョージと娘の行方を辿る探索を本格的に始めたのだ。ところが、ウイリアム・ヨークからの連絡も途絶えてしまったのだ。
ウイリアムにはエドとアレックスという二人の兄弟がいた。エドはフォート・スコットに常駐していたし、アレックスの方は南北戦争で戦歴を持つ現役の大尉であり、弁護士の資格を持っていた。かつカンサス州のインディペンダンスで選出された議員でもあった。両者とも、自分の兄ウイリアムの旅程をはっきり知っていたにもかかわらず、ウイリアムの足跡はラベティー郡でプッツリと切れているのだ。アレックス大尉は50人もの部下を引き連れ徹底的な捜査を開始した。

アレックス・ヨークの墓石
彼の写真か肖像画がどうしても見つけることができなかった。
この墓がベンダー家の大量殺戮を暴いたアレックスのものであると思うのだが、
確証があるのかと言われれば、黙るよりほかないのだが…
その過程で1871年の5月から行方不明になっていたジョーンズとだけ名の知れている男の死体が発見され、また他に男二人が喉を一文字に掻っ切られている遺体が見つかった。だが、重要な物的証拠になるウイリアム・ヨークの馬も鞍も、ジョージ・ニュートンの馬車や馬、パイオニアが持っていくキャンプ道具の一切が忽然と消えているのだった。
事件の証左は、すべてベンダー家を指差していた。
アレックス・ヨーク大尉は、何度かベンダーの店、レストランを訪れているが、逮捕状を持ち、捜査権のある立場ではなかったので、自分の弟ウイリアムが忽然と行方不明になり、彼を探している旨をケイトに伝えただけで、もしケイトがジョージを見かけたなら、教えて欲しい旨、懇願した。
ケイトは自分には超能力があるので、貴方の兄の居場所を霊感で知ることができる、それには他の人がいない静かな環境でなければならない、よって次の金曜日に一人でいらしてください…と告げた。それが1873年の4月3日のことだった。
それと前後して、近所の人、オーセイジの町人など75人もがハーモニー・グローヴ学校で集会を行った。それにアレックス・ヨーク大尉も参加している。住民はベンダー一家4人をリンチにかける方向に傾いていたが、アレックスは確かな物的証拠なしに状況証拠だけで、捜査も逮捕もできないとリンチには強硬に反対し、弁護士としても法的方便として、ここにいる住民全体を対象とした調査を住民合意の下で行うことは可能であるとし、列席者の同意を得たのだ。
もちろんベンダー一家を対象にしたものだが、近所の人々にとっても、自分の身の潔白を証明することになるので、全員一致で地域全体の捜査を採ったのだ。対象になったのは、ビッグヒルクリークとドラムクリークの間にあるすべての農家だったが、アレックスはベンダー一家が臭い、大量の行方不明者、ひいては殺戮に絡んでいると確信していた。
それには、ただ証拠固めが必要だった。いかにワイルド・ウエストでリンチ、復讐が日常的に起こっていたにしろ、状況証拠だけで告訴できないことを弁護士の資格を持つアレックス大尉は承知していた。
そうこうするうちに、西部史に一度だけ顔を出す農夫ビリー・トール(デイヴィッド・ダーリーの記録ではサイラス・トールとなっている)という男が牛を追いながらベンダー家の地所を通りかかったところ、ベンダーの店も家ももぬけの空になっているのを見つけ、郡の出先機関へ報告したのだった。
ラベッティー郡の首都はオスウエイゴに置かれていた。そこからシェリフをはじめ調査委員がやってきて、ボランティアを含む捜査団が組織された。その数がなんと200ー300人に及んでいるのだ。大半は興味本位のゴシップ好きが参加しただけなのだろう。もちろん、アレックス・ヨーク大尉も捜査に加わっている。そのボランティアの野次馬組に中にベストセラーになった『大草原の小さな家』の著者、まだ少女のローラ・インガルズ・ワイルダーが父親に連れられて来ていた。彼女の思い出話によると、父親は殺人犯ベンダース一家の捜査隊に加わったようだ。

カンサス州、ラベッティー郡の首都オスエゴ、首都とは言っても現在でさえ人口1,668人の小さな町だ。
このような開拓時代の小屋が観光名所になるような、中世西部にゴマンとある田舎町の一つだ。
-…つづく
第18回:西部奇談 ケイト・ベンダー その3
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