第600回:新入社員の車掌さん - 海洋堂ホビートレイン -
南風13号は長距離ランナーだ。4時間前に岡山を発車している。乗客のほとんどが高知で降りてしまうのだろう。高知から宿毛までは回送のようなもので、あの車両は翌朝の宿毛発岡山行きになる。その南風13号が発車し、闇の中に消えようとしていた。窓の光が明るい。それは乗客が少ないからだ。コマ送りのように流れ出す窓の中、私は彼女の姿を探した。しかし見つけられなかった。
ディーゼル駆動の特急列車が去ると、窪川駅は静かになった。ホームの照明は明るいけれど人影は少ない。きっと、この町でもっとも明るい建物は駅だろう。見渡すかぎり、駅の周囲は闇。にぎやかだったトロッコ列車と鉄道ホビートレインの余韻が閃き、すぐに闇へ散っていく。
南風13号が去った線路に、特急あしずり10号が到着する。中村発高知行き。特急の到着を待って、私が乗った鉄道ホビートレインが宇和島へ向けて発車する。乗客は私のほかに二人。鉄道好きのようだ。この列車は岡山と中村からの特急に接続する形だけど、乗り継ぐ人はいなかった。車窓も暗く、なんとなく飾り棚の鉄道模型を眺める。手持ち無沙汰になると空腹に気づく。鞄の中をあらためると菓子パンが出てきた。これ、どこで買ったんだっけ。

近永駅は童話に出てきそうな駅舎
偽新幹線が闇を進んで約1時間半。20時02分に近永駅に着いた。ここで私は列車を降りて、もう一度折り返す。4回目の折り返し。それまで駅前を散歩してみる。駅舎は三角屋根でおもちゃの建物のようであった。待合室に掲示板があって、内容は宇和島~近永間開通100年の年表だ。全通40周年の記念列車があって、宇和島線100周年は行事がないかと思ったら、地味ながらちゃんと記念掲示物があった。

近永駅前。日中は賑やかだろう
駅のそばには自転車とバイクを売る店があり、家電店もある。駅前通りを少し歩くと二階建ての軒が連なる道がある。大型車のすれ違いは厳しそうだ。しかしこの通りは国道441号線である。銀行の支店もある。にぎやかな街のようだ。しかし、20時過ぎに開いている店はない。駅舎と反対側の線路際に北宇和高校がある。今日はこの駅を何度も通り過ぎたけれど、駅周辺に建物が多いとは気づかなかった。降りてみなければ、わからないことはたくさんある。

ひっそりと佇むホーム
町の建物は多いけれど近永駅は小規模だ。それでも列車のすれ違いが可能な島式ホームである。この駅からは、宇和島駅までの区間列車も設定されている。つまり、近永までが宇和島市の経済影響圏ということだ。もっとも、この時間に宇和島から遠ざかろうという客は私だけ。もはや終点の窪川まで行く列車はなく、次の列車は江川崎止まり。その次の列車も江川崎止まりで、それが最終列車である。
ホームに一人佇む。この侘びしさこそローカル線の旅だ。心細さを感じつつ、私の旅のスタイルを取り戻した気分にもなる。遠くから列車のヘッドライトが近づいてくる。本日最後の目的、予土線三兄弟の次男坊、海洋堂ホビートレインである。一般車両を連結した2両編成は、翌朝の通学列車に使うためであろう。若い車掌も乗っている。私は江川崎駅舎を思い出した。2階にエアコンの室外機が四つあったような気がする。つまり4部屋。宇和島行き運転士と車掌、窪川行き運転士と車掌、それぞれ個室で過ごせるらしい。

海洋堂ホビートレインが到着
乗車は私だけ。若い車掌が不思議そうな表情をした。フリーきっぷを見せると納得した。列車自体が目的なのだと察してくれたようだ。江川崎で折り返し、最終列車で宇和島へ戻る。宇和島市ならホテルも多い。人の少ない地域を走る列車は、乗務員が不審人物に注意を払う役目かもしれない。

飾り棚は怪獣や昆虫など
車内はもうひとり、ジャージ姿でロングシートに寝そべっている。床に白いスポーツバッグ。部活帰りの高校生だろう。私は彼を起こさないように気をつけて、車内を見物する。ロングシートの一部が取り払われて、模型店のショーケースのようになっている。そこには恐竜や虫などのミニチュアがずらりと並んでいた。風景を作り込んだ作品もある。

ジオラマもある

懐かしのサンダーバード2号
途中の駅で高校生が降りて、客は私だけになった。あと10分ほどで江川崎という頃に車掌がやってきて、「ご旅行ですか、どちらから」と話しかけられた。不審尋問というわけではなく、世間話をしたい様子だ。東京からだと応え、昨日からの行程を簡単に説明する。

窓の柱にもフィギュアを飾る
「ああ、さっきのトロッコは私も乗務していました」と言った。案内のおばちゃんの印象が強く、車掌さんがいたとは知らなかった。お客さんが多かったから彼も私を覚えていない。つまり、お互い様である。
「伊予灘ものがたりはいかがでしたか」
「景色も料理も良かったです。アテンダントさんの接客も良いし、気配りが行き届いて」
「それは良かった。彼女たち、私の同期なんです。今年入社の」
「新入社員さんですか。すばらしい接客だったと、今度会ったら伝えてください」
「ありがとうございます。あ、そうだ、これ」
彼は鞄からいくつか紙片を取り出して私に差し出した。列車の写真が印刷されたカードだ。
「お子さま向けに配ってるんですが、よかったら」
「ありがとう、記念になります」
そんなやりとりをして、彼は仕事に戻っていった。今夜は駅で泊まりだろう。あの寂しいところで、彼は何日おきに泊まるのか。

床も怪獣の世界
江川崎駅着は21時06分。10分後にやってくる宇和島行きに乗る。本日最後の折り返しである。ここから宇和島までは約1時間。予土線内を5回も行ったり来たりした旅が終わる。振り返れば出会いの充実した一日であった。宇和島駅のそばのビジネスホテル。小さな部屋に一人きり。寂しくはない。酒の力も借りず、寂しさを感じる前に眠りに落ちる。いつものことだった。

江川崎駅に到着
-…つづく
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