第593回:観光列車の旅 - 伊予灘ものがたり 1 -
松山駅3番ホーム。8600系電車の撮影をしていたら、左手奥の車庫から黄色の気動車が現れた。そのまま留置線を進み、私の前を通り過ぎて、8600系のそばに停まる。2両編成で、後ろの車両は朱色。あれが伊予灘ものがたりだ。JR四国が今年から運行を開始した食事サービス付きの観光列車である。外観は国鉄形のキハ47を塗り直しただけだけど、室内はリフォームされている。
屋根付きの車庫から伊予灘ものがたりが出てきた
3番ホームに若い女性がふたり立っている。アテンダントさんだ。制服はツーピース。上着は淡い小豆色、スカートはチョコレート色。その濃淡と合わせた色のソフト・ハット。黒いハイヒールに、赤く小さめのスーツケース。まるでチョコレートムースに赤いチェリーを載せたような高級洋菓子のようだ。彼女たちがここにいると言うことは、伊予灘ものがたりはこの3番ホームからの発車だろう。ここにいれば、列車の入線から出発前の様子まで眺められる。
松山駅のホームは駅舎側に1番線、跨線橋を渡った島式ホームに2番線と3番線がある。いわゆる国鉄型2面3線の配置。県の代表駅としては小規模だ。しかしホームは長く風格はある。1番ホームに高松、岡山方面の特急と、宇和島方面の特急が縦列駐車していた。長いホームを分割して使えば、三つの乗り場で6本の列車に対応できる。鉄道利用者が減り、列車の長さが短くなったという事情もあるから寂しいとはいえ、これで同じホームで乗り継げる。上手い仕組みだと思う。
普通列車の到着を待って3番線に入線
3番ホームに列車到着の案内放送があった。伊予灘ものがたりではなく、宇和島からの普通列車だ。08時58分、かつて特急列車に使われた車両が2両編成でやってきた。松山行きの表示が伊予大洲行きに変わる。折り返して10時20分に発車する列車になった。その普通列車に続き、同じ方向から伊予灘ものがたりが入線した。このホームも二つの列車で使う。バスターミナルのようだ。
伊予灘ものがたりは2両編成で、朱色の1号車は“茜の章”、黄色の2号車は“黄金の章”という愛称が付いている。どちらもグリーン車扱いで、車両形式はキロ47になっていた。
レッドカーペットの準備
発車10分前の入線だけど、すぐに乗車できない。まずは乗降扉の前に駅員さんがカーペットを敷く。車内ではもてなしの準備が始まっている。そこに声をかけて、乗客がいない時の車内を撮らせていただいた。しかしすぐに乗車開始となる。お客さんたちの表情が明るい。新しい旅の体験に期待している。
茜の章の室内
茜の章は木製家具で、座席のモケットは緑、クッションは赤。4人用と2人用のテーブル席と、海側に向かってカウンター席がある。黄金の章も造作はほぼ同じ。座席のモケットは草色、クッションはカラシ色。どちらもいわゆる“和モダン”の空間だ。私の指定席は茜の章のカウンター席である。
黄金の章は少し明るめのデザイン
「この列車はどこへ行きますか」
入り口付近で訪ねる声がある。
「大洲へ参ります」
アテンダントさんが対応している。珍しい列車を見て関心を持ったようだ。盗み聞きしたところ、次の各駅停車で宇和島へ行くお客様のようだ。コースのお食事はご用意できませんがよろしいでしょうか。車内販売はございます。料金はグリーン車となりますなどと説明があって、しばらくして老夫婦が乗車した。空席があってよかった。アテンダントさんも臨機応変の対応である。応対も礼儀を感じさせる。好印象だ。
食事コースの準備も始まっていた
コースのお食事が用意できませんが……という会話が気になった。グリーン指定席と食事コースはセットではなく、食事予約なしでも乗れるらしい。カウンターテーブルの上にメニューがあって、ここで注文できる飲み物も食べ物も種類が多く、観光地の喫茶店と遜色はない。伊予灘ものがたりの公式サイトを確認したら、「車内でのお食事をご希望のお客様は、"別途"食事予約券が必要です」とあった。アラカルトメニューがこれだけあるなら、食事コースは要らないかもしれない。
飛び込みのお客さんにも対応
乗車口にアテンダントさんが待機
乗客がそれぞれの席に落ち着いた頃、列車が動き出した。09時10分。定刻発車だ。伊予大洲まで1時間20分の旅である。さあ伊予灘だと期待するけれど、しばらくは松山市街地を行く。アテンダントさんからのご挨拶、そして松山市、伊予市の紹介がある。車窓に坊ちゃんスタジアムが現れる。2000年に誕生し、2005年から始まった野球の四国アイランドリーグでは、愛媛マンダリンパイレーツの本拠地という。そういえば、昨日、松山駅に試合開催の案内看板を見かけた。
坊ちゃんスタジアムが現れた
伊予灘ものがたりは1日に2往復ある。松山~伊予大洲間が1往復、松山~八幡浜間が1往復。私が乗っている朝の便は伊予大洲行きだ。八幡浜行きのほうが距離が長く、同じグリーン料金だから少しおトクだけど、あえて伊予大洲行きを選んだ。理由は単純で、食事コースの好みである。この列車の食事は朝食メニューで、私はすべて食べられる。昼食コースの2本は海産物が多くて苦手、夕方のスイーツコースは日程を作る上で難しかった。夕暮れの海の眺めは良さそうだったけれど仕方がない。
アラカルトメニューが豊富。予約コースがなくても満足できそう
アテンダントさん手作りの車窓案内も楽しい
今回、私が伊予灘ものがたりを組み込んだ理由は二つ。一つはルートが好都合だった。乗り残した区間を経由してくれるからだ。
予讃線は向井原と伊予大洲の区間でルートが二手に分かれる。それぞれ海側と山側を経由して合流する。先に通った線路は海側の本線で、後に短絡ルートとして山側の内子線と予讃線支線が開通した。
初めて四国に訪れた時はバースデイきっぷを使い、宇和島から松山まで特急“宇和海22号”に乗った。特急は山側を通るから、海側を乗り残している。そして今回の伊予灘ものがたりは海側を走る。海を眺める主旨だから当然だけど、私の乗り残しルートをわざわざ通ってくれる。ありがたい。
もう一つの理由は、JR四国の観光列車への関心だ。JR九州がローカル線で観光列車を展開している。それが豪華クルーズトレイン“ななつ星
in 九州”に結びついた。そしてJR四国も観光列車に参入した。これからは観光列車が流行りそうだ。今後も各地で増えて行くに違いない。ならば、JR四国の伊予灘ものがたりに乗っておきたい。JR四国がJR九州の手法から何を学び、改良し、自社に取り込んだか。そして、楽しいか否か。確かめたい。
発車から10分経過。まだ伊予灘は見えない。しかし向井原駅は通過して、未乗区間の海線に入った。そのタイミングで予約した朝食のサービスが始まる。お手ふきは伊予灘ものがたりの車両が描かれ、箸袋には金と赤の水引があしらわれている。まるで結婚式の膳のような晴れやかさ。そして陶器の器に味噌汁が注がれた。これは嬉しい。温かい食事が提供されるとは思っていなかった。
新鮮野菜サラダと温かな味噌汁
伊予水引は平安時代から続く伝統工芸とのこと
さっそく味噌汁を口に含む。味噌の香り、甘みのある椀であった。いいな。これはいいじゃないか。まだ発車して10分しか経っていないし、海も見えない。でも合格だ。ここから先は食事も景色も充実するのみ。得点は積み上がる一方だろう。この列車を選んで正解だった。私の表情は緩んでいた。でも大丈夫。窓に向かっているから誰も気づかない。
-…つづく
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