第576回:トンカツとスニーカー - 三陸鉄道北リアス線 宮古駅 -
宮古駅前である。次の列車まで1時間半もあるから、駅舎には入らない。ここで私はふたつの用事を済ませようと思った。ひとつは昼食。もうひとつは靴の買い換えだ。

宮古駅。中央がJR。右奧が三陸鉄道の駅舎
安い靴を履きつぶしては買い換えている。高い靴を買っても長持ちしないからだ。体が重く、歩く姿勢が悪いからだろう。旅先で砂利道、山道を通るからかもしれない。新しい靴を買い、くたびれたら犬の散歩用に回し、かかとがすり切れると新しい靴を買う。その繰り返しだ。そして今回の旅はすり切れた靴を履いてきた。旅の途中で新しい靴を買おうと思ったからだ。
東日本大震災以降、震災ツーリズムという言葉が流行りだした。ダークツーリズムとも言うそうだ。観光でも視察でも研修でもいい。被災地でお金を使って、経済復興に貢献しようと言う意味が込められている。

三つの記念碑。左は1944年に雪崩被害で脱線した機関車のプレート。
機関士が殉職、事故知らせに向かったものの、機関士を案じて戻った機関助士も重傷。
二人の忠実な職務を讃えた石碑。三國連太郎主演の映画『大いなる旅路』の原案になった。
中央は山田線開通記念碑。右は三陸鉄道開通記念碑。
三陸縦貫鉄道悲願90年の成就と書いてあった。
そうは言うけれど、こちらだって懐は豊かではないし、きっぷ代は出発地で払ってしまう。お金を使うとすれば宿代と食事代、土産物を買うくらいだ。そこに上積みするとすれば、生活用品としてふだん使いの品物の買い換えしか思いつかない。そこで靴である。
ところが宮古駅前は商店が少なく、静かな佇まいだ。正面に高速バスターミナルがあり“ビーム1東京行”とある。これに乗れば東京に帰れると思いつつ、東京からここまでバス1本か、とも思う。その近くに調剤薬局。小さな飲食店は魚料理が主のようだ。「魚市場へ、おでんせ 徒歩7分」の看板がある。覚悟していたけれど、やはり三陸は魚介天国であり、肉食の私には地獄の一歩手前であった。

わらじのように大きくて薄いカツの定食
しかし、地方の駅はたいてい繁華街から離れている。町の主要駅であれば、そこは小さな官公庁街だ。役所や金融機関が目立つ。飲食するなら、こちらから出向かなくてはいけない。正面の道を歩いてみる。交差点から見渡せば、ビンゴ、4階建ての商業ビルがあった。キャトル宮古という。デパート、いや、専門店が同居する大型スーパーマーケットだ。
フロアガイドの看板を見る。食堂が最上階。空腹の客を最上階に上げて、満腹の客を降ろす。エスカレーターを使えば各階のフロアを見渡せる。百貨店の定石を踏まえている。その定石に則って食堂に入った。カツ定食。ごはんとおかずと味噌汁。やっとまともな食事である。カツが大きい。しかし薄い。キャベツと丸いポテトサラダと1/8のオレンジ。小鉢に豆腐。昭和の洋食店のような懐かしさがあった。

レストランからの眺め。穏やかな春の日
靴屋は3階にあった。靴だけではなく、服やバッグなどファッション全般を扱う店だ。若い人向けだし、もともと服屋は落ち着かない性分である。スニーカーの棚を見る。私がふだん履きつぶすような1,000円程度の品があって安心した。それを手にとって、いや待て、と考え直す。1,000円で経済貢献と言えるかな。
店員のおじさんがやってくる。もう少し予算があれば、長持ちだし履き心地も良いですよ、という。そうだな、と思いなおし、3,000円のスニーカーを選んだ。私にしてみれば3倍の予算の高級品だ。さっそく履いてみる。軽いし、風通しも良い。いままで履いてきた古い靴は店で処分してくれるという。たった3,000円で経済貢献などと偉そうに言えないし、むしろゴミを増やしてしまった。なんだか申し訳ない気持ちになる。

三陸鉄道宮古駅へ
軽くなった足取りで宮古駅に戻った。13時15分発の久慈行は、まだ改札が始まっていなかった。それでも20人くらい並んでいる。ただし年寄りばかりである。近くに大きな病院があって、午前中の診察を終えた人たちだろう。そういえば調剤薬局があった。地方のローカル線らしい光景であった。

待合室内に“援軍”の色紙が並ぶ
待合室を見上げると色紙が並んでいた。芸能人、タレントさんたちから三陸鉄道への応援メッセージだ。テレビで見かける人もいる。達筆で誰だかわからない人もいる。イベントで知り合った人もいて、親しみがわく。三陸鉄道が被災したとき、真っ先に行動を起こした人々である。が、こうして並べると、都会の有名ラーメン屋の壁のようだ。賑やかで楽しい。

赤字になった記念に発売された“赤字せんべい”を買った
行列が動いた。久慈行きは1両のワンマンカーだ。ボックスシートはすぐに埋まり、お年寄りたちがおしゃべりを始めた。病院の待合室の続きである。私は後ろ寄りのロングシートに荷物を置き、車両を検分する。車体もピカピカ。窓ガラスがきれいに磨かれている。観光を意識した鉄道会社だと思う。

久慈行きの片道きっぷ。背景にあまちゃん
車体には全納連の広告が描かれている。全納連とはなんぞや。車体側面の窓下に「まめでねば~こくがんばっぺな」と大書されている。全国納豆協同組合連合会。それで全納連。しかしなぜ納豆……。ちょっと気になって調べてみた。2013年の納豆消費量は水戸市が1位、2位以下は山形市、仙台市、福島市、青森市、長野市、秋田市と続く。この年の水戸の1位は7年ぶりの首位奪還で、それまでは福島市がトップだったという。東北地方は納豆の消費が多いとはいえる。

久慈行きはワンマンカー1両。運転席下に“全納連”の文字
座席に戻って発車を待つ。お客さんが増えており、座席はすべて埋まって、立ち客もいる。後方から前方を展望できないほどだ。私は私は荷物を網棚に載せて、カメラを抱えて運転席横に立った。ディーゼルエンジンが唸る。列車がゆっくりと動き出した。東日本大震災の被災地。そして大ヒットドラマ『あまちゃん』の舞台へ。いよいよ今回の旅は佳境に入った。

納豆業界の全面広告だった
-…つづく
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