第590回:四国の鉄道博物館 - 特急しおかぜ22号 松山~伊予西条 -
かつて、松山駅までサンライズ瀬戸が延長された時期があった。現在は琴平までの臨時延長運転がある。四国に来るならサンライズで現地入りしたいけれど、松山着が遅くなってしまう。今回は日の出とともに松山で旅を始めたいから、飛行機で前日に到着した。旅の本番は明日からである。
しおかぜ22号はアンパンマンカーだった
14時23分発の特急しおかぜ22号に乗った。グリーン車で伊予西条へ行く。1時間ほどの乗車でグリーン車とは贅沢だけど、今回のきっぷは“四国グリーン紀行”だ。2万570円で4日間有効。JR四国と土佐くろしお鉄道が乗り放題。グリーン車、指定席も利用可能で制限回数なし。すばらしい。乗り放題きっぷは普通列車用3日間の“四国フリーきっぷ”もある。1万6,140円だ。差額4,000円弱、有効期間が1日多いとなれば、四国グリーン紀行のほうがトクだ。
8年ぶりの予讃線。2000系気動車は飛行機のエンジンのような音を出す。振り子機構があるせいで、常に力強く速く、気風の良い走りである。ただしよく揺れる。トイレでは射撃の腕を試されたような気がした。短い鉄砲は腹の下で見えにくく扱いづらい。
紅葉が始まっている
前回はバースデイきっぷを使い、春の早朝の景色だった。今回は初秋の午後である。晴天の空の下、水田の稲は刈り取られた。まだ緑の残る畑がある。丈が短い植物はなんだろう。遠くの山の色あせた緑の中に、はっとするような赤をみつけた。市街地をすぎればミカンの木が並ぶ。緑の繁みに橙色の実がちりばめられていた。
海の景色。さっき飛行機から眺めた瀬戸内海だ。電線が多く、惜しい車窓である。松山と伊予西条は山の中を直線で結ぶと約50kmだ。高速道路もあり、クルマなら約1時間だ。ただし高速バスの便はない。路線バスで1時間40分ほどかかる。鉄道は北へ迂回して海沿いをなぞる。今治を経由して約80kmの道のりだけど、特急の所要時間は約1時間と健闘している。しかも単線だ。やるじゃないか、と思う。
瀬戸内の島々に電線が架かる
遠くに見える緑のクレーンは今治の造船工場のシンボルだろうか。電車は大西という駅で停まり、下りの電車特急とすれ違った。6年前はあの流線型の電車に乗ったな、と懐かしくなる。ここは通過扱いの駅で、時刻は14時59分。この列車の今治着が15時01分だから、少し遅れている。該当する下り特急列車はしおかぜ11号で、今治発が14時43分。これが15分ほど遅れているようだ。
私が乗っているしおかぜ22号の終着駅は岡山だ。新幹線に乗り換えるお客さんもいるはずで、遅延回復も上り列車が優先のはずである。伊予西条駅の到着は15時29分。こちらも3分ほど遅れている。隣にさっきと同じ形の特急電車が停まっていた。15時18分発のしおかぜ13号だろう。13分遅れだ。すこし回復できたようだ。いや、車内から下り列車の心配をする場合ではない。ここで降りる。
特急電車8000系と交換
伊予西条駅の駅舎は真四角な鉄筋コンクリートの3階建てだ。合理的な建物だけど、おもしろみはない。駅前のロータリーに面してビジネスホテル“オレール西条”があって、ここが私の今夜の宿である。このホテルに隣接して、“十河信二記念館”と“四国鉄道文化館北館”があって、線路の向こう側に“四国鉄道文化館南館”がある。まとめて“鉄道歴史パークin SAIJO”と呼ぶ。これが今日の目的だ。
展示施設の閉館は18時。あと2時間半しかない。しかし、それほど大きな施設ではないから、早足で巡れば十分だろう。まずはオレール西条にチェックインして、部屋に荷物を置く。身軽になって、いよいよ見学開始である。下調べの結果、南館、北館、十河信二記念館の順と決めている。南館には鉄道模型のジオラマがあって、演出運転があるという。その時刻を確かめたい。
伊予西条駅に到着
跨線橋で線路の向こうへ渡ると、広場に青と銀の車両がある。フリーゲージトレインの第2次試験車だ。よく見たいけど、外にあるから閉館時間後でもいい。まずは展示館へ。親子連れが10組ほど。そうか、今日は日曜日だった。それにしては少ない気がするけれど、明日は勤労感謝の日で連休だ。遠出している人が多いかもしれない。私も3泊4日の遠出の客だった。
ジオラマの運転時刻は毎時00分と30分だ。もうすぐ16時の運転が始まるけれど混んできた。16時30分の回まで、館内の車両を見物しよう。南館館内の保存車両は3台。C57形蒸気機関車と、DE10形ディーゼル機関車、キハ65形急行用気動車だ。どれもピカピカに磨き上げられ、室内保存だからいつまでも新車のようである。
“鉄道歴史パークin SAIJO”の全景
線路の向こうが北館と十河信二記念館
C57形は1次車の44号機。西条市の市民公園で保存されていた機関車だ。旧西条市長、新幹線建設を決めた国鉄総裁として知られる十河信二氏の雅号にちなんで「春雷号」と呼ばれていた。運転室に入れる。メーター表面のガラスの曇りもなく、真鍮製のレバーも磨き上げられている。ロッドや車輪に触れて、鋼鉄の重みを感じ取れる。
蒸気機関車の運転室。まるで新車のよう
キハ65形は宇高連絡線に接続した急行列車群に使われていた。JR四国の多度津工場に保管されていたという。客室に入れる。座席はボックス型の4人掛けだけど、座面が柔らかく枕部分が厚い。ヨーロッパの三等車はこんな感じだろうか。こんな座席は初めて見た。キハ65はキハ58の改良版として製造され、客室設備は共通だった。後年になって、座席を上等な設備に交換されたようだ。
キハ65形の座席、現役時代に乗ってみたかった
DE10形なんて珍しくもない、と思ったけれど、これは1号機だった。DE10形は松山機関区が全国初の配属で、試作車2両だった。そのうちの1台がこれだ。JR貨物は入れ替え用の後継機としてハイブリッド型を投入し始めている。DE10形の稼働数は少なくなっていて、全廃も遠くはない。現役時代を知っている機関車が博物館入りとは、誇らしくもあり、寂しくもある。
ジオラマの時間である。大宮の鉄道博物館や名古屋のリニア・鉄道館、大阪の交通科学館に比べればずっと小さいけれど、人形の配置、奥の壁を使った満月や花火の演出など、なかなか凝っている。四万十川の沈下橋、大歩危の渓谷、本四架橋もあり、四国の車窓を丁寧に再現していた。竜宮城へ行く浦島太郎、魚影を追う釣り船、カブトガニが現れた砂浜……。規模は小さくても工夫が多く好感であった。
南館のジオラマ。伊予西条駅周辺を再現。奥は本四架橋
フリーゲージトレインは第2次試験車だ。JR九州の小倉工場で落成し、JR九州内の試験の後、JR四国の予算本線でも実験した。実験後は多度津工場に保管されていた。これは乗降口まで階段があったけれど、扉が開かなかった。見るべきは台車だ。太いダンパーが2本あり、これが外観の特徴らしい。しかし、車輪がどう動くかはわからない。
四国の鉄道史のパネル展示コーナーを読み、個人寄贈の車両模型を見聞する。建物の外には信号機の展示が並ぶ。規模が小さいと思って油断していたら、かなり見どころが多い。これで入館料300円は安い。そしてまだ北館と十河信二記念館を見ていない。時間配分が怪しくなってきた。
フリーゲージトレインの台車
-…つづく
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