第560回:石巻線マンガッタンライナー - 石巻線 石巻~浦宿 -
石ノ森萬画館は震災前に訪れて見学済みだ。あの時は上層階の食堂でキレンジャーのカレーライスを食べた。テーブルの横の窓から街並みを見下ろせた。そこからの景色を見たいし、マクロス展も気になる。後ろ髪を引かれる思いで駅に戻る。その帰り道に見覚えのあるビルがふたつ。明治時代というか、大正ロマン風の建物だが健在である。
街並みは変わっていないと思ったけれど、帰り道に落ち着いて眺めると、少し記憶と違っている。たしか大正ロマンビルの隣に、江戸時代から続いていそうな、木造の立派な商店もあった。それがない。空き地も目立つ。見渡せば、木造建築はひとつもなかった。そういうことか。新しい街並みと思っていたけれど、それはただ、古い建物が消えて、新しい建物が残り、更地に新しい建物ができて、新しい景色になった。

震災前からあったレトロ建物。壁が塗り替えられてきれいになった。周囲の建物は消えた
石巻の街並みは、時代の連続性を失っていた。どんな都市でもいずれそうなるけれど、石巻は短時間で変わった。津波に地上げされたようだ。海外のコーヒーチェーンのような洒落た店がある。コーヒーを飲もうと思って店内に入るとパン屋だった。以前はこんな店はなかった。元祖メロンパンとチーズパンを買った。それにしても元祖の由来は何だろうか。まさか発祥の店ではないだろう。元祖の形、といいたいわけか。店員さんに聞いてみよう、いや、それも野暮か。

洒落た建物になったパン屋、萬楽堂
その代わりに、「最近できたお店ですか」と訊ねた。元から商店街にある店で、被災したため建て替えたばかりだという。店名は萬楽堂。あっ。その名前で思い出した。2009年に訪れたとき、ソフトクリームを買った店だ。パン屋なのにすみませんねと言いながら……。たしか、アーケード屋根の上、看板建築の2階の壁にサイボーグ戦士がいた。
このパン屋さんは復旧できたようだ。よかった。サイボーグ戦士はいなくなっても、建物は新しくなっても、そこに暮らしていた人が変わらなければそれでいい。石巻は石巻のままだ。ただし、それは悲しみを克服して立ち直った結果でもある。人は減った。再会できない店も、失意を胸に街を去った人もあっただろう。
石巻駅に戻り、改札を通り、石巻線ホームの待合室でパンを食べる。このガラス張りの待合室も、震災後に作られたのではないか。外は少し寒いから、この待合室がありがたい。ガラス張りだから駅構内の様子が見える。向かいの席で、おばちゃんが二人、津波の話をしている。どこそこの誰が亡くなったという話だ。もしかしたら、この二人は、3年間ずっとその話を繰り返しているかもしれない。
ガラスの向こうの貨物列車。長いコンテナ列車が停まっていて、DE10形という赤い凸型の機関車が入れ替え作業をしていた。石巻線で小牛田へ、そして東京へ向かうコンテナだろう。さっき出発したと思ったけれど、入れ替えだけのようだ。この駅は物流もある。良いことである。
コンテナの中身は紙だ。仙石線で石巻駅のひとつ手前、陸前山下駅から石巻港へ貨物線が分岐している。石巻港付近には日本製紙の大きな工場があって、日本の出版業界が使う紙の4割を作っているという。雑誌やマンガ、文庫本など、私たちが日常で触れる本に使われている紙だ。

災害対応型マンションのモデルルーム。3LDKで2,400万円
震災後、日本製紙は、出版向けの紙を作るN8号という巨大機を最初に復旧させた。すさんだ人々の心に、娯楽や物語が必要だと考えてのことだったらしい。日本製紙の石巻工場は港に近く、津波の被害も大きかった。2メートル42センチの津波だったという。人を飲み込み、クルマを押し流す。機械も壊れる。印刷機械も壊れる。とくにN8号は巨大で複雑な機構を持ち、同じ機械は二度と作れない。最新技術を取り入れて新しい機会を作るなら、設計から始まって、時間も資金もかかる。
そのN8号は破壊されずに残っていた。もともと気むずかしく扱いづらかった機械をなんとか復旧させ、被災から1年半後に製紙を再開した。街の人々と共に工場を復活させていく様子は、日本製紙のWebサイトでも公開されている。その詳細を書いたドキュメンタリー書籍『紙つなげ!
彼らが本の紙を造っている』は、私のこの旅の2ヵ月後に出版され、話題となりドラマにもなった。

石巻線はマンガッタンライナーだった
ホームに出て発車案内標を見上げる。石巻線の列車は上下とも3番のりばから。下りは浦宿行きとなっている。浦宿と女川間が被災して不通となっているからだ。代行バスがあるから女川行きと表示しても良さそうだけど、地元の人々には周知のこと。女川と書いたら、かえって復旧したと勘違いされるかもしれない、という配慮だろうか。
小牛田発の気動車がやってきた。なんだか派手な顔をしていると思ったら、石ノ森章太郎作品のイラストだ。こちらもマンガッタンライナー(※)だ。石巻線のマンガッタンライナーは昨年春から走り始めた。石ノ森萬画館のリニューアルオープンに合わせて誕生したという。仙石線のマンガッタンライナーは石巻に到達できないから、その代わりか。

窓下の行き先表示「ワンマン 浦宿」
昔は板だったけれど、ワンマン運転を機に字幕になったのだろうか
キハ48の車体側面にはWelcome TOHOKUの文字が入る。復興への思い。JR東日本の心意気といえそうだ。車内の壁にもキャラクターたちがいる。駆け込み乗車はしないで、という掲示はロボコンだ。懐かしい。2両編成で、乗客は座席が埋まるほど。昼間だからまずまずの乗車率と言える。かつて訪れたときは通学時間で混雑していた。

車内にも石ノ森章太郎キャラクターがいる
マンガッタンライナーは11時57分発。昼飯時である。萬楽堂のパンをかじりつつ、ぼんやりと風景を眺める。新しい家が多い。ところどころに仮設住宅もある。3年も経って、まだ仮設住宅に住まう人がいる。落ち着きがなく、辛いだろうと思う。震災復興は時間がかかる。阪神淡路大震災では、仮設住宅の終了まで5年かかったそうだ。

昼食。元祖メロンパン。食べても元祖の意味わからず
沢田駅を出ると線路は海沿いになる。真っ白な護岸壁が見える。石巻線は東日本大震災で全線が不通になった後、内陸部の小牛田、石巻間は2か月後に復旧した。沿岸部の復旧は少しずつ進み、1年後に2駅先の浦波まで、さらに1年後の2013年に浦宿まで復旧した。そこから先、女川までも復旧が決まっている。女川駅は内陸の高台に移設され、駅間距離は短縮される予定だ。

沿岸の復旧工事が続いている
車窓左手、道路沿いにマリンパルおさかな市場という建物があった。プレハブ建築にみえた。マリンパルは女川漁港に面した施設だったと記憶している。市場と展示施設があった。震災後、ここに移転して再開したようだ。女川の町は壊滅と聞いている。車窓に通り過ぎたマリンパルの文字を見て、いよいよ大被災地に近づいていると身をただした。
浦宿駅着。12時20分。ホームの先に1本の線路が続いている。しかし途中に車止めがあり、その手前の砂利と枕木は白。車止めの向こうは茶色。錆びた線路が続いていた。

浦宿駅に到着

線路が途切れている
-…つづく
※石巻線マンガッタンライナーは2015年5月31日に運行終了。
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