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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第599回:南風13号の女 - 鉄道ホビートレイン -

更新日2016/09/01


ダブルコートの女性が気になる。美しい人である。ひとり旅の様子である。どこへ行くのかと思う。しかし付きまとえば不審人物である。変態である。犯罪者である。その分別があるうちに彼女から逃げよう。私は彼女より先に駅舎を出た。


江川崎駅

江川崎は山の中の小さな駅で、旅客扱い上は無人駅だ。しかし、朝に2本の始発列車を出すために、最終列車が2本到着する。だから構内に留置線がある。無人駅だけど、駅舎に向かって左手に事務室が付属するようで、2階建ての建物が連なる。エアコンの室外機がいくつか見える。最終列車と始発列車の乗務員が宿泊する施設、保線係員の宿直もあるかもしれない。独身寮だとしたら寂しすぎる場所だけど、どうだろう。

その2階建てを眺めつつ、駅前の道を西へ向かって歩く。上り坂である。高いところからトロッコ列車の写真を撮れそうだな、と歩いて行くと、行き止まりになってしまった。その場で写真を撮って引き返す。駅舎の隣にログハウス風の建物がある。

その建物の前で小犬が鳴いている。近寄ると寄ってくる。シーズーだろうか。他人を疑うことを知らないらしく、人なつこい。しかし、飼い主さんの話では捨て子を引き取ったそうだ。良いパパに巡り会えて良かったな。しばらく遊ばせてもらった。この建物は観光案内所で、自転車を貸してくれるそうだ。

自転車を借りて見て回る時間はない。しかし、ちょっと散歩したい。四万十川を見に行こうか。車窓からずっと眺めていたら、もっと近くで見たくなった。次の列車まであと50分。スマートホンでタイマーを20分に設定して歩く。タイマーが鳴ったら引き返そう。往復で40分、折り返し地点で10分という配分であった。


広見川? 吉野川? 橋りょうを行く宇和島行き

坂道を降りていくと製材所があった。削りたての木の香りが清々しい。良い気分でさらに坂道を下っていく。相対的に線路が高くなっていき、鉄橋になった。さっき通った鉄橋である。第一吉野川橋りょうと書いてある。あれ、地図では広見川とあったけれど、吉野川か。いずれにしても四万十川ではない。この川に降りてはいけない。ちょうど列車が走ってきた。普通の気動車1両。トロッコを追うように走る宇和島行だ。


私も広見川? 吉野川? (しつこい)を渡る

スマートホンの地図を頼りに歩き、川下の小さな橋を渡る。広い道があり、江川崎のメインストリートにさしかかったようだ。四万十川の手前に駐車場がある。掃除をしていたおばさんに挨拶する。そこから川原まではキャンプ場になっているらしい。その敷地を横切った先を降りると四万十川である。


四万十川だ!

広い川原。これが四万十川か、ちょっと感動だ。水辺に行き、透明な水をすくってみた。冷たい。しかし気持ちいい。ジャブジャブと両手を洗う。なにか容器に入れようと思ったが、お茶を飲み終わったペットボトルは捨ててきてしまった。まあいいか。私は四万十川に触った。満足だ。


四万十川に触った!

来た道を戻る。さっきのことだけど、製材所の木の香りが懐かしい。そして江川崎の駅に着く。こんどの列車は窪川行きの鉄道ホビートレインだ。伊予宮野下駅ですれ違ったアイツである。窪川行きだから、ダンゴ鼻を前にしてやってきた。ダンゴ鼻の両側にヘッドライトが移設されていた。さっきはテールライトだった。その切り替わりは0系を上手に真似ている。夕刻にさしかかり、ヘッドライトが目立っていた。

トロッコからホビートレインに乗り戻るには、江川崎の先の松丸で折り返しても良かった。しかし江川崎で降りて正解だ。かわいい小犬と四万十川に触る時間ができた。そして、この正解を確信する出来事があった。なんと、あのダブルコートの女性がホームに現れた。あっ、と声を上げると、彼女も私に気づいたようだ。会釈してくれた。


鉄道ホビートレインで窪川へ戻る

私は思わず、握手しませんか、と話しかけた。はい、と手を差し出された。不審に思わないのだろうか。本当は西洋人かもしれない。考えるまでもなく、私は彼女の手を握った。柔らかく、あたたかい。しかし私の手は冷たく、少し濡れている。ますます怪しい。

「さっき四万十川に触ってきたんですよ。お裾分けです」
そう言うと、ああ、とつぶやいた。納得してくれたかもしれない。

ニセ新幹線こと鉄道ホビートレインに乗ると、もうひとつの出会いが待っていた。トロッコ列車のガイドのおばちゃんたちだ。松丸で業務が終わって折り返してきたという。1両の気動車は意外にも満員で、私たちは出入り口付近に立った。おばちゃんの解説によると、記念列車に乗った人たちが窪川に帰るそうだ。なるほど。


あっという間に窪川着

そんな会話の流れで、ダブルコートの美女と話もできた。握手という西洋式挨拶も済んでいるからうち解けつつある。彼女が江川崎に来た理由は「有名なケーキ屋さんがあるから」と言う。トロッコ列車の車中でそれを聞いていたら、私も楽しいお茶の時間になったかもしれない。彼女はひとり旅だった。今夜は中村に泊まるという。


おばちゃん、美女、私の会話は弾み、窪川までの1時間は短かった。私はまた予土線を折り返し、彼女は中村行きの特急に乗る。鉄道ホビートレインを降りて彼女は去って行く。私は乗客が引けた車内の写真を撮るために居残る。名残惜しいけれどサヨナラだ、と、思ったら、彼女が引き返してきた。えっ、まさか私に? 違った。彼女も車内の写真を撮りに来たらしい。


鉄道ホビートレインの車内
床には機関車の図面

私は鉄道ホビーを離れ、反対側のホームに向かった。床下を含めた写真を撮ろうと思ったからだ。そこでまた彼女に出会った。中村行き南風のホームはここではない。あれ、また会いましたね、と言うと、彼女は駅の記念スタンプを押してきたと教えてくれた。

「もしかして、最近はやりの鉄子さんですか」
「いえ、違います」

はっきり否定されてしまった。
いま、お世話になっている女性編集長といい、どうして鉄道好きの女性は鉄子を否定したがるのだろう。


壁には鉄道模型が飾られている

跨線橋の階段でお別れだ。彼女は先に階段を降りた。私は一つ先の階段である。鉄道ホビートレインが待っている。これで引き返す。ホームで佇んでいると、南風13号が到着した。これで本当に彼女とお別れだ。今度会ったら偶然ではない。運命だと思う。


ダンゴ鼻の裏側

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

<<杉山淳一の著書>>

■連載完了コラム
感性工学的テキスト商品学
~書き言葉のマーケティング
 
[全24回] 
デジタル時事放談
~コンピュータ社会の理想と現実
 
[全15回]

■鉄道ニュース(レポーター)
マイナビニュース
ライフ>> 「鉄道」
発行:マイナビ

 

■著書
『列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法: 時刻表からは読めない多種多彩な運行ドラマ!』


列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法
杉山淳一 著


『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』 ~日本全国列車旅、達人のとっておき33選~』

ぼくは乗り鉄、おでかけ日和
杉山淳一 著


『みんなのA列車で行こうPC 公式ガイドブック (LOGiN BOOKS)』

みんなのA列車で行こうPC 公式ガイドブック
杉山淳一 著


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