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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第566回:津波の境界線 - 気仙沼線BRT 陸前戸倉~気仙沼 -

更新日2015/10/08


トンネルを出ると海が広がっていた。三陸海岸の志津川湾である。穏やかな水面。澄みきった青空。水平線付近の空は淡いオレンジ色で、空と海の境を際立たせている。デジタル時計が16:58を示している。

BRT専用道は高いところを走っている。下をのぞき込めば護岸工事の様子で、赤いコーンが並んでいる。津波の被害ではなく、毎年の予算を消化しているようにも見える。いや、暢気なことは言っていられない。私はこのあたりの過去の風景を知らない。もしかしたら、ここは漁村だったかもしれない。建物はあった。そして、消えた。女川を見ているから、そんな想像もできる。


BRT専用道から眺める海。かつてはディーゼルカーから眺められた景色

BRT専用道の高度は変わらないけれど、海側は道路がせり上がってきた。片側1車線。空いている。鉄道は急勾配を作れないから、なるべく高度を保って敷かれている。こんな高いところまで津波がきたか。黒い瓦の、従前の建物も健在のようである。このあたり、線路は無事だったのではないかと思う。我ながら未練がましい。

しかし、短いトンネルを通り抜け、BRT区間が終わると、そこは紛れもなく被災地であった。なぜBRT区間が終わったかと言えば、その先の鉄橋が消えていたからである。バスは国道の橋を渡った。ああ、これはまさしく、女川で見た景色と同じ復興造成地だ。多くの人々が流された大災害の跡地である。


南三陸町防災庁舎。丈夫な鉄骨が町長はじめ11人の命を救った

そして、被害を物語る建物が見えてくる。鉄骨だけ残された3階建て。南三陸町の防災対策庁舎。テレビで何度か紹介されていた。水の勢いは、鉄骨以外のすべてをはぎ取ってしまった。かなり不謹慎に例えるなら、津波という怪物は、大きな口を開けて、まるでフライドチキンをしゃぶり尽くすように骨だけ残し、周りの皿も舐め尽くした。すべてが消えているとわからない。けれど、一部が残ると凄惨さが伝わる。

志津川河口の町、南三陸町の死者は500名以上、行方不明者は600名以上。防災庁舎からは職員が「高台へ避難してください」と放送し続けたという。その後、津波は庁舎を飲み込んだ。屋上より2メートルも高い津波だったという。約30名のうち、避難を呼びかけ続けた女性を含む約20名の職員と、近隣から避難していた住民は流された。他の庁舎も流された。


志津川駅。かつて南三陸町の中心だった駅

生存者は、防災庁舎のアンテナにしがみついていた町長ほか11名だけ。彼らは避難指示の不備を指摘され告訴された。しかし、もっとも責めているのは自分自身ではないか。なぜ生き残ってしまったか。なぜ助けられなかったか。私なら悔やみきれない。しかし、生きて償わなくてはいけない。罪ではなく、同じ悲劇を繰り返さないために。生存者には成すべきことがある。

鉄骨の庁舎は車窓から消えた。路線バスだから説明もない。震災ツアーバスだったら、もっと詳しく話を聞けただろう。駐車場が現れた。中央に屋台が2店舗。やきとりと果物屋。そういえば、この沿道に現れた初めての飲食店である。周囲は造成地のままだ。そしてバスは国道を離れて広場へ。志津川駅に到着だ。ガラス張りで、ロールケーキのような形の待合室がある。この周囲に鉄道駅の跡があるはずだけど、車窓からは見えない。


シーサイドアリーナに立ち寄る。復興のシンボルか

バスは国道に復帰する。遠くにBRT専用道が延びてトンネルに入っていく。あれはまだ工事中か、あるいは直行便が使うのだろうか。バスはいったん線路沿いの国道から離れ、南下してベイサイドアリーナという駅に立ち寄り、北上して国道に戻った。BRTのルートは線路にこだわらず、復興の道筋にも立ち寄るようだ。もっとも、鉄道駅の周囲にお客はいない。バスなら集落へお迎えに行ける。

バスは荒涼とした風景を進んでいる。建物も人も少ない。山肌を見れば、樹木が津波の高さを伝えている。低いところは山肌が見えている。木は半分まで幹だけ、そこから上は葉が茂る。つまりこれが津波の高さである。私の頭上よりずっと上だ。そこから下は、葉も建物も消えたのだろう。


車窓からときどき気仙沼線の施設が見える

歌津駅を出て、しばらく細い道を上り、BRT専用道に入った。トンネルの手前に信号機と交換設備。BRT区間のバス同士の交換を見たいと思うけれど、バスは一時停止のあと、対向車を待たずに発車する。どうやら、バス同士はなるべく一般道ですれ違うようにダイヤを設定しているようだ。それはそうだろう。一般道は鉄道で言えば複線である。BRTにしたおかげで、気仙沼線は単線の呪縛から解かれた。増発もされた。


BRT区間は鉄道トンネルを活かすために作られた

バスはトンネルに入った。BRT専用道は鉄道のトンネルを活かす区間に作られたようだ。集落同士を直線で結べるから、所要時間は短縮できる。トンネルを出て、交換設備があり、またトンネルに入る。駅もあるけれど、もはや鉄道の設備ではなく、陸前戸倉のような対向式の低いホームであった。バスは片側しか乗降口がないから、ホームは道の両側に必要だ。

BRT区間が終わる。一般道に入って、川を渡り、そのまま国道を行く。線路だった場所にトンネルの口が開いている。こちらはまだ整備されていない。このあと、ずっと国道を走った。もはや路線バスの旅であった。夕暮れの、見知らぬ町の路線バス。これはこれで寂寥感がある。対向車がヘッドライトを灯している。家路へ向かうクルマたちである。


BRTの駅は対向式ホーム

車窓は相変わらずの荒野と造成地であった。景色に慣れてしまって、悲しみも憤りもわかない。しかし、坂道にある標識が私を戒める。「過去の津波浸水区域 ここから」「過去の津波浸水区域 ここまで」この標識は津波の境界線だけを示したものではないと思った。残酷にも、大自然が人々の命の線引きをしたところだ。このあと、起伏のある道で、この標識が何度も現れる。

私は鉄骨の防災庁舎を思い起こした。震災を思い起こすためには、あのように特徴のある物体が必要だ。なにもないところに感想は生まれない。しかし、もし車窓に震災を連想させる建物が延々と残っていたら、それはそれで疲れてしまう。ここに住む人たちだって、毎日、そんな遺構を見せられると心が痛むだろう。凡庸な造成地を眺め、その風景に飽きる。それは悪くない。平穏ともいえる。


津波浸水の境界を示す標識

車窓から空の色の変化を見る。夕暮れの風景は美しい。それは被災地だからではない。日本のどこでも見られるような、自然の風景であった。バスはもう一度BRT専用区間を走ったけれど、もう新たな感想はなかった。ただ、陸前階上駅を通った時、道路の脇に列車用のホームがあり、それでこの道が元は線路だったと気づかされる。この地域にこんな道がある。もはや、これも日常のひとつである。


陸前橋上駅。列車のホームが残っている

信号機の色が目立つ。明かりを灯した人家も増える。バスは国道を左折して気仙沼駅に到着した。2時間超の路線バスの旅が終わった。あたりはすっかり暗くなっていた。空気も冷たくなっている。地元の乗客たちが散会すると、一人残されて、いよいよ寂しい。

さて晩飯だ。そして宿で落ち着きたい。しかし、次の行動に移す前に、私はトイレで小用を済ました。売店が開いていた。ペットボトルのお茶を買って一気に飲み干し、失った水分を取り戻した。私はこの2時間のバス旅に備えて、水分を控えていたのであった。


気仙沼駅に到着。町の中でここだけが煌々としていた

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。
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