第598回:トロッコ列車の美女 - しまんトロッコ -
宇和島行きの「しまんトロッコ」は14時14分に発車する。窪川駅の滞在時間は30分。改札を出て、駅舎を撮る。少し街を歩いてみる。10分ほど巡って、モダンな建物を見つけた。四万十町役場だ。予土線開通40周年記念写真展開催中。先にこっちへ歩けば見物できた。惜しい。自販機で飲み物を買ってホームに戻った。
予土線開通40周年記念列車のポスターがあった。江川崎駅ですれ違った特急車両だ。今日は「よど」、昨日は「グリーンさん」の列車名で走った。車両の名はアイランドエクスプレスII。4両編成のうち中間の2両は公募無料招待者60名が乗り、1両は乗車券があれば誰でも乗れて、1両は未使用車となっていた。事前に知っていれば行程に組み込めたかもしれない。それがわかると悔しいから検証はしない。

しまんトロッコの牽引車ことキハ54
しまんトロッコは黄色の車体の2両編成だ。前はキハ54、ロングシートの気動車だ。これはトロッコ車を動かす機関車としての役割と、突然の大雨などでトロッコ車にいられない時の控え車の役割を持つ。トロッコは狭いから、乗客の荷物置き場としても使われる。私もここに旅行鞄を置いて、カメラと携帯電話だけ携えてトロッコ車に乗った。外国人観光客なら治安の良さに驚くだろう。

キハ54の室内、ロングシートは見通しが良く荷物置き場に適役か
貨車を改造した2軸のトロッコ客車は、鉄製の妻板と木製の側面に注目すれば、元の黒い貨車の姿を想像できる。そこにいくつか鉄製の細い柱を立て、天井の骨組みを作って幌を被せた。吹きさらしだけど、屋根の幌から透明なビニールの風よけが降りている。
トロッコ客車の車体側面の中央に“コトラ152462”と表記されている。コの字は小さい。これとは別に、車体の端に“形式名 トラ45000”と記されていた。トラ45000型は国鉄時代の1960年から1963年までに8,000両以上も作られた貨車だ。車体の表記と形式名が一致していない。調べてみると、トは無蓋車、屋根のない貨車という意味。ラは積載重量17トンから19トン。そして小さいコは背の高い荷物を積む時のみ上限を15トンに制限する符号だ。

こちらがトロッコ客車、屋根と塗装のほかは貨車のまま
番号の1は車体の更新工事を施したという意味。床板を鉄製から木製にして、荷物を滑りにくくしたという。そして1を除く52462から45000を引くと7462。これが製造番号になる。貨車に歴史あり。本来は客車に改造する時に、客車の形式名ルールにすべきだったろう。しかしコンテナ輸送時代でこのような貨車は少なくなり、改造も1両だけだから、そのままになっている。むしろ、貨車だったんですよ、とアピールするために残された記号と番号かもしれない。

トロッコ客車の客室、明るいクロスシート
開放感のあるトロッコ車の室内は二人掛けベンチが向かい合わせ式に並び、木製のテーブルがついている。床板と側板の木材もニスの色でつややかだ。これは元の貨車の木材ではない。いかにも水戸岡英治氏のデザインだ。その座席がすべて埋まった。私の席は最後部の進行方向左側だった。右側のほうが車窓の見どころが多いような気がするけれど、出発前に手配した時に選択肢はなかった。もっとも、景色は先に眺めてきたから、この列車の雰囲気を楽しむだけで満足だ。

視点が変わると車窓も変わる
乗客のほかに緑色のスタッフジャンパーを着た女性が乗っている。首から提げたストラップの先にスピーカーがあって、沿線の案内をしてくださる。窪川を発車してすぐに岩本寺の紹介が始まる。四国八十八箇所の第三十七番札所であり、本堂の天井に575枚の天井絵があり、テーマはさまざま。マリリンモンローの絵が話題になっているという。半家駅の由来は平家の落人の集落に由来し、“平”の字の上の横線を下ろして“半”にしたという伝説がある。なるほど。
列車の紹介もあった。貨車は北海道にいた車両で、トロッコ客車の改造にあたって2トンの重りを積んでいるという。貨車は空荷だと安定せず、満員の人の重みでも、安定させるにはまだ軽いそうだ。重りを入れるくらいならエアサスを入れたらどうかと思う。座席にクッションが薄いから、そろそろ尻が痛くなっている。しかし、乗り心地が良すぎてもトロッコらしくない。水戸岡英治氏は確信的にクッションを薄くしたに違いない。

客室を秋風が吹き抜ける
車窓右側の景色が良く、尻の疲れもあって、私は立っていた。最後部の席だから誰の迷惑にもならない。そして右側が気になる理由はもうひとつ。若い女性のひとり客だった。ダブルのコートを着て右側の席に座っている。初めは、四国の秋に、コートはまだ早いのではないか、と思った。次に横顔を見て女性だとわかり、また意外に思った。

川岸に紅一点
女性のひとり旅にトロッコ列車か。ショートヘアで肩が張り出したコート。後ろ姿は少年のようであった。しかし微笑むような横顔はきれいだ。こういう姿をマニッシュというのだろう。私が立っている理由は、どうにかして彼女の正面を拝みたいと機会をうかがっているからだ。しかし、当然ながら彼女は景色を眺めており、私はその後ろ姿越しに景色を見ている。見えそうで見えないから、ますます美しい人だと妄想してしまう。

日差しが変わり、山肌の秋の色を照らしていた
すでに景色を見たとはいえ、開放的なトロッコからの車窓は、普通気動車のガラス越しとは違う。視点が高くなったせいもあるけれど、四万十川を囲む山は、一部が秋の色に染まっている。そこからどんどん紅葉が広がって、山の全体の色が変わる頃に冬が来るのだ。それにしても、どうして彼女はひとりなんだろう。いまや鉄道好きの女性は珍しくないし、ひとり旅もするとは思うけれども。
いったいどんな人なんだろうなー。ご尊顔を正面から拝んでみたいなー。笑顔を見たいなー。できれば言葉を交わしたいなー。いやちょっと待て、ふいに冷静になる。気になるけれど、行動に移せば怪しすぎる。少年なら無邪気に進める。老人なら優しく接してもくれよう。しかし中年男はなにかと面倒だ。私は景色と彼女への意識を5割ずつに戻した。

四万十川は左へ、右へ
江川崎に着いた。四万十川の車窓の終わり。私はここで降りて、折り返し鉄道ホビートレインに乗り換える。終点まで乗り通す乗客とはお別れだ。残念ながら、あの美女ともここでお別れであった。私はホームに降り、急ぎ足で構内踏切を渡った。停車している間に、2両編成の写真を撮ろうと思ったからであった。
何度かシャッターを押す間に、他に降りる客や、トイレに行く客が車両の前を横切った。停車時間は長いようだ。それなら移動して別の角度から撮ろうかと思った時、黄色い車体の陰から、ダブルのコートの女性が降りてきた。キャスター付きのトランクを引いている。あの人もここで降りるのか。しかし何のために。まさか、ここが故郷だろうか。

江川崎駅に到着。車体の短い貨車は背高に見える
-…つづく
|