第597回:四万十川を串刺しに - 予土線 江川崎~窪川 -
江川崎駅は予土線のほぼ中央に位置する。ひとつ手前の西ケ方駅から高知県であった。ここは予土線の拠点駅のひとつで、朝はこの駅から上下方向に始発列車がある。起点から終点まで2時間半もかかるから、両端の駅から始発列車を出すだけだと、途中の駅の高校生たちは通学に間に合わない。そこで江川崎駅を中間の拠点にしている。ホームに沿った線路の他に留置線を備えている理由は、夜間に車両を待機させるためだ。
この鉄橋で広見川とお別れ
予土線の車窓の境界でもある。宇和島から江川崎までは広見川沿い、江川崎から窪川方向は四万十川の本流に沿う。窪川行き列車が発車して速度を上げ、緩い左カーブの桁橋を渡る。この下がいままで連れ添ってきた広見川である。川を渡ったあともカーブはそのまま続いて、次に車窓右手に見える川が四万十川だ。ここから先、窪川までは線路と四万十川がもつれ合う。車窓の左右交互に四万十川が現れる。予土線の大きな魅力であり、全国のローカル線の中でも評判が高い。
四万十川の水鏡
河口までは遠いとはいえ、予土線から見える四万十川の幅は広い。対岸までの距離は100mを超える。200mはあるかもしれない。流速は低く水面は穏やかで、鏡のように対岸の山々を映している。岸も水面から顔を出す岩も白波を出していないから、車窓からは流れの向きがわからない。実際の川の流れは列車の向きと逆である。
水位が低く沈下橋が高く見える
四万十川の水源起点はここからほぼ真北の不入山(いらずやま)、河口はここから南西方向の太平洋で、その河口の街には土佐くろしお鉄道の中村駅がある。まっすぐ距離を測れば約50キロメートル。しかし水はくねくねと出口を探すように彷徨い、海岸に使い窪川でふいに西へ進路を変え、江川崎で南へ戻し、やや東へ逸れて中村へ下っていく。総延長は約200キロメートルで、直線距離の4倍になる。四国山地の険しさ、海のそばまで高い山があるから蛇行する。四国最長の一級河川だ。
水鏡を眺めていたら列車が停まった。半家駅である。ああ、ここがあのハゲ駅か。北海道の増毛駅と対をなすように話題になる駅名だ。高倉健さんの映画『駅―Station―』でも知られ、知名度が高く、まず増毛駅が語られ、そういえば、と半家駅が持ち出される。健さんはこの旅の10日前、11月14日に亡くなった。半家駅や四万十川にちなんだ映画はあっただろうか。

ハゲ駅。由来はのちにトロッコ列車車中で教わる
半家駅を出るとトラス橋を渡る。直線はトラス橋で、曲線は桁橋。トラス橋の先にトンネルがあって、暗い口に列車は飛び込む。トンネルを出ると四万十川が左側に移っている。あれ?
と思うけれど、トンネルの手前のトラス鉄橋で四万十川を渡っていた。理屈ではそうだけど、トンネルを出ると景色の左右が入れ替わる。景色が変わる。楽しい。
しばらく川に沿ったあと、トンネルに入り、鉄橋、少し長いトンネルの順に通って、四万十川が右側になった。ひょいと右側に移ったように見えるけれど、こちらが約1kmのトンネルを通る間に、四万十川は約8kmも迂回している。そしてトンネルを出たところに集落がある。しかし駅はない。無情にも通り過ぎて十川駅に停まった。四万十川の十川であるけれど、“とかわ”ではなく“とうかわ”、と読む。
鉄橋とトンネルで川を串刺し
四万十川の名前の由来はいろいろあって、四万川と十川をつないだという説もあれば、島渡川という説、4万石の木を10回流せるという説などがある。十川は渡川から改名されたという説もあり、逆に十川が渡川になったという説もある。ちなみに清流四万十川というように、四万十川は清流が冠詞のようになっている。その理由は大きなダムがないからだ。ダムの放流は川底をかき混ぜ水を濁らせるという。しかし、科学的に透明度の数値を比べると、四万十川が特に秀でているわけではないらしい。それでも車窓から眺める四万十川は充分に清らかだ。近くで確かめたい。
車窓右手に四万十川が続く。川が曲がって遠ざかると、列車はトンネルを通過。こんどは鉄橋がないから川は右のまま。向こうから近づいてきた。こんど4kmほど遠回りしている。これだけ曲がっていたら、川下り船にとってはサーキットのようなもの。レースを観たいけれど、漁業や沈下橋もあるから無理だろうか。
江川崎以降、各駅で乗降客がある。ワンマン列車だから、乗る人は整理券を取るだけ。降りる人は精算だ。ひとりずつ、ゆっくり。都会のバスやICカード精算のリズムとは違う。それでも土佐昭和駅を発車するときに、運転士が「発車、定時」と言った。私のトイレ休憩のロスは取り戻してくれたようだ。安心した。
車窓は鉄橋とトンネルと川岸の繰り返しだ。そういえば、江川崎からこちらがわは鉄橋とトンネルが多い。つまり、線路は広見川には丁寧に寄り添っているけれど、四万十川に対しては直線ルートで串刺しだ。こちらのほうが建設時期が新しい。調べてみると、宇和島―江川崎間は大正時代から建設が始まり、1953(昭和28)年までに延伸している。
これに対して江川崎―若井間の開通は20年も遅く、1974(昭和49)年であった。新技術で長いトンネルや橋ができ、全体的に直線的な線路だ。キハ32はスピードを上げる。これがホントの実力だと言わんばかり。体感速度としては特急列車並みだ。各駅停車だけど駅間が長いから速い。都心の通勤路線なら間に数駅はできるだろう。いや、むしろ集落ごとに簡易な駅を作れば良いと思う。
土佐大正駅、打井川駅と続く。この二つの駅は、海洋堂ホビー館四万十の最寄り駅だ。最寄りと言っても駅からバス。そのバスは日曜と祝日のみ。今日は祝日だから走っている。しかし私の行程では立ち寄る時間を作れなかった。
海洋堂ホビートレインがいた
海洋堂ホビー館四万十と連携した海洋堂ホビートレインとは、家地川の先の川奥信号場で出会った。川奥信号場は土佐くろしお鉄道中村線と予土線の線路の分岐点、そして中村線のループ区間の入り口としても知られている。見下ろせば中村線の線路がちらりと見える。
川奥信号場、崖下に中村方面の線路がある
そして、土佐くろしお鉄道中村線と予土線の旅客扱い上の分岐点は次の若井駅だ。その次が終点の窪川駅である。私はここからトロッコ列車「しまんトロッコ」で折り返す。その黄色い車体が見えた。そして帰り道は何度か折り返して、予土線三兄弟すべてに乗るつもりである。次男の海洋堂ホビートレインよ、三男の鉄道ホビートレインよ、もうすぐ対面だ。私たちは出会う運命(ダイヤ)なのだ。
窪川駅に到着

しまんトロッコが待機中
-…つづく
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