第569回:BRT専用道の景色 - 大船渡線BRT 小友~盛 -
気仙沼線側の専用区間は途切れ途切れだったけれど、大船渡線のBRT区間は小友から盛までが専用道である。距離としては20キロ未満、被災区間の半分程度に当たる。いま、このバスは旧線路上を走っている。ノコギリの刃のようなリアス式地形の半島をなぞる。鉄道の旅とは言いがたいとは言え、優先道路は気持ちがいい。
専用道は車1台の幅しかない道路で、きれいに舗装され、白いガードレールもついている。ガードレールは専用道の両側のほぼ全区間にあって、ない場所と言えば切り通しとトンネルくらいだ。ガードレールは「ここはバスの線路」と主張しながら伸びている。

BRT専用道、トンネルは鉄道の雰囲気を残す
いっそガイドウェイバスにすればいいと思ったりする。そこまで徹底すると、鉄道復旧の意欲なしと思われそうだ。いや思っていると思うけれども。そういえば、愛知万博でトヨタが出品した自動運転バスがあった。IMTSといって、道路に磁気マーカーを打ち込み、バスはその印を辿って自動運転する。BRT区間は自動運転のモデルコースとしても使えそうだ。ますます鉄道が要らない方向に考えが進む。
専用道に鉄道の面影は少ない。それでも、一般道との交差点に作られた踏切警報器と遮断器、そしてトンネルポータルは鉄道のものだ。そして、道路にするにしては崖っぷちなど険しいところを通る。開けた場所に出ても見晴らしが良い。駅のない線路沿いに、わざわざ家を建てる人はいなかった。今となってはそれが寂しい。

白いガードレールが続いている。線路は人里から離れていたようだ
碁石海岸入口というBRT駅で若い男性が1名乗車。次の細浦BRT駅では女子高生が1名乗車。通学時間の始まりである。大船渡、盛へ向かって乗客が増えていくようだ。細浦BRT駅の先に、旧細浦駅のプラットホームが残っている。その手前に遮断器のない踏切があり。赤信号を示していた。交差する道は細い。鉄道で言うなら第4種踏切だ。警報器も遮断器もない。ただし、道路信号機はついている。赤信号の隣に“車両感応式”の文字がある。すぐに青信号に切り替わった。
次の下船渡までが、もっとも海岸に近い区間のようだ。ノコギリ状の海岸線の刃にあたる部分。対岸に隣の半島が見える。ここが大船渡湾である。こちらの海岸は切り通しの山に松の木が立っている。その下の海には小さく突き出した岩場がある。対岸の半島はやや霞んでいる。今まで見てきた津波の爪痕を忘れさせるような、良い景色である。

リアス式海岸に沿う、景色が良い
そういえば、母の実家の銭湯で、この景色に似た男湯のペンキ絵を見たような気がする。東京の銭湯のペンキ絵は富士山が定番だけど、いつも富士山というわけではなかった。飽きられてしまうからだろう。松島だったり、どこかの海岸だったりする。ペンキ絵には水面が必ずあって、それは湯船から連続するイメージだと聞いたことがある。
切り通しに海の視界を遮られたところに信号所があった。上りBRTが先に到着して待っている。行き先は陸前矢作だ。大船渡、盛エリアの通勤通学圏を走る区間列車……バスである。あのバスは奇跡の一本松の手前で右折、陸前高田BRT駅を通って、線路沿いに竹駒に停車、陸前矢作へ向かう。私が乗ったバスよりも、あの区間運転バスの方が線路に沿う区間が長い。悔しいけれど、単線の専用道の信号所で、進路交換を見物できた。BRTらしい景色に満足した。

BRTバスの交換風景、黒部のトロリーバスとは違って開放的
ふたたびペンキ絵海岸を通る。バスの窓は大きいけれど窓ガラスにラッピングキャラクターの影があり、車窓が台無しだ。ハイデッカーで、気仙沼と盛を結ぶ急行便を作ってくれたらいいと思った。もちろん柳津で列車と接続してもいい。かつてのリアス・シーサイドライナーのバス版だ。BRTは悔しいほど良くできた設備だけど、遊び心が足りない。

バス外観は楽しげだけど、この車窓は残念
海岸から少し離れて下船渡BRT駅に到着。車線に拡幅されて、バスの交換ができる駅である。なぜかガードレールが途切れて、街中への出入口がある。BRT区間がここで終わっていた時期があり、バスが駅前広場を発着したそうだ。その出入口が閉じられていない。緊急車両やBRT専用道の保守用車両のために残しているのだろうか。運転士さんに聞いてみたいけれど、御法度である。
ここから大船渡の市街地が続く。線路だった道は築堤を上り、見晴らしが良くなった。築堤を降りると林に囲まれる。踏切のそばに、「未来を夢見て今を生きる」と大書されていた。BRTの乗客向けのメッセージだ。その通りだと思う。被災してもしなくても、大事なことだ。

下船渡BRT駅、BRT出入口はBRT区間延長前の名残らしい
海側の景色が物々しくなっている。クレーンがいくつも立ち、赤白の煙突が湯気を吹いている。大船渡駅周辺ではなく、対岸のセメント工場かもしれない。こちらの海岸にもクレーンがある。まだ就業時間ではないから、どんな動きをするかわからない。でも護岸工事だろうという予想はできる。
奥深い入江の奧でさえ津波はやってきた。震災から3年経ち、建物は増えた。初めて訪れた旅人は、ずっと前からこのような街並みだったかと思う。しかし、よく見るとコンクリート製の電柱がすべて新しい。今後は電柱が被災地の印になるかもしれない。

市街地の中心に向かうほど、被災復旧工事も増えていく
大船渡市を襲った津波は9.5メートルと推定されている。なぜ推定かと言えば、観測設備の上限を超えてしまったからだ。大船渡市の被害は死者340人、行方不明者79人、建物被害は5,577世帯だった。公園、公立学校に応急仮設住宅が約1,800戸。足りない。今さらどうにもならないけれど、3回の冬をどのように越したか心配になる。

大船渡BRT駅に到着。付近は住宅地のようだ
大船渡線の路線名の由来になった大船渡BRT駅に着く。専用道の片側が拡幅されており、ここもバスの交換ができる。対向バスもなく乗降客もなし。バスは一旦停車して、すぐに走り始めた。付近には集合住宅も多いけれど、誰も乗ってこない。降りる人もいない。大船渡市の町の中心は盛駅付近なのだろう。ここは郊外。そして今日は晴天。盛までは3キロ足らずだから、鉄道好きの私でも自転車で走りたい。

三陸鉄道の線路が寄り添う、やっと鉄道に辿りついた
車窓の左側から線路が寄り添う。三陸鉄道南リアス線だ。三陸鉄道の盛駅付近は1年前に再開し、4日前に釜石駅まで全線開業した。白い車体に赤と青のラインが入った気動車が見える。ああ、鉄道の車両だ。次はあれに乗るんだ。BRTはおもしろかったけど、やっぱり鉄道がいい。

盛駅に到着。鉄道の駅もBRTバス用に改装されていた
-…つづく
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