第587回:新婚さんと中年さん - 寝台特急カシオペア 2014秋 1 -
スズキ・スイフトは札幌市街に入った。正面に山が見える。
「札幌の街って山が見えるんですねぇ」
「そうだな」
札幌駅には何度か来た。しかし駅から離れたことがない。記憶をたどってみる。時計台の小ささに驚き、路面電車に乗り、大通公園でトウモロコシを食べた。あれは高校生の頃。30年も昔の話だ。
レンタカーを返した。営業所は札幌駅北口に隣接している。少し時間があったから、土産物を覗いた。私の北海道土産の定番は白いブラックサンダーである。自分に、仕事仲間に、留守宅で犬の世話をしてくれる母に、犬の床屋さんのスタッフ用に……と買い込む。大きな紙袋にいっぱいになって、Y氏が呆れている。
4番線ホームに上がった。カシオペアはまだ入線していない。15時47分発の千歳行きが発車するところだった。Y氏はベンチに座った。私は落ち着かない。水を得た魚、駅に来た私。ホームを歩き回り、JR北海道の車両たちを撮る。ベンチに戻ると、Y氏もコンパクトカメラを構えている。何を撮っているのだろう。

札幌駅4番線にカシオペア入線

北海道新幹線開通と同時に廃止という噂
これで乗り納めか……
カシオペア到着のアナウンス。私はY氏の元を離れて、向かいのホームでカシオペアの入線を待ち構えた。列車の全景を撮りたかったからだ。戻ってくると、Y氏が怪訝な表情である。どこに行ってたんだ、と言いたげで、言わない。鉄オタのやることに関心がないフリか。
彼にとって初めてのカシオペア、初めての夜行列車かもしれない。しかし落ち着いている。もっとはしゃいでもいいと思う。私とは正反対だ。もっとも、これが大人の振るまいなのだろう。

メゾネット2階のリビング
ソファは補助ベッドにもなる
私にとってカシオペアは2回目だ。しかし気持ちは盛り上がる。始発の札幌からの乗車は初めてだ。前回は東室蘭からの途中乗車で、すでに夜。今回は始発駅の雰囲気も楽しめて、しばらくは明るい車窓を楽しめる。そして、今回はひとクラス上のメゾネットスイートだ。
「おおっ」
「いいなこれは」
Y氏と私の感動が重なる。まず2階、リビングルームだ。そして1階、シングルベッドが二つ並ぶ。間接照明だ。そして2階に戻る。Y氏がどっかと座り、うむ、と満足そうな表情だ。その姿を撮る。親しい人にだけ見せよう。

階下は寝室。撮影の後、Y氏が待ちかねたように窓際に倒れ込む
列車が動き出す。この瞬間は心が躍る。Y氏の顔が綻んでいる。念願のカシオペア、うれしいに違いない。私もうれしい。前回は母と乗りましてね。それはいいことしたね。そんな会話をする。せっかくの旅だ。なるべく仕事の話はしないようにしたい。が、いずれ仕事の話になるだろう。なにしろお互いに仕事しかない。遊んでいないというより、仕事が趣味みたいなところがある。
ウェルカムドリンクをいただき、客室は動くカフェとなった。2階のリビングで空を見渡す。レンタカーを借りたときは快晴だった。しかし雲が増えている。その雲の向こう……。

ウェルカムドリンクのワインでリラックスモード
「あ、飛行機だ」
おまえ、こどもみたいにはしゃぐんだな、という顔をされたけれど、機影が近づくと、窓に顔を並べて見上げた。双発のプロペラ機。車輪が出ている。千歳基地に降りる自衛隊機だ。
「千歳空港のそばですね。さっき、ここに降りたんだなあ」
「せっかく札幌まで来て、泊まりたかったなあ」
「無理でしょ、忙しいし」
「そうだな」

南千歳駅付近でプロペラ機と離合する
「明るいうちに、展望ラウンジに行きましょう」
なぜ上り列車を薦めたかと言えば、最後尾が展望ラウンジだからである。乗客なら誰でも利用できる。その景色を見たいし、見せたい。最後尾へ向かって歩く。2号車から12号車へ。食堂車を過ぎると、延々と細い通路。揺れる列車内を200メートルほど歩く。長いな、と思いつつ、ああ、これはマズい。Y氏はイラチではないか。
しかし、ラウンジに到着してみれば、Y氏は上機嫌であった。メゾネット個室もいいけれど、広々とした空間は心地よい。窓も大きい。景色は夕刻の北海道である。空の色が変わっていく。良いタイミングだ。入り口付近にY氏は座る。カメラを向けるとサムアップのポーズ。上機嫌とみた。最後部の椅子が空くと早速移動する。楽しそうだ。よかった。

ラウンジから薄暮の車窓
「あっ、どうぞどうぞ」とY氏が私の後ろに声をかけた。振り返ると、20代と思わしきカップルがいて、互いに写真を撮り合っている。Y氏は彼らに特等席を譲った。新婚旅行だという。
「私が撮りましょう、さあ並んで」
Y氏がカメラマンである。その風景がおもしろい。なにしろ彼は有名なパソコン雑誌の編集長だった。誌面にもおどけたポーズで写真を載せていた。個性的なキャラクターで、PC分野ではちょっとした有名人である。このご夫婦は若いから、もしかしたら彼が手がけたPC雑誌を読んでいたかもしれない。Y氏と知ったらビックリするかも。

サービス精神旺盛なY氏
「おまえ、なにニヤニヤしてんの。あ、そうだ。キミが撮りなさい。いいカメラ持ってるし。あのね、この人、鉄道ライターなんですよ。写真もうまいですから」
うわ、なんてことを。先にバラされてしまった。しかし大丈夫。私は有名ではない。そして良いカメラは正解である。フルサイズのデジタル一眼レフを抱えている。もちろん商売道具だから。
ポーズを変えてもらい、何度かシャッターを押す。フルサイズで明るめのレンズだから、フラッシュは使わない。客室の間接照明でも十分に表情を捉えられ、展望窓の風景もちょうど良いぼけ具合で見えている。フラッシュ撮影ではできない写真だ。ただし、シャッター速度はやや遅め。手ぶれ補正レンズでも、タイミングによっては流れてしまう。5分ほど撮らせていただいて、名刺を渡した。後日メールをいただければ、データを送りますので。

とても幸せそうなご夫婦であった
写真を送った後の交流はない。
迷惑だったかもしれない(笑)
ご夫婦が引き上げると、Y氏も部屋に戻った。私はラウンジに残る。二人旅とはいえ、ひとりの時間も必要だ。そう気遣ったつもりが、ここで私もひとりになった。18時を過ぎ、ディナータイムが始まったからだろう。景色も暗くなっている。ラウンジ、1両、ひとりじめ。思いがけず贅沢な時間を過ごしている。

ひとり、静寂な時間を楽しむ
-…つづく
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