第564回:線路があるところまで - 気仙沼線 前谷地~柳津 -
代行バスで浦宿駅に戻ると、石巻線の列車が待っていた。来たときと同じマンガッタンライナーであった。この車両は小牛田から出勤したあと、石巻と浦宿を往復する任務かもしれない。空いていたから、石巻到着までの約10分、壁に掲げた石ノ森キャラクターをじっくりと眺めた。

代行バスで浦宿へ戻る。道路にダンプ。線路にマンガッタンライナー
この車両は座席の配置が独特で、通路を挟んで片側が4人掛けボックスシート、片側は一人掛けの向かい合わせだ。座席が少ないぶん、通路が広く、立ち客を詰め込む配置である。通勤通学客が多い路線向けの仕様だ。7年前に乗ったとき、確かに高校生たちで混雑していた。

通勤通学仕様の車内。ロングシートにせず二人用ボックスシート
15時12分。石巻着。一緒に降りたおばあさんに、「3番線はどこでしょう」と言われた。構内放送で小牛田方面は3番線と案内されていた。私は、「跨線橋を渡ったところかなあ」と応えた。
女川でよく歩き小腹が減ったので、改札を出てコンビニでおにぎりとパンを買う。駅構内に戻り、跨線橋を渡る。しかし渡った先は4番線と5番線である。

石巻駅の跨線橋。エレベーター建屋にも石ノ森イラスト
しまった、おばあさんに間違って伝えてしまった。さっき降りたホームが3番線だった。駅舎に続いていたから、そこが1番線だと勘違いした。石巻駅は仙石線の1番2番ホームが頭端式で駅舎に続き、3番線も駅舎に隣接している。
「降りたホームから発車する」と案内してくれたらよかったのに、わざわざ3番線と言うから違う場所だと勘違いしてしまった。いや、放送のせいにしてはいけない。私の勘違いで、おばあさんはその道連れである。私は階段を下りて、4番・5番ホームでおばあさんを捜そうとした。しかし発車の時刻が近づいている。間に合わない。

なんと、エレベーターの扉の内側までキャラクターがいる
申し訳ないことをした。きっと乗り遅れてしまっただろう。もう会うこともなく、お詫びもできない。薄情だが、私は先を急ぎたい。3番線の列車に乗ると、なんと、あのおばあさんも乗っていた。別の人に聞いたか、私の間違いに気づいたか。いずれにしてもかなり気まずい。私は身を潜めて隣の車両に移動した。
キハ40形の2両編成。帰宅の高校生が多く、座席は埋まっている。周囲に建物がない。しかしここは被災地ではなく、水田地帯であった。このあたりは旧北上川の水の恵みを受けている。約20分で前谷地に着く。降りてホームを見渡す。おばあさんはそのまま乗車していったようだ。

前谷地駅で気仙沼線に乗り換え。キハ110が1両
石巻線と気仙沼線との接続は5分。ちょうどよい。ちょうどよすぎて駅舎を眺めにいく時間がない。気仙沼線はキハ110形が1両であった。高校生が多く、座席が9割ほど埋まっている。そこに割り込むように座って窮屈な思いをするくらいなら、立って前面展望を楽しもう。そんなつもりで運転台へ近づくと、運転席の横に便乗の運転士が立ち、何か用か、という顔をする。
挨拶代わりに、「これは気仙沼線ですか」と言うと、「そうです柳津行きです」と言った。気仙沼線の終点は気仙沼だけど、列車は柳津まで。そこから先はBRTである。しかし彼は多くを語らない。BRT運行開始から1年半以上経った。BRTは周知の事実であった。BRTは“バス・ラピッド・トランジット”の略で、つまりは線路をバス専用道とし、列車の代わりにバスを走らせている。

快晴の仙台平野を行く
東日本大震災で、気仙沼線は全線が運休した。そのうち鉄道で復旧できた区間は柳津駅までの17.5kmだった。ここから気仙沼までの55.3kmは路盤崩壊や鉄橋流出など損傷が大きく、復旧には地元の復興計画との調整が必要とされた。紆余曲折の後、JR東日本は交通手段確保の観点からBRTによる復旧を提案し、地元自治体には「仮復旧」という条件で了承された。
私にとってBRTは鉄道でも列車でもないし、全国全線乗車の対象外だ。鉄道があるうちに乗っておきたかったと悔やまれる。願わくは鉄道として完全復旧してほしい。しかし鉄道の維持はカネがかかる。地元の人々にとっては、移動手段があれば列車だろうとバスだろうと関係ないとも思う。乗車記録の対象外とはいえ、乗りもの好きとしてはBRTも興味深い。見どころがあれば、今後はバス路線もすべて……いや、それはさすがに無理がありそうだ。

旧北上川の支流をいくつか渡った
便乗運転士さんに遮られて前方は見えにくいけれど、扉の窓から車窓を眺める。周囲一面に水田が広がっている。水田の中に家がいくつか建っている。真四角な敷地は田圃1枚ぶんを転用したのだろう。庭の木の花は梅だ。4月上旬、日当たりは良いけれど、まだ桜の時期ではない。
石巻から前谷地、そして前谷地から柳津までは旧北上川に沿う地域である。水の恵みが多いところだ。この旧北上川は車窓からは見えないけれど、線路はときどき支流を渡る。水田の水の源だろう。旧北上川は石巻市に達する。石ノ森萬画館は旧北上川の河口の中州にある。
旧北上川は古来より洪水を起こしたため、江戸時代の仙台藩が治水と利水を繰り返した。これで大規模な新田開発が行われ、仙台藩は石高を増やし、米を江戸や大坂へ売って儲けたという。旧北上川の水運も役に立ったはずだ。ただし、蛇行する北上川はたびたび洪水を起こした。そこで明治時代に大規模な分流工事を実施した。その分流地点が柳津付近で、ここから南へ向かう川を拡大した。それが新北上川である。

柳津駅着。赤いバスが待っている
前方に山並みが近づいている。気仙沼線はあの山を越えて南三陸の海に至る路線である。しかし列車はもうすぐ終点の柳津だ。大きな川を鉄橋で渡る。ここが旧北上川と新北上川の分流地点である。鉄橋を越え、街並みに降りて柳津駅着。鉄路はここまでという無情。駅舎の向こうに復興行きBRTの赤いバスが見えた。

ここから先、列車は走らない
BRT道路になってしまうかもしれない
-…つづく
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