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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第579回:Have Fun ! - 三陸鉄道北リアス線 陸中野田~久慈 -

更新日2016/03/10


陸中野田駅から先は山道である。海側に小袖半島が突きだしてからだ。リアス式海岸は小さな半島と入り江が連続している。線路は半島の付け根と入り江の奧を結んでまっすぐ敷かれている。だから列車は飛び石を踏むように、入り江の頂点を走り続ける。ホップ、ホップ、ホップ……。

あれ、それにしては、北リアス線は入り江がなかった。山道は長く、海沿いは海岸が長い。南リアス線とは雰囲気が異なる。ずいぶん地形が変わっていると思って地図を見た。東北地方全体を見ていると気づかないけれど、海岸線を拡大してみると形が違う。南リアス線のあたりはノコギリの刃のようであり、北リアス線あたりは刃こぼれした包丁のようだ。


春まだ遠い山道の風景

さらにネットで調べると、北リアス線の沿線はリアス式海岸ではなく海岸段丘という地形だという。北リアス線を名乗りながら、リアス式海岸を通らないとは……。しかし、三陸鉄道は南北に路線が別れていて、南側を南リアス線と名付けたら、北側は北リアス線と呼びたくなる。その気持ちは理解できる。北海岸段丘線は呼びにくい。

地図の小袖半島の海側に、小袖海女センター、つりがね洞の文字がある。どちらも『あまちゃん』のロケ地である。駅や線路からは遠い。やっぱり三陸海岸は船で観光したい。遊覧船と三陸鉄道を組み合わせて往復したら楽しいだろうと思う。三陸の風景をすべて見た気分になれそうだ。


陸中宇部駅

列車が走る山道も趣がある。林の中を突き進むような景色があり、ゆるいカーブの先に、ぽつんと小さな駅がある。陸中宇部駅。駅に着くまでは木々で遮られていたけれど、駅を出ると左側の視界が明るくなった。民家が並ぶ。手前の黄色い壁は保育園のようだ。地図を見ると小学校や中学校がある。ここは宇部町。もう久慈市に入った。

また林の中。前方を注視していると、ゆるい左カーブの外側に人の背丈よりすこし大きめの観音像がある。観音像が右側の窓にやってくる。墓地だった。階段構造の整った敷地。墓石はどれも新しく、彫り込まれた文字が白く輝く。更地の区画も多い。きっと震災の犠牲者向けなのだろう。あるいは海沿いから移されたか。私は揺れながら黙礼した。列車の扉の窓ガラスに額が当たった。


久慈駅に到着

線路は築堤と高架に変わった。見晴らしが良く、久慈市の中心の街を見渡せる。築堤が切れて鉄橋となり道路を越えた。また築堤、鉄橋。今度は川を渡る。渡りきったところが久慈駅の構内だ。空色に塗られたディーゼルカーが出迎えてくれた。その奧に国鉄型の赤いディーゼルカーも並んでいる。とうとう久慈駅にきた。三陸鉄道を乗り通した。14時49分。“袖ヶ浜”で長居をした気がするけれど、定刻であった。


跨線橋に『あまちゃん』の展示

当初の予定では7分後の八戸線の列車に乗り、八戸発18時12分のはやぶさ32号で東京へ帰るつもりだった。しかし、そのあとも東京行きのはやぶさは2本ある。私は次の列車に決めた。17時ちょうどの八戸線に乗り、八戸発19時06分のはやぶさ36号に乗る。三陸鉄道を乗り通して、久慈駅を素通りしてたまるものか。


三陸鉄道北リアス線の久慈駅
北三陸鉄道の北三陸駅だった

さて、2時間の町歩きだ。駅前広場から見渡して、もっとも広い道を歩く。まちなか水族館が気になる。もうすこし歩いてみよう。あまちゃんハウスという建物を見つけた。よし。ドラマゆかりの施設だ。洋服屋を改装したような建物だ。

中に入ると海女姿の若い女性が二人いた。案内係のようだ。入場無料とのこと。しばらくドラマの思い出を語り合う。たぶん、ここに来る人は皆そうするのだろう。「私の母は、BSの朝の回と地上波の朝の回、昼の再放送を欠かさず見ている。なぜ同じ話を3回も観たがるのか」「うちの母もです」。二人とも笑いながら、上手に頷いて話を聞いてくれる。


北三陸鉄道本社ビルだった建物は取り壊し予定という

館内はドラマの小道具や衣装、駅や部屋のスタジオセットを再現するコーナーもある。小さな建物だけど、2階建てで、ドラマファンには見どころも多かった。劇中に登場した鉄道模型のジオラマが興味深い。実物である。鉄道好きにとっては嬉しい。

『あまちゃん』は、演出の細かいところにネタを仕込むドラマだった。特に主人公の母親、小泉今日子さんのアイドル時代や、その時代のプロレスネタも。スタッフが往年のアイドルファンで、きっと楽しんで仕事をしたのだろう。


あまちゃんハウスの北三陸駅再現コーナー

劇中では大物俳優として薬師丸ひろ子さんも出演する。私が10代だった頃の美少女スターである。彼女は合唱部が優秀な都立八潮高校に通っていただけに、歌もうまかった。レコードも売れていた。その薬師丸さんが音痴な役である。これは特に往年のファンには判りやすい伏線で、いざという時は美声を聞かせてくれると期待しながらドラマを見た。


劇中で登場したジオラマ

鉄道模型のジオラマには感動した。劇中の三陸鉄道には鉄道ファンも出演する。鉄道職員も鉄道を愛している。だから、鉄道会社の本社にジオラマがある風景は意外ではない。劇中でもよくネタにされていた。

しかしこのジオラマは、大きな伏線だった。ドラマでは東日本大震災の時期を避けて通れない。しかし、凄惨な映像をどうするかで注目が集まった。そこに登場した場面がこのジオラマだ。北三陸鉄道を模したこのジオラマを映し、劇中の沿線各地の被害状況を簡潔に説明してくれた。そのためにこのジオラマは存在していたのであった。


海女さんたちの寄り合い所も再現されている

辞する時、案内係の女性に、他の見どころを聞いた。劇中に登場した“まめぶ”を食べたかったけれど、考案者の店は店じまいが早いらしい。あとは水族館、お土産を探すなら道の駅とのことだった。


物語後半に登場する海女カフェ

さきほど通り過ぎた“まちなか水族館”に立ち寄る。ここも無料。少しはお金を使わせてほしいと思いつつ、ありがたく拝観する。この水族館は、もともと沿岸部にあった“もぐらんぴあ 久慈地下水族科学館”の代替施設と説明書きにある。

もぐらんぴあは沿岸地下の石油備蓄施設跡を改装した水族館だった。しかし震災で壊滅。僅かに生き残った生き物たちをここに移した。展示物が少なくて寂しいからと、魚博士のさかなクンが寄贈した魚たちもいる。さかなクンは『あまちゃん』でも魚博士として出演していた。もぐらんぴあの再建にも協力しているそうだ。


まちなか水族館の水槽は小さい
アクアリウムファンには親しみやすいサイズ

奧に体験コーナーがある。回りに係員がいなかった。しばらくすると飼育係の若い男性が通りがかった。ドクターフィッシュだという。聞いたことがある。人の皮膚を食べる習性がある。古くて剥がれかけた角質を食べてくれるため、美肌とか、肌をつつかれる刺激による癒し効果がある。その“角質つっつき”体験ができる。1回100円。やってみた。くすぐったいような、小魚と戯れているような、愉快な気分であった。


さかなクン本体?

久慈で町歩きの時間を取って正解だった。宮古で買い物、久慈で町歩き。たっぷり列車に乗って車窓を楽しむ。充実した一日である。私はとても楽しかった。それでいいんじゃないか、と思った。

東日本大震災は忘れられない。忘れてはいけない。三陸の人々の誰もが、心に刻みつけられた悲しみの傷を持っている。しかし、瓦礫が跡形もなく片付けられたように、その傷を表に出さない。観光で訪れる人々に楽しんでもらいたい。良い思い出を作って、また来てもらいたい。そんな思いを強く感じた。


ドクターフィッシュに遊んでもらう

悲しみは誰にでもある。私は被災しなかったけれど、40年以上生きて共や家族を病気や事故で失っている。ふだん、それを表情や態度に現さない。それと同じことなのだ。心の中の悲しみは心の中にしまっておいて、楽しみに来たら楽しめばいい。

Have Fun !

海外のオンラインゲームのチュートリアルモードで、ときどきこんな言葉が現れる。それがふと心に響いた。

Have Fun ! 

楽しんでくれ。まあオンラインだし、いろいろ面倒もあると思うけど。まあ、楽しめ。それだけだ。

そうだ。旅人は楽しめばいい。私にできることは、その楽しさを誰かに伝えることくらい。それでいいじゃないか。

なんとなく、旅の結論が出た気がした。そして腹が減った。

 

#「もぐらんぴあ」は元の場所に再建され、2016年4月23日に営業再開予定。「まちなか水族館」は3月末に閉館予定。

-…つづく


杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

<<杉山淳一の著書>>

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■著書
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列車ダイヤから鉄道を楽しむ方法
杉山淳一 著


『ぼくは乗り鉄、おでかけ日和。』 ~日本全国列車旅、達人のとっておき33選~』

ぼくは乗り鉄、おでかけ日和
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