第41回:チャイナタウン・エレジー・3 〜突入!そして…
更新日2002/12/19
「突入準備!」
無線から聞こえる現職の米陸軍曹長アレックスが発する英語の発音は、まるで最前線での指令のようだった。私は、
「了解!」
と返答をして、サイモンの車から50mの距離にある木陰で、ロングコートの男の行動を注意深く見守った。
やがて、男は、シビックのボンネットの上に腰かけ、堂々とタバコを吹かし始めた。傍から見た目は、まるでそれが自分の車のようにも見える。しかし、次の瞬間、目を疑った。コートから何か光る物を取り出して、車の屋根に突き立てたのだ。それが、大型のサバイバル・ナイフと気付くのに時間はかからなかった。ナイフを車の屋根に突き立て、それを使い、ギリギリと傷を付けているのが分かった。もうゆっくりしている余裕はない。
再びアレックスから無線が入る。
「ブラボー、チャーリー、オペレーションCに変更、突入用意!」
私は、思わず口の中が、酸っぱくなる緊張感に包まれた。ある程度予想はしていたが、打ち合わせで決めたオペレーションCとは、GUNをホルスターから抜いて、武装状態で突入する隊形で、相手がサバイバル・ナイフで武装している以上、素手では確保できないので仕方がない。私は、アレックスの指示通り、1911A1を抜き、合図を待った。耳の奥で自分の脈打つ音までもが聞こえる。
渡米して約1年。私は何か自分の進む道を間違えたのではないか、という葛藤に苛まれた。一人で渡米するにあたり、ある程度危険な計画という覚悟はしてきたが、今は自らその危険に飛び込もうとしている。いや、私一人ではなく、経験豊富なアレックスやアレンも一緒だ。自分に言い聞かせた。
「総員、突入! 確保!」
自分の試行錯誤していた思いとは裏腹に、無線から無常な指示が入った。私は予定通り木陰から飛び出し、息を殺し、足音を極力押し殺したダッシュでナイフ男に忍び寄った。途中で少し、雑音混じりの無線が入ったような気がしたが、かまわず走った。すでに相手とは、10mの距離まで近付いていた。そして自分への恐怖を忘れさせるような大声で叫んだ。
「フリーズ!…?」
男は、私の声を聞く寸前に車の逆側に身を躍らせた。しかも、フルサイズのBMWが、バックギアの音を響かせながら、猛烈なスピードでバックしてきて、私の真横でブレーキをかけた。すかさず、黒コートの男は、BMWの後部座席に逃げ込んだ。僅か3秒くらいの出来事だった。私には、その間の発砲も可能であったが、ここで撃ってしまっては、正当防衛も認められない。唖然として、GUNを腰の高さまで降ろし、そのまま、0.5秒あれば、どの範囲にも射撃が可能なポジションを取った。
BMWは、不気味にもアイドリング状態でそのまま止まっている。スモークを貼っているので、中の状態は分からなかった。しかも、アレンたちは、私たちの位置よりも15mほど離れた位置でGUNをかまえて、こちらを援護する姿勢を取っていた。先程入った無線は、このBMWが急激にバックしてきたための、突入中止の命令だったのだ。こちらからは、死角だったために私だけが飛び出してしまったのだ。
作戦は、完全に失敗だった。単なる個人のストーカー行為と断定していたが、これが組織的なモノであることは、気付かなかった。しかも、今はかなり危険な状態だ。その内、呆然と立ち尽くす私の横で、スモークされたBMWの助手席のパワーウインドが、ゆっくりと下がった。
私は、1911A1の安全装置を外して、助手席に狙いを付けた。運転席と助手席には若い中国人が乗っていた。私にGUNを向けられた助手席の男が、静かに口を開いた。
「よう、ガードマン。元気か?」
私は、生まれて初めてGUNを人に向けていたが、まるで、その男はその恐怖に全く動じていない口調である。
「ナイト気取りもいいが、調子に乗ると、ファロロン島行きになるぜ。」
と言ってきた。ファロロン島とは、サンフランシスコ湾の遥か西にある無人島で、殺されてシスコのベイに沈められると、潮流でその島に流れ着くぞ、という、マフィア特有の脅し文句だった。
私は、勇気を振り絞り、
「生憎、水泳は得意なものでね。」
と答えた。
「楽しい奴だな。記念写真を撮ってやる。」
と運転席の男が、いきなり、カメラを出して私にフラッシュを浴びせた。同時にBMWは、ゆっくりと走り出し、辺りが再び静まり返った。全身の力が抜けて倒れそうになると、安全を確認したアレンたちが、歩み寄ってきた。
「大丈夫か?」
気付くと私の手の平はGUNが握れないほど汗でベットリしていた。アレックスは、軽く私の肩を叩き、
「これで、お前も有名人になったな。」
と言って笑ったが、冗談ではなかった。下手をすると、マフィアの注意人物のアルバムに入れられたかも知れないのだ。
「まあ、何とかなるって、SFPD(サンフランシスコ警察)にも知り合いは沢山いるし、何かあれば何時でも力になるぜ。」
と他人事のように励まされた。
3ヵ月後、チャイナタウンにある600名が入る大披露宴会場で、サイモンの盛大な結婚式が行われた。アレックスは、軍で中東に派遣され不在だったが、アレンと私は、サイモンの親戚と同じ上座に席を招待された。中国式の赤いドレスを着た花嫁と一緒に、彼は私たちに近寄り、
「あの時は、世話になったね。お陰でこの通りさ。」
と涙を浮かべて、喜びをかみ締めていた。あの事件以来、元彼の悪質なストーカー行為もなくなり、二人は無事ゴールインできたのだ。人のために命を賭けるのも、たまには悪くないと実感した瞬間だった。
第42回:チャイナタウン・エレジー・4 〜ハロウィーンの夜