第33回:大道芸人
更新日2002/10/24
サンフランシスコに2ヶ月近く生活していると、次第に米国に住んでいる生活感も実感できるようになった。しかし、まだダウンタウンの安ホテル暮らしであることには変わらない。このイースタン・ホテルは、1ヶ月280ドルの安ホテルで、ヨーロッパやアジアからの長期滞在者が多い。
それだけこのシスコという街は魅力に溢れているのだろうか。急勾配の坂に沿って建てられたビクトリア調の家々、青い海とみごとに自然に調和した金門橋、古風なケーブルカーと太平洋からの霧、米国内で歴史と西洋とアジアとが融合した文化をもつ珍しいこの街に心惹かれるのは、なにもわれわれ外国人だけではない。それに、こういう安ホテルならではの楽しい出会いも多いのだ。
仕事が終わり、部屋にはもちろん冷蔵庫などないので、窓の外で冷やした缶ビールを1本抜き取り、一杯やることにした。銘柄は、キング・コブラ・ビールで500cc缶が50セントの超激安ビールである。シスコは夏でも夜の涼しい場所であるが、昼は暑かったので意外とビールがうまい。ノスタルジックな汽笛とケーブルカーの音を聞きながら飲むのは、結構おつなものだった。
しかし、夜8時頃になると、隣の部屋から南米民族音楽風のミュージックが大音量で聞こえてくる。けして嫌な音ではない。'エル・コンドル・パサ(コンドルは飛んでいく)'などは、なじみのある曲であった。そして、その音楽の伴奏が狂い始めるとやがてその音楽は、終演に向かうのだ。
「来るっ!」とっさに私は判断したが、来ない日もある。だが、「ブエナス・ノーチェス・アミーゴ」という声とともに、私の部屋のドアをノックをする音が聞こえた。
「来た…。」
ドアをガチャリと開けると、テキーラのビンを抱えたアントニオとマリオが立っていた。
「クニ! テキーラだよ、飲もう!」
と、部屋の入り口で、南米の民族衣装を着たインディオの二人が笑顔で立っている。
彼らは、南米エクアドルからやってきた旅芸人たちで、街頭で演奏しながら、自分たちのCDやカセットを販売して旅行している5人グループだった。ある日、一度だけフィッシャーマンズ・ワーフまで私の会社のツアーバンで送って行ったことがきっかけで、顔見知りになったのだ。
私が、「OK!」
と言って部屋に二人を入れると、すでにできあがっていたマリオは、私のベッドの上に横になり、ハーモニカを吹き出した。もっぱら、お喋りするのは、リーダーのアントニオの方で私と同じ年齢なので、気が合ったのだ。
親指の付け根に置いたひとつまみの塩を、おもむろに舐め、同時にテキーラを紙コップで飲み干す。そして仕上げにライムをかじる。この南米流テキーラの飲み方は、実にうまい。そのうち、マリオが酔っ払い過ぎて大イビキをかき始める頃になると、アントニオはマリオを連れて自分たちの部屋に戻るのが日課になっていた。テキーラは飲みすぎると足に効いてくるのだ。これが、週2、3日のペースで繰り返された。
彼らは、主に観光客の集まるシスコのダウンタウンやフィッシャーマンズ・ワーフでフォルクローレ(エクアドル音楽)の街頭演奏をやっていた。米国では、こういった観光地には必ずといっていいほど、ストリート・パフォーマーたちが集結していて、ジャンルはさまざまで、全く動かない人、音楽、コミック、サーカス系など幅広い。特に、南米からやってくる人たちは、ドルを稼ぐチャンスとばかりにビザの有効期限一杯まで稼いで帰っていくのだ。
ある日曜日の朝、休みの私が惰眠をむさぼっていると、
「アミーゴ、ウエイク・アップ!」
とドアを叩く音がした。急いで開けてみると、真剣な顔をしたアントニオが立っていた。
「マリオが風邪で倒れた。今日一日ボンボ(太鼓)を叩いてくれ!」
今日は夏休みの日曜日、彼らの稼ぎ時である。昨日の土曜日は、夕方からの霧で気温が急激に下がり、それが原因でマリオは風邪を引いて寝込んでいるらしいのだ。シスコは夜霧が出ると日中と夜間の温度差が激しく、昼にいくら暖かくとも夜にはジャンパーを持参しなければ、体調を崩しやすいい環境にある。
「お前、いつも演奏聞いていただろ。太鼓を音楽に合わせて叩く振りだけでいいから…。」
他の4人のメンバーも、私の演奏のフォローしてくれるというのだが…。要するに員数合わせなのだが、私の不安は隠し切れない。なにせ、小学校以来、初めての音楽演奏なのだから。
彼らの部屋へ行き、マリオのポンチョを着て、ツバの広いエクアドル・ハットを被ってみた。試しに鏡を見ると、毎日、射撃場で仕事をして日に焼けた私の顔もアントニオたち、インディオとほとんど違和感がない。
「……。」
複雑な気持ちで沈黙している私の肩をアントニオがたたいて、
「よし、行くかっ!」
予想通り、その日フィッシャーマンズ・ワーフのピア39は、ストリート・パフォーマーたちで一杯だった。フォルクローレの演奏もその日は大盛況だった。が、そのなかで、少しテンポのずれた太鼓を叩く、エクアドル・ハットを目深に被った男が日本人だったとは、誰も知る由もなかった。
第34回:オー・マイ・GUN