第10回: アリゾナの夕焼け
更新日2002/05/16
砂漠の静寂は、自分を見つめ直す機会を充分過ぎるほど与えてくれた。無銭、無謀、無計画……。元気溌剌と日本を出た時には、たった1ヶ月後に、こんな西部の田舎町で途方に暮れる自分の姿など、想像もしていなかった。荒野の風に丸められたブッシュが、クルクルと何度となく道を横切った。
1時間ばかり経っただろうか、古いキャデラックが、地平線の彼方から砂煙を上げながらゆっくりと近付いてくるのが見える。
「助かった!」
先進国アメリカである。いくら砂漠の僻地の道とはいえ、いつかは誰かが通りかかってくれるだろうと、密かに期待はしていたのだった。しかも、したたかな自分は必ず車が止まるように一車線道路の真中にバイクを横たえていたのだ。
予想通りキャデラックは、ガリガリと大きなブレーキ音を出しながら止まってくれた。乗っていたのは白人の老夫婦だ。この辺りでは珍しい日本人の私を見て、爺さんの方が
「こんな所で鉄道工事か?」
私の体に異常がないことをすかさず見すえた、いきなりのジョークだった。派手なワンピースを着た婆さんも、笑いながら、
「日光浴は、その位にしたら? いま、隣町で(トリプルA)を呼んであげるから」と、ありきたりな、いつもの出来事のように喋っていた。
アメリカ人はどんな状況でも、こんな挨拶代わりの冗談が好きな人種だ。何となくそんな老夫婦の会話を聞いていると、不思議とバイクが動かないという私の悩みなど、大したことではない気がしてくる。
丁寧にお礼を言うと、「水は、あるか? まあ気楽にやれっ!」と一言残して、キャデラックは予定通りの道をゆっくりと走り去った。AAA(トリプルA)は、日本のJAFと同じシステムのロード・サービスで、エンコしたらAAAに電話をするのが普通なのだ。当然携帯電話などない私は、このような手段で救助してもらう以外なかっただろう。
日中は強烈なアリゾナの太陽も勢いを失いつつ、サボテン群の陰に沈み始めていた。あれから2時間、そこに車は1台も通過しなかった。老夫婦に遭遇したことは、かなりラッキーだったのかも知れない。時が経つにつれ、その偶然への感謝の念が深まっていく。
しかし、彼らが去ってから余りにも時間がたち過ぎているので、AAAは今日来ないのかも、とガスに火を付けて野営の準備を始めた時だった。あのキャデラックが向かった方向から、車の砂煙がこちらに近付いて来るのが見えた。
「来た! これで助かる」と私は、安堵感に包まれた。
確かにやって来たのはピックアップ・トラックだったが、どこにも「AAA」の文字がない。トラックは、私の所で止まった。ドアーを開けて、中から野球帽と口ひげを蓄えた筋肉質の白人の男が降りてきた。車内のステレオからは大音量のロック・ミュージックが流れている。
「爺さんから聞いている。お前か、トラブル野郎は」と面倒臭いのに、ここまで来たんだとでも言わんばかりの態度だ。そして彼はいきなり、「20ドルよこせ」と右手を出してきた。呆気に取られた私は、素直にお金を渡す。その20ドルをジーンズのポケットに、クシャクシャとしまい込んだ彼はバイクを一人で起こして、トラックの荷台に乗せようとしている。
350ccの小排気量のバイクとはいえ、軽く120Kgはあるのだ。手伝おうと私がバイクに手をかける間もなく、すでに壊れたバイクは荷台に乗っていた。恐ろしい怪力である。アメリカの白人や黒人は、プロスポーツ選手でなくても、われわれの想像以上のパワーがある。
バイクを乗せ終えた彼は、「乗りな!」とトラックの助手席を指差す。
シボレーの8気筒のトラックだった。中は1列のベンチ・シートになっていて、やたらと広かった。助手席に乗ろうとシートに手をかけると、なにか硬い物に手が当たった。よく見ると、ショット・ガンが座席の上に堂々と転がっているのだ。
驚く私を横目に、彼は平気な顔をしてそのガンをシートの下にしまい込んだ。ガンガン鳴り響くロック・ミュージックのボリュームを下げて、
「俺の名はジョン」と手を差し出す。
初めて握手を交わした。ひと仕事済んで上機嫌になったのか、英語のあまり分からない外国人と意識して、ゆっくりと努めて分かりやすい英語で話し始めた。
「アメリカ人は皆、ジョンなんだ」と一人でオチを作り、大笑いしている。
「なにか、かけようか? バン・ヘイレンは好きか?」とカセットの入ったダッシュ・ボードをまさぐっていた。大音響でバン・ヘイレンのハードロック・ミュージックを聞かされながら、後ろのバイクが落とされはしないか、と思うほど荒っぽい運転。とんでもないAAAの助っ人だった。
後になって聞いた話では、彼はAAAではなく、ただの小遣い稼ぎのオッサンだったらしいのだが……。
第11回:
墓標の町にて