第34回:オー・マイ・GUN
更新日2002/10/31
米国で就職して3ヶ月が過ぎた。射撃のインストラクター助手もいよいよ卒業だ。明日からは、会社からグリーン・カード(永住権)の申請を受けながら、本採用での仕事が始まる。
私の場合、自衛隊で武器の取り扱いの経験が多少はあったので、研修の半分近くは免除された。その分楽な研修期間だったかも知れない。日本でこんな仕事はまずないだろうが…。
そのことを知ったGUNショップ・マネージャーのアレンは、この機に私の個人拳銃所持を勧めた。いままで仕事で毎日射撃場に通っていたので気にも留めなかったが、今後、指導員としての技量を上げていくのに、どうしてもマイガンは必要になるだろう。特にアレンは、小さいときから米国で育った日本人なので、それ以外にも有事の際の必要性を考えてくれているのだ。
日本と米国の一番異なる文化の違いは、この個人における銃器の所持の点だろう。現在、米国の犯罪の90%に、GUN(主に拳銃)が使用されている。それにもかかわらず、その法律を今まで変えることなく持続してきたのは、1789年の建国以来、憲法で市民が武装することを認めてきているからだ。つまり、イギリスから独立をなし遂げたのも、強力な米国民兵が大きな役割を果たしたからだ(米国憲法修正第2条より抜粋)、というのが通説である。
以前にも書いたが、米国市民を軍産複合体のビックマーケットと考えれば、憲法の原案の意味とも違ったものが浮かびあがるのだが…。とにかく、2億丁のGUNが市場に出回っているアメリカで、自分の身を守るものは、と考えてみると行き着いてしまうのが、結局GUNの所持なのだ。
私が射撃場という特殊な場所に毎日仕事で通ううちに分かってきたのは、単なる犯罪・防衛手段としてではなく、一種のスポーツとして考えている米国人も多いということだ。つまり普段はスポーツとして射撃の練習をして、錬度を上げ、いざというときに役に立てば、と考えている米国人がほとんどなのである。しかも、米国民だけでなく、レジデンス(住民)として私たちにもそんな機会を与えてくれる、米国の寛大さにはただ脱帽するのみであった。
話は戻る。拳銃の購入を勧めるアレンのアドバイスで、数丁のGUNが私の前にゴトッ、ゴトッと並べられた。そのなかから、私は鈍いブルーの光沢を放つスプリング・フィールド社の自動拳銃1911A1(45口径)を選んだ。私が、米国で初めて撃ったGUNだ。
当時450ドルだったので6ヶ月ローンを組んでもらった。ズシッとして無骨な風格はシンプルさを感じるが、滑りにくい木のグリップは、このGUNが戦うための非情なツールであることを表現しているようだった。
このモデルは、米国陸軍で80年以上の間使用された歴史のあるもので、9mmや40口径などの装弾数の多いものよりも重く、初心者には使いづらい。しかし、現在でも米国では、プロが使用する人気のあるGUNで、命中精度と一撃の破壊力は前者と比較にならないくらいなのだ。いつもツアーで使う中古のGUNばかり触っていた私には、それが宝石のように燦然と輝いて見えた。
個人登録の手続きが済んだ10日後、アレンは、
「相棒だよ。」
とメーカーの箱に入った1911A1を私に渡してくれた。中には、プラスティックケースに入ったGUNと予備のマガジン(弾装)、説明書とカギまで入っていた。さらに電気製品と同じで、1年間の保証書まで付いている。
アレンが、サービスでつけてくれた45口径の実弾をマガジン(弾装)に8発入れて、安全装置をかけた。ショルダータイプのホルスターにそのGUNをスパッと差してみる。いつもGUNショップの店員のときに使っているレンタル用ブローニングよりも少し重い。しかし、安全装置の位置は、私の指にピッタリだった。箱に入れた状態で、手に持って下宿に持ち帰るのは、危険と判断したので、このままGUNを差したホルスターの上にジャケットを着て下宿まで帰ることにした。
さすがの米国でも、GUNの携帯についてはライセンス(C.C.W.)が必要であるが、実際は危険地帯へ行かなければならないときなどに、GUNを平気で身につけている米国人も多い。別に町を歩いているときに、警察に持ち物検査を受けるなど通常ではあり得ないし、その気になればGUNを携帯した状態で銀行にも出入りできる。あれこれと考えた私は、いつもの地下鉄を使い、歩いて帰宅することにした。
しかし、初めて街中でGUNを携帯するのは予想以上に緊張した。まわりの景色もいつもと少し違って見える。それは、GUNを手に入れたから、警察官気取りで自分が強くなったのだ、という意識よりも、それを管理する大人としての責任感を米国で初めて感じた瞬間だった。
第35回:ガン・ファイター列伝 その1