■拳銃稼業~西海岸修行編

中井クニヒコ
(なかい・くにひこ)


1966年大阪府生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊中部方面隊第三師団入隊、レインジャー隊員陸士長で'90年除隊、その後米国に渡る。在米12年、射撃・銃器インストラクター。米国法人(株)デザート・シューティング・ツアー代表取締役。


第1回:日本脱出……南無八幡大菩薩
第2回:夢を紡ぎ出すマシーン
第3回:ストリート・ファイトの一夜
第4回: さらば、ロサンジェルス! その1
第5回:さらば、ロサンジェルス! その2
第6回: オーシャン・ハイウエイ

第7回: ビーチ・バレー三国同盟

更新日2002/04/25 


ユースの客層は、アメリカの高校生とヨーロッパからやって来る20代の若者が主であった。カウンターで泊まりの申し込みをしていると、「夕方からビーチ・バレー&バーベキュー大会があるので、エンジョインしてくれ」と半強制的に$10も取られて、しかもバレーのメンバーの欄に名前を書き込まれてしまった。これは、3人チームのトーナメント形式で、優勝すると$5×参加人数がチームに入るというのだ。参加人数は50人位はいたので、優勝すれば$250が、チームに入る。1人約$80ずつ山分けだ。しかもセコイ自分は、「あの$10を絶対取り返す」と、ひとり気勢が盛り上がっていた。

太平洋に面した海岸通りは、西海岸特有の午後の光と海からの照り返しを受けて、かなり眩しい。ファッションではなく、本当にサングラスの装着が必要だった。夏時間を採用しているこの時期、海に太陽が沈むのが、午後8時近くにもなる。これにはかなり得をした気分である。歩いて5分の所にある砂浜で、午後5時くらいになると、ビーチ・バレーが始まった。

私達のチームのメンバーを見て驚く。ドイツ人とイタリア人の兄ちゃんが、私と共に$80をかけて一緒に戦うことになったのだ。まるで第二次世界大戦の三国同盟だ。しかも負け組みだ。1回戦目の相手3人は、サマー・スクールの高校生のグループでやたら背が高く、手強そうである。私と同じ20代前半のドイツ人は大声で、「この試合、絶対イタダキだ!」と、私とイタリア人に何度もハッパをかけてくるが、そんなことは言われなくて分かっている。

「アリアンス(同盟)、ファイト!」と、気合をかけ我々のテンションも上がっていたのだが……。
私は、たとえプレーヤーがプロでも、他人のスポーツを鑑賞するのは好きではない。早々に敗退した我々は、バーベキューが始まるまで、他のチームのビーチ・バレーを見学することになってしまう。

サンディエゴのビーチには、簡単なバレー・コートがたくさん設置してある。アメリカの海岸沿いでは、日本にあるような海の家形式の建物は見ることがなかった。バレーの試合そのものより、声の上げすぎで疲れてしまっていた。しかし、負けても、なんとなくメンバーの2人と親近感が生まれたのは、祖父達の血が我々にも受け継がれているということなのか、と妙に納得しつつ、3人でバーベキューを頬張っていた。

日本を出てまだ半月なのに、気分はすでに国際人になっていた。もう随分日本には帰っていないような気がする。海に沈むサンディエゴの美しい夕日は、明日も天気であることを教えてくれていた。

朝のユースは、それぞれの目的地へと向かう人々のチェックアウトでにぎわっていた。ヨーロッパからの旅行者は、バックパッカーや自転車旅行者が多く、その冒険心には舌を巻く。昨日一緒に戦った三国同盟の仲間に別れを告げる。

「これから何処へ行くんだい?」と聞くドイツ人に、「ニューヨークだ」と答えた。彼は驚きもせず、「そうか気を付けて」と言うと、軽く握手して別れた。彼は、自転車でメキシコからアメリカを縦断してカナダまで行くというのだから、こちらの計画に驚かないのも当然だ。

 

第8回: 沙漠の星空の下で