第16回:コンボイ・スピリット その2
更新日2002/06/27
ビル爺さんが、全部で15段もあるギアーをセカンドに入れると、巨大な車体にズシンと振動が伝わった。トラック・ターミナルを出る時には、挨拶代わりに天井にあるエア・クラクションのレバーを引いた。船の汽笛のような豪快なサウンドが辺りにこだまする。40トン積みの積荷はすでに満載されているらしく、トラックは気が遠くなるくらいゆっくりと加速を始めた。
彼の名前は、ビル・クロフォード。今年64歳で、4年前に保険屋を引退し、今は半分趣味として、全米をコンボイで走っているそうだ。19歳の時に志願して太平洋戦争に参加する。1944年には沖縄上陸作戦に参加して、首に戦傷を負い、その後朝鮮戦争までを沖縄で過ごしている。妻はすでに20年前に他界したという。曲がったことが大嫌いな生粋のテキサス魂の持ち主だ。
砂漠は今日も晴天で、車高の高いトラックからはサボテン群が遠くまでよく見えた。恐らく今日でこのアリゾナ州ともお別れである。ラス・ベガスまでは、フェニックスを経由して約650Kmのキャラバンである。
トラックの中のFMラジオからゆったりとしたテンポのカントリーミュージックが流れている。強力なCB無線機から頻繁に無線が入ってくる。トラック仲間たちから、われわれのワイルド・ホース3に「元気か?」「スモ―キー(警察)が、60号線で見張ってるぞ!」「事故でフェニックス市内は渋滞中」などと次々に新しい情報が入ってくる。
ビル爺さんはその都度、無線のマイクを握りながら長々と喋っている。中には、トラック専用の売春婦からの無線が入ったりして驚いた。爺さんも年のせいか、ゆっくりとした速度でフリーウエイを走るので、10,000CCのデトロイト・エンジンの振動がユリカゴの如く私を眠りに誘う。知り合いのトラックとすれ違うと、クラクションをガンガン鳴らして挨拶をするので、その都度目が覚めた。
フェニックスを通過した後は、道も単調になり、陽炎が立ちのぼる砂漠の地平線には草や木も見えない。冷房が効いた車内ではあるが、窓から差し込む太陽は痛いくらいに熱い。外は恐らく50度近い灼熱地獄であろう。この辺りは気温の下がる夜に走った方が無難だと思うのだが、あえて堂々と昼間走るのが爺さんのポリシーらしい。
爺さんは葉巻を薫らせながら、テキサス訛の英語で私に色んなことを話して来る。孫のことや昔の戦争のこと、ギャンブル話などで、同じ話を何度も繰り返すのは万国共通であった。
しかし、ことギャンブルを語る時は、皺だらけの瞼の奥で青い目が、生き生きとしていた。ラス・ベガスに行って、博打をすることは、彼の唯一の楽しみであるように見えた。
第17回:砂漠の不夜城