■拳銃稼業~西海岸修行編

中井クニヒコ
(なかい・くにひこ)


1966年大阪府生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊中部方面隊第三師団入隊、レインジャー隊員陸士長で'90年除隊、その後米国に渡る。在米12年、射撃・銃器インストラクター。米国法人(株)デザート・シューティング・ツアー代表取締役。


第1回:日本脱出…南無八幡大菩薩
第2回:夢を紡ぎ出すマシーン
第3回:ストリート・ファイトの一夜
第4回:さらば、ロサンジェルス!その1
第5回:さらば、ロサンジェルス!その2
第6回:オーシャン・ハイウエイ
第7回:ビーチ・バレー三国同盟
第8回:沙漠の星空の下で
第9回: マシン・トラブル
第10回: アリゾナの夕焼け
第11回: 墓標の町にて

■更新予定日:毎週木曜日

第12回:真昼の決闘!?

更新日2002/05/30 

道路工事は、英語が必要のない仕事であった。若い作業員のやっていることを真似すればよかった。私は、世話になった恩返しを3日間はやるつもりになっていたし、それよりなによりバイクが直るまでは他にやることなどなかった。

しかし、日本のように不快な湿気こそないものの、昼過ぎからのアリゾナの強烈な暑さの中での道路工事は困難を極めた。作業員たちは、皆T-シャツにベッタリと汗をにじませて、黙々と仕事をしている。休憩時間なども設けられていないらしく、各人疲れたら穴を出て、クーラーボックスの水を飲み、一息つけばまた穴に入る。

大まかな場所はパワーショベルで掘り、後は手作業で水道管を掘り起こすのが、今日の仕事であった。私も自衛隊での演習時は、いつも蛸壺(人が隠れる穴)を掘っていたので、土木作業には自信があったが、彼らは凄まじいパワーで、ショベルの土をコンベアに乗せている。

とはいえ、夕方も4時頃になればお喋りに熱中してタバコを吹しはじめていた。気が付けば、私一人がショベルを動かしていた。5時にはジョンの指示で仕事が終わる。早々と作業員たちは、皆穴から出てきて、それぞれの家路に着く。

どうやら朝7時から夕方5時までの仕事であるらしい。強烈な日射で吹き出した汗が、乾燥して私の黒いT-シャツを白いまだら模様のT-シャツに変えてしまっていた。さすがに疲れたが、少しは私の存在がアメリカでも役立ったのだろうか?

ジョンと一緒に家に帰ると、奥さんのスーは別に気にも留めない表情で私を迎え入れてくれた。ジョンが車の整備を始めたので、息子のシェ―ンとキャッチボールをして時間を潰した。アメリカ西部の田舎育ちの少年は、実にワイルドだった。例えば、家の中でも平気で唾を吐いたり、勝手に納屋の中の護身用ピストルを私に見せてくれたり、親がいないと平気でタバコをせがんでくる。このアリゾナ大西部の自然の中では常識も存在しないようだった。

夕食を済ませた後はシャワーを浴びて、すぐに納屋で寝た。明日もアメリカン土方が待っている…。日が暮れたら寝るのが自然に身についてしまった。

翌日も朝からジョンと道路工事に出かけた。昨日と違い、今日は朝7時前には現場に到着していた。ツームストーンの町の観光客は殆どがアメリカ人で、年配者が非常に多い。日本でいうところの映画村になるのだ。古きよき開拓時代に思いをはせるのは、日本人で時代劇好きな人たち同様、お年寄りと相場が決まっているようだ。彼らは、厳しい西部の自然やインディアンやならず者を相手に戦った時代を誇りに思っていた。

昨日で要領が分ったので、今日は朝7時からツルハシを持って、全開で土を掘り返している私を見て、ジョンは
「凄げえパワーだな」と横目で水道管の配置図を見ながら驚いている。3日間と決まっていれば、辛い仕事でも何とかなるものだ。6月のアリゾナは、日中は摂氏45度近くになるので、仕事は朝11時まで、午後は3時から2時間、実質6時間の労働だった。昼休みは昼食を摂ったり、家に帰って昼寝をしたりと各人自由に過ごすのだ。

今日は現場のチーム全員で、ツームストーンの街中のレストランで昼食を取ることになった。町のメインストリートにあるクーラーの効いたウエスタン風のカフェは、私達を一時的な天国へと導いてくれるに充分だった。ランチ・スペシャルは、豪快にも丸ごとのチキンが皿に盛られていて、パンとコーラでそれを流し込むのである。実に簡素な食事だ。

床が板張りのカフェは、昔ながらのバーカウンターを備えていて、昼間からビールをジョッキで飲んでいる作業員もいたが、ジョンはそれについては何も言わない。私も、他の作業員同様、スーパー・チキンを平らげ、一人カウンターでコーラを飲みながら一服していた。

しばらくするとジョンと作業員たちがなにやら大声で私を呼ぶので、そのテーブルに近づく。若い作業員の一人がニヤッと笑いながら、私の力を試してやるということだ。どうやら朝の作業を見ていて、私がバカに働くので、私の腕力に興味あるらしいのだ。そのテストとは、見るからに豪腕の白人作業員の一人とのアーム・レスリングでの一騎打ちであった。

私は、躊躇して首を横に振った。しかし作業員たちは、昼休みのちょっとした余興を期待しているらしく、仲間たちから「やれよ」の声が大きくなる。すかさずジョンは、5ドル札をポケットから取り出し、ポーンとテーブルの上に置いた。さあ、張った! と言わんばかりだ。私の体重は75キロ。相手はどう見ても100キロクラス以上の筋肉質の作業員だ。結果は目に見えていた。

しかし、この戦いには少し自信があった。自衛隊でもそうだったが、力自慢の集まる所では、必ず実力試しのために腕相撲をやるものだ。レインジャー隊員の中でも、私は腕相撲で他の隊員に負けたことがなかった。当時は懸垂も片手だけで、5回は余裕でできた。この勝負に対して遠慮する仕草はするが、私の頭の中は目の前の白人野郎を捻じ伏せることで一杯だ。

ウエスタン・ミュージックが流れる店内に、タイミングよく"夕日のガンマン"の音楽が流れてくる。そして相手と右手を組み合った。その瞬間、勝つ自信の50%以上が消え失せた。相手のグローブのようなごつくて大きい手が、私の手の平を見えないくらいにおおい隠したからだ。しかも凄まじい握力だった。握力は手を組み合った時点で、互いに判断できるものだ。私の80キロの握力もすでに握り潰されそうな勢いである。
ジョンは、両者の腕を押さえ、
「レディーッ! ゴーッ!」と決闘開始のかけ声をかけた。

 

 

第13回:さらばアリゾナ