第26回:運命の実弾射撃ツアー
更新日2002/09/05
射撃ツアーを予約した当日の昼過ぎ、ツアーに向かう車が、時間通り観光局の前まで迎えにきてくれた。中から降りてきたのは、若くてスラリと背が高いインストラクターのヘンリー・スズキと名乗る日本人だった。
今日参加するのは、私一人だけのようだ。その分、車内でスズキさんとゆっくり話し込むことになった。
「ナカイさん、射撃の経験は?」
という質問に、
「自衛隊で少しだけ」
と答えた。
私が経験した自衛隊では、職種によって異なるが、年間で100発くらい撃てばいいところで、これはとても経験とはいえないかも知れない。しかし、それを聞いたスズキさんは、
「いや、それなら安心して私は見てられますよ」
と言ってくれた。
実際、ツアーに参加する客の95%は日本人で、そのほとんどが射撃未経験者と聞いて驚いたが、日本で射撃を経験できるのは、警察官や自衛官、狩猟免許所持者などのごく限られた人たちのみである。それは、当然のことかも知れない。
車は、再びあのベイブリッジを渡り、30分位ドライブして対岸のオークランドの市営射撃場へ到着した。すでに、射撃をしている米国人が数人いて、あたりにはライフルの強烈な射撃音が鳴り響いていた。
車から降りて、その火薬の匂いを嗅いだ私は、つい1年前まで勤めていた自衛隊員だった頃を思い出した。そして、これから体験するのは自由な射撃であるが、若干、緊張を隠せなかった。
巨大なガンロッカーを開けると、圧倒されるくらいたくさんの拳銃、ライフルがズラリと姿を現した。
「なにを使いますか?」
というスズキさんの問いに、私は、
「拳銃は1911A1、ライフルがM-16をお願いします」
と答えた。
1911A1は、いわゆる45口径の弾を使用するコルト・ガバメントのことで、1911年から米軍で使用されているGUNであった。自衛隊でもその操作方法は何度か実習でやっていたが、実射する経験はなかったのだ。
それに正直言ってハンドガン(拳銃)の射撃は初めてだったので、使用方法は分かっていても、緊張を隠せなかった。私は、実弾を自分で弾装(マガジン)に入れ、射撃の位置についた。7発実弾を装填したガバメントのズッシリとした重みが両手にかかった。
「撃っていいですか?」
後ろにいるインストラクターのスズキさんは、すでに私が自衛隊出身だと安心しているのか、タバコを吹かしながら、指で「OK」のサインを出した。私は、スライド・ストッパーを外して弾を薬室に送り込んだ。すると「カポッ!」と鈍い音をたてて弾が入る。これでいつでも発射できるのだ。
ここまでも初めての経験だった。25m先の標的に向かって、両手で狙いを付けた。拳銃の場合、体が動くので非常に狙いがつけづらい。
おもむろに引き金を引く。
「ドン!」と音を上げてGUNは、反動で上に引き上げられ、一瞬目の前からその姿が消えた。後ろからは、「チャリンッ」と私が発射した弾丸の空薬莢が軽い音をたてた。
凄い迫力だ。しかし、50cm四方の紙の的には穴が空いていない。続けて何発かを発射する内に、まわりに少しずつ穴が空き始めた。拳銃はこんなに当たらないモノか…と思った。
50発撃って、命中は60%位だった。思わず笑ってごまかしてしまう。次はM-16ライフルに挑むことにする。M-16は現在でも米軍で使用されているライフルで、銃身が長いので当然命中精度も高い。
今度は、100mで射撃を行った。この100mという距離は、私には外さない絶対の自信があった。振り返るとスズキさんは、私になに指導することもなく、相変わらず座ってタバコを吹かしている。
「ドン、ドン!」
自動ライフルなので30発くらいは、すぐに終わってしまう。私が愛用していた自衛隊の64式自動ライフルよりも、弾が小さく反動が軽いので、非常に撃ちやすいライフルだった。
M-16で撃った100m先の直径5.5mmの弾痕は肉眼では見えない。スズキさんは私の撃った標的を取りに行ってくれた。
しばらくすると彼は、
「すごい! スコープもないのに……」
と、先に撃った拳銃の的を見た時は何も言わなかった彼も、私が撃ったライフルの的を見て絶句していた。発射した30発の弾すべてが、その的の中心3cm以内に命中していたのだ。
当然、私は、ライフルとはこれくらいよく当たるモノとして今まで考えていた。事実、自衛隊で射撃したときでも300m先の等身大の的を外すことはなかった。繰り返し何度も受けていた訓練の賜物だった。しかも、この時使ったM-16ライフルの照準には狂い(誤差)がなかったようだ。
帰りの車の中、私と二人だけだからなのだろうか、スズキさんは急に射撃の話とは関係のない自分の身の上話を始めた。そして、3日後にはこの仕事をやめるというのだ。
そんなことは、客である私に言わなくてもいいのに、と思ったのであるが、最後に彼が、私に言った一言に驚愕した。
「ウチで働きませんか?」
「えっ?」
耳を疑った。自分が退職したあと、この射撃場で働く日本人の人材がいないことを心配していたようだ。どうやら、私をアメリカで長く生活をしてきたと思ったらしい。私には自衛隊にいた経験もあるし、射撃の腕も悪くない。そこで、彼の後継者として私を指定して、安心して退職できると考えたようだ。
アメリカで射撃のインストラクターをする……、こんなことは夢にも思わなかったことだった。
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