第22回:アメリカン・ドリーム
更新日2002/08/08
ラス・ベガス最後の夜、私はニーナと二人で、ダウンタウンの外れにあるバーのカウンターに座り、他愛もない会話を続けていた。今の私の英語力からして、ほとんど彼女がお喋りしているのを私が聞いているパターンである。
彼女は、ネバダ州の片田舎リノから出稼ぎで来ているのだという。赤毛で青い瞳を持った24歳の白人の女性だった。父親が軍人だったので、中学までは横須賀で育ったから、日本人には多少親しみがあるようだ。
彼女は仕事にも不満があるようで、愚痴ばかり言いながら20分位でマルガリータを3杯も飲んでしまった。ラス・ベガスに来た目的は、ダンサーとして夜のステージに上がることで、それが夢だったらしい。女性の若い時期に憧れる夢は、万国共通のようだと思った。スポットライトに照らされて、多くのギャラリーから拍手喝采を受ける…。地味な私からは、理解できない夢でもある。
彼女の容姿は悪くない。しかし、各ホテルが一流のエンターテイメント・ショーを開催しているベガスは、それなりにダンサーのレベルも高く、採用されることは非常に難しいらしい。面接を受けて連絡を待っている内に4年が経ってしまったと、ニーナはぼやいた。しかし、今でも週3日はダンス・スクールに通っているらしく、いつの日かベガスの舞台に上がることを待っているのだ。
「あなたの夢は?」
と私に突然振ってきた。
「アメリカに住むこと」
と平凡かつ簡単に答えたら、彼女は真面目な顔で、
「あなたは、成功すると思うわ」
と簡単に答えてくれた。お互い計画性もなく、ただ自分の夢に向かって進んでいるのだ。絵に描いたようなアメリカン・ドリームとは言わないが、米国人でも思い通り目標を達成できるケースが少ないのに、外国人の私に何ができるのだろう? と思わず考えて込んでしまった。
お酒が進むと、会話はそっちのけで意味もなく楽しくなってきたが、ニーナのペースはかなり早くなっている。私が気付かって「そろそろ」ときり出した時には、彼女は酔ってすでに千鳥足であった。私はお金を払い、ニーナを連れて店を出た。そして彼女を支えながら、彼女が駐車している車まで送っていった。タンクトップに短パンにヒールを履いただけの露出度が高い彼女は、密接するとやたら香水のいい香りがする…。米国人女性は、日本にはない、何やら鼻をくすぐるような香りの香水をよくつけている。
車に着くと、さらにニーナは、
「酔ってんだから、あんたが運転してアパートまで運転して送って行ってよ!」
と言うのだ。予想もしていなかったが、これは泥酔した彼女の状態を見れば、当然のことだった。ニーナは自分のポンティアック4ドアセダンの助手席に乗り込み、カギを私に渡した。車のカギの他に、やたらと他のカギがジャラジャラと沢山付いている。アメリカでの車の運転は初めてであった。しかも、ニーナを乗せていることと、私も少し酔っていたことも手伝い、エンジンをかけた後、ブレーキ・レバーと間違いボンネットを開けてしまった!
「こんな暗いとこで整備始めんの?」
ニーナは苦笑いしている。
古い車で、こんなに暑いのにエアコンもついていない。窓を開けて出発すると、彼女はすでにロックのカセットをガンガンかけている。思わずアリゾナのジョンを思い出した。米国人は、常に日常に音楽がないとダメなのだろうか?
ニーナのアパートは、ベガスのダウンタウンから車で10分位北にある住宅街にあった。ビル爺さんと行ったギャンブル中毒のジョージの家付近だろうか? あまり治安のいい所でもない。ポンティアックを駐車して車から降りると、ニーナは、
「サンキュー。少し寄っていかない?」
と言うのだ。すぐに私は、なんとなく、
「今日は帰るよ!」
と答えてしまった。
彼女は、「カモン!」と急かすが、自分自身、酔った女の部屋に行くのは、好きではなかったのである。そのうち、ハッキリと、
「また来るよ!」
と手を上げて帰ろうとしたら、突然ニーナが私に抱きついて来たのだ。後になって分かったが、これは「ハグ」という男女に関係なく欧米では、よく別れの時にする挨拶・愛好の一種で別に深い意味はないのだ。
頑張って一流のステージに上れよ! 心の中で呟きながら、彼女と別れた。よくよく考えてみたら、彼女を送った後は自分の足でホテルまで帰らなければならないことに気が付いた。ホテルまでの道を1時間近くかけて歩いて帰るうちに酔いも覚めた。やがて空が明るくなり、ケバケバしいカジノのネオンも、やがて輝きを失ってきた。強烈なネバダの太陽が、少しずつ光を伸ばしてきた。
今日で、このベガスともお別れだ。いよいよサンフランシスコに向けて出発だ。
第23回:長距離バス