第18回:ギャンブルへのプロローグ
更新日2002/07/11
平日で夜12時過ぎのカジノは随分人も少なく、席もまばらに空いてきていた。ビル爺さんの64歳とは思えないくらい、ピンと背筋を伸ばして歩くうしろ姿は、これから挑むカジノに対して、余裕の表情となっている。まるで、西部のならず者が集う賭博場に入った保安官のようである。
爺さんは、ブラックジャックで他の客のいないテーブルに、ゆっくりと腰を下ろした。
「ボーイ。ワシの右側に座れ」
と席を指さされ、言われた通りにする。
「どう調子は?」
と挨拶もそこそこに、客がなく暇をもてあましていたディーラー(親)が、カードを華麗な手つきでシャッフル(混ぜる)し始めた。
どのテーブルのディーラーの胸にもネームタッグが付いていて、出身地が書かれている。全米から集まった色んな人たちが、客の相手をしているのが分る。中にはアジア系の人もいたが、私たちのディーラーは地元ベガス出身の神経質そうなメガネの若い白人であった。
テーブルによって最小のベット(賭け額)が決まっていて、1ドル~5ドルのテーブルには、庶民的な客層が多く、10ドル以上になると金持ちやプレーに慣れた人が多い。いきなり10ドルの場所に腰を据えた爺さんは、大声で、
「$100をすべてレッドに両替!」
と気合を入れて叫んだ。レッドとは、$5チップの別称である。要するに100ドル札を5ドルチップ20枚に両替してもらったわけだ。
今までに旅費が嵩み、余裕のない私も爺さんの真似をして大声で、
「50ドルを両替!」
と叫び、テーブルにお札を叩きつけた。ルールは、よく分かっているのだが、初出陣なのでさすがに緊張の色は隠せない。しかし、老練な爺さんの余裕の表情にすべてを賭けてみることにしたのだ。
前半は、様子を見るために大きくは張らないようだ。しかも、下座に座る爺さんは、私の止めた札を横目でチラッと見て最終判断をしているらしく、ディーラーがよくバースト(22以上)してしまう。
われわれは眠そうなディーラーに対して、15分くらいで出費の2倍を稼いでしまったのだ。これは、いわゆるカード・カウンティングというテクニックを使うためらしい。そんな爺さんの余裕の表情を横目に、10ドル張る都度、私の心臓は今にも張り裂けんばかりだったが、チップが多くなれば次第に笑う余裕も出てくるものだ。
暫くするとその雰囲気を見て、
「どうだい?」
と太った中年の白人男性が私たちのテーブルに座ってきたのだ。彼の声は大きく、かなり酔っている様子であった。100ドルのチップを20枚ほど持っている。しかも彼は、両替をしないでそのままプレーしようとしていた。
5分もしない内に、その2,000ドルのチップは半減してしまっている。しかも私たちのチップも増える気配がない。そんな様子を見た爺さんは、首を横に振りながら私に小声で囁いた。
「ボーイ。ワシが葉巻2回叩いたら、$100を一度にベットしろ。そしたら今日はお開きだ」
えっ! と驚くが、言う通りにしてもこの爺さんなら信用はできた。そのタイミングを計りながら、最少額でゲームを続けた。そしてディーラーの残りのカードが半分になった時、遂に合図が出た。彼は100ドルをポーンとベットしたのだ。私も半信半疑で100ドルをベットした。
「チェック・プレー」とディーラーは、ピットボス(マネージャー)に急に賭け金を上げた私たちのプレーを見張るように指示が飛んだ。
さすがにこの時は緊張する。しかもディーラーの見せ札「6」対して、ビルの持ち札を見てがく然とした。スタンド(止めた)したカードの合計は、弱い手の「12」であった。私の手も「17」決して強いカードではない。
すぐに私の視線は、裏返されたディーラーの2枚目のカードに集中した。そして2枚目が裏返された「キング」のカードを見た時、爺さんは勝利を確信した様子で、「イエス」と小声で言った。
そしてついにディーラーは、3枚目に「10」を引いてしまい、バーストし、我々は勝利したのだ。その勝ち金をもらい、われわれは早々とチップをキャッシュアウト(換金)した。結局、われわれはたった30分ほどで300ドル近い収入を得たのだ。
何故爺さんがそんな行動を取ったのか? 私なりに彼の勝負師のセンスに驚いたものである。それはギャンブルは楽しい、そして儲かる、という危険な囁きを私に教えてくれてしまったのだ。
その日は、ビルとダウンタウンのカジノホテル、フィッツジェネルドに宿をとった。
「今日はラッキーなだけだよ。博打は長時間やれば負けるぞ」
と言い残しビルはさっさと寝てしまった。私も長時間のドライブで疲れたのか知らぬ間に寝入った。私が大人のためのドリームシティで記念すべき勝利を収めた最初の一夜だった。
部屋の冷房がいささかききすぎて寒かったが、今夜のこの興奮はしばらく私の中で冷めることはなかった。
第19回:ラス・ベガス症候群