第27回:パシフィック銃砲店
更新日2002/09/12
私をアメリカで射撃教官の仕事に誘ってくれたスズキさんは、仕事場の紹介を兼ねて、まず射撃ツアーのオフィスのある「パシフィックアームズ(銃砲店)」に連れて帰ってくれた。
サンフランシスコのダウンタウンから、南に車で20分ほど行ったところにそのガンショップはあった。聞けば、オーナーは日本人で自宅もあり、GUNショップとシスコ市内にアパートを2軒経営しているそうで、私と同じく単身渡米して一代でアメリカン・ドリームを成し遂げた、かなりやり手の社長のようだ。社長は、現在日本へ出張中で5日間は不在らしい。
ガンショップは、まだ営業中だった。丈夫な鉄格子とシャッター、そして古い重厚なドアの3重ドアで、セキュリティは万全の門構えだった。
スズキさんのあとについて店に入ると、営業中なのに客の姿も店員の姿も見当たらない。店内には、GUNショップらしく通路の両側のショーケースの中に値札を付けた拳銃、ライフル、ショットガンや各種実弾などがズラリと並んでいた。日本では見ることができない光景に、再びあぜんとしてしまう。
どうやら射撃ツアーのオフィスはこの奥にあるらしい。店内と奥のカウンターを仕切る鎖を持ち上げながら、
「ただいまっ~!」
スズキさんが声をかけると、それを無視したように店の奥から、英語で二人の男が口論する声が聞こえてきた。近づくと一人は中年の白人で、もう一人の方は若い日系人に見えた。スズキさんは「また揉めてるの?」という表情をしながら、
「お客さんを連れてきたよ」
一言いうと、仕事の口論に水を差された二人はこちらを見て、
「ハーイ!」
と軽く挨拶してくれた。
「彼はエキスパートのスナイパー(狙撃手)、ミスター・ナカイです」
とスズキさんは、米国式に私を紹介した。すると、ほ~うっ、という表情で、
「俺はマイク・ヘルダーだ。よろしくな、日本の狙撃手殿」
と、まず白人の店員が右手を差し出してきた。
年齢は30歳代後半、口ひげを蓄え、メガネをかけているので少しインテリっぽく見える。名前からしてオランダ系のアメリカ人だろうか?
骨太な体系の日系人は、
「ア、アレン・ナカミネです。どうぞヨロシク……」
と、小さい声の日本語で自己紹介した。彼は9歳の頃に家族で沖縄から移住してきて、以来20年近く一度も日本に帰っていないそうだ。すると、私と同じ一世の日本人なのだ。
スズキ氏が、私のツアーのあと片づけをしている間、アレンが店内を案内してくれた。オフィスの奥には金属加工をする機械や銃の整備場まであり、GUNオイルの匂いが、鼻をくすぐった。アメリカの本格的なGUNショップに入るのは初めてなので、珍しいものを見つけてはアレンに質問をしてしまうが、その都度彼は、困惑した表情を浮かべながら日本語で説明してくれた。その表情からして、あまり日本語を喋るのが好きではないようだった。
「もしかして、ここで働くかも知れないんです」
とアレンに言うと、彼はさらに困惑した表情になり、米国式になぜ? の意味である両手の手のひらをこちらに向けて、首を振った。それを聞いたマイクも口を合わせたように同感している。一体どういうことなのだ?
話を聞けば、日本からここへ働きにくる人間は多いが、大体半年から1年に満たないうちに、仕事を辞めてしまうらしいのだ。退職すれば、ほとんどが日本に帰ってしまうらしい。私を射撃ツアーに案内してくれたスズキさんも、今回1年間あまりでの退職らしい。
どうやらこれは、この会社の社長がクセ者らしく、社員3人共が社長に対してあまりよいことを言わない。大体、社長というものは社員の敵というのは理解できるので、気にもしなかった。それどころか私自身は、この職場をかなり気に入っていた。
やっとこぎつけたスシ屋の面接が、せっかく3件もあるのに、すでにキャンセルすることに決めていた。会社自体の規模も小さいことが、私のチャンスを大きくしてくれるような気がしたからだ。
自衛隊を辞めてアメリカで就職するなら、射撃インストラクターの方が、どう考えても理にかなっている、と思った。
「詳しいことは、家で話さない?」
とスズキさんが持ちかけてきたので、GUNショップを後にした。
彼の車で家に向かったが、これがまた恐ろしいくらい古いセリカで、さらに事故車のようで、ボンネットからはラジエターが剥き出しになっていた。プスン、プスンといいながら私たちを乗せたセリカは、坂の多いサンフランシスコの街を走った。あまりの急勾配で、たまに車のボディーが地面に擦れる音もする。こんな車に乗っているようでは、給料も大したことがないのかも?
と一抹の不安がよぎる。
車の不安とは裏腹に、彼のアパートは結構きれいな、大きい2LDKのアパートだった。リビングにはなんとビリヤード台まであり、日本のアパートとは比べものにならないくらい広かった。それを見たら、アメリカに住めばこんなゆとりのある暮らしができるのか、と思わずやる気も湧いてきた。
「今日はお疲れさまでした、どうぞ、一服」
となにやら紙巻タバコのようなモノを手渡されたので、これは米国式の歓迎かと思い、
「スミマセン」
と一服頂くことにした。
火を付けて、そのタバコをスッと一息吸い込むと、なんとなく気分がリラックスして、ステレオの音楽の音がやたらによく聞こえる。
「これはどこのタバコですか?」
とスズキさんに聞くと、即座に、
「マリファナ」
という返事が返ってきた。その後は体の力が抜け過ぎてしまい、遂に真剣に仕事のことが聞けずに終わってしまった。
夜、私をホテルまで送り届けてくれたスズキさんは、別れ際に、
「今度はコーク(コカイン)でも吸いにきてよ!」
と言った。
シスコは、全米屈指のドラッグ・フリーの街みたいだ……。
第28回:ラスト・チャンス