■拳銃稼業~西海岸修行編

中井クニヒコ
(なかい・くにひこ)


1966年大阪府生まれ。高校卒業後、陸上自衛隊中部方面隊第三師団入隊、レインジャー隊員陸士長で'90年除隊、その後米国に渡る。在米12年、射撃・銃器インストラクター。米国法人(株)デザート・シューティング・ツアー代表取締役。



第1回:日本脱出…南無八幡大菩薩
第2回:夢を紡ぎ出すマシーン
第3回:ストリート・ファイトの一夜
第4回:さらば、ロサンジェルス!その1
第5回:さらば、ロサンジェルス!その2
第6回:オーシャン・ハイウエイ
第7回:ビーチ・バレー三国同盟
第8回:沙漠の星空の下で
第9回: マシン・トラブル
第10回: アリゾナの夕焼け
第11回: 墓標の町にて
第12回:真昼の決闘!?
第13回:さらばアリゾナ
第14回:キャラバン・ターミナル
第15回:コンボイ・スピリット その1
第16回:コンボイ・スピリット その2
第17回:砂漠の不夜城
第18回:ギャンブルへのプロローグ
第19回:ラス・ベガス症候群
第20回:ギャンブラーとして

■更新予定日:毎週木曜日

第21回:自由の中の葛藤   

更新日2002/08/01 


好きな時に起きて、好きな飯を食い、酒を飲み、好きなだけ遊んで、好きな時に寝る。そんなラス・ベガスでの生活が続いていた。自衛隊で不自由な寮生活を過ごした私には、思えば学校の夏休み以来の自由な時間だった。そんな自由を欲していたのかも知れない。

ラス・ベガスのネオンの下で、限りなく自由な時間を過ごしている自分の本来の目的は、バイクでの大陸横断とアメリカ永住であった。だが、本当はただ何でも好きなことができる時間が欲しかっただけなのではないか? 華やかなカジノに唯一ない物は、時計である。もはやここでは時間の概念などは必要ないのだ。

ギャンブルの息抜きに、ダウンタウンのはずれにある"レディラック"というカジノの中のエアコンの効きすぎたカフェテリアへよく行った。深夜、名物のシュリンプ・カクテルとドラフト・ビールを注文する。緊張感が張り詰めた中での小1時間の休息である。ウエイトレスのニーナという、若い白人女性と知り合った。

平日深夜のカジノはひと気もあまりなく、私が一人なのを知ってか、何かとよく喋りかけてくれるのだ。彼女は、私のオーダーを持ってくると、私のテーブルに堂々と腰をかけ、ため息を吐きながら、「後2時間ね…」と夜勤である自分の仕事の残り時間をしきりに計算している。やたらとお喋り好きな人で、日本人の私が珍しいのか、それともただ暇なのか、とにかくよく喋る。ただでさえ安いカジノのレストランなので、いつも少し多めにチップを置いていくと、大声で後ろから声が聞こえる。
「サンキュー! また明日ね」

ある時、私が冗談でチップにM&Mのチョコレートを添えて渡すと、
「今度は、エセルM(地元のチョコレート)にして」
とジョークを飛ばして笑っていた。なんとなく仕事にやる気のなさそうな、無邪気なニーナを見ていると、妙に気持ちが落ち着くので、ここへ足を運ぶのが毎夜の日課になってしまった。 

ラス・ベガスを訪れる観光客の数は、年間約1,000万人。皆一様に、エンターテイメントや夢、そして一攫千金を求めて集まるのであるが、過酷な自然に囲まれた砂漠の中のリゾートでは、主な娯楽はやはりカジノである。たった1日で、平均54億円を回収できるラス・ベガスには、そんな上辺だけのきれいごとは通用しない。

私のベガス滞在も10日を過ぎようとしていた。ギャンブルは数学と欲望との戦いとは分かっていても、ますます勝つ時と負ける時の金額の差が日を追うごとに増えてくる。つまり、その曲線グラフが自分の資金の底を交差した時に、勝負は完全に決まってしまうのだ。要するに資金が少ない方が圧倒的に不利なのだ。

ある日、時間潰しにゴールデンナゲットホテルで、スロットを打っていて1,000ドルのジャックポット(大当たり)を簡単に出してしまった。ここで止めていれば、その日は大勝利で終わったはずなのに、軽く手に入ったあぶく銭を持って、私はテーブルゲームへ移った。持ちなれない資金は、私の暴走プレーで大半が簡単に消えてしまった。正にアブクと消えたのだった。

アメリカに来て、最初に計画をした節制の生活などは、まるで通用しない領域に足を踏み入れていたのだ。そして、日本を出た時の渡米予算である3,000ドルの生活資金を使って、ギャンブルの攻防戦を繰り広げていたのだ。

ビル爺さんと会ったギャンブル中毒のジョージのことを思い出す。あの時は単なる他人事であると思っていたのだ。しかし、今の私にはカジノで勝って生計を立てる以外に策がない。

短時間で勝った時に止めるのがプロ。長時間打つのがアマだと爺さんに教わったことなどは、このあまりに自由な時間の中では、自分の目的とともに消し去られてしまうのだ。しかし、強気で勝負する自分には、まだ大勝利で終わらせようと思う危険な夢が残っていた。

そろそろ「ここを離れよう」と決心したのは、この辺の葛藤の結果であった。

翌日、ホテルからそう遠くない長距離バスのターミナルにフラリと出かけてみた。アリゾナではストライキのために乗れなかったグレイ・ハウンド・バスの運転が再開されていた。

チケットを買う長い列に並び、次の目的地を決めることにする。とにかく次は、ギャンブルのない州に移動しよう、と心に決める。もう10日におよぶベガス滞在で、すでに残り資金は少ない。

すると後ろに並んでいた若い黒人が、
「お前は中国人か? サンフランシスコに行かないか?」
と声をかけて来た。
「いや」
と答えると、
「ここに明日の便のチケットがある。20ドルでどうだ?」
と再度の交渉。20ドル……。

サンフランシスコからは、ロスまで目と鼻の先だ。静かな街だと聞いている。このまま敗走するのか? いや、シスコでも仕事が見つかるかも知れない。このまま東へ向かうよりは、仕事を探す最後のチャンスだ。

そう判断した私は、遂にその黒人からチケットを買ってしまった。このことが後々私の運命の分かれ道になることが、現時点では知る由もなかった。

チケットを買ったことで気持ちの整理のついた私は、今夜ベガス最後の夜を過ごすことになった。夜9時過ぎにエセルMのチョコレートを持って、ニーナに会いに行った。ただお別れを言いたかったので、いつものテーブルでなくカウンターに座り、乾いた喉にしみるような、うまいドラフトビールを飲みながら、彼女を待っていた。

週末の忙しさの中で、相変わらず仕事そっちのけで、お客と喋っているニーナを見つけた。彼女も私を見つけて、
「あら今日は早いのね!」
と、親しげに肩を叩く。
「明日シスコに行くから」
とリクエストのチョコを渡して帰ろうとすると、
「じゃ、今日は夜12時に上がるから、それから今夜は付き合いなよ!」
と、いきなり思いもしないことを告げられた。

 

 

第22回:アメリカン・ドリーム