更新日2002/04/04
翌日、バスの中からバイク屋を見つけてしまい、バスから飛び降りた。10台くらいしか置いていない小さいバイク屋の偏屈親父は、挨拶もしないで自分の愛車らしきCB(古いホンダのバイク)を囲んで、友人か客と会話の最中だ。
店内を見回せば日本と違い、やはりアメリカン・スタイルのアップハンドルのVツイン車が、圧倒的に多かった。値段もやはり予想よりかさむ。日本で頻繁に目にするバイクも、アメリカでは「足」と言うよりも、「趣味」のカテゴリーに入るらしい。当然、安価なバイクなどは、店頭に並んではいなかった。
15分位すると、「ボーイ、何が欲しいんだ」。
オイルに汚れたジーンズをはいた白髪の親父が、この忙しい時にと言わんばかりの表情で面倒臭そうに出て来た。アメリカ人というのは、バイク屋に限らず、半分趣味でやっている店は、どこもこんな感じでとにかくやる気がない。
集まっているのは、買いもしない2、3人のお喋りな友人達だけ。その内輪話がやたら長い。どうやって食っているのか分からない。そして、そんな親父に限って、株に投資していたり、郊外に一軒家を持っていたりする。
私が飛び込んだのは、そういう店の代表だった。
「ニューヨークまで走りたいので、$1,000~$2,000のバイクが欲しい」と言うと、
「バカか、こいつは」といわんばかりに、「そんなバイクは、ウチにはない」と言われた。
このバイク屋ならそうだろうと、諦めて帰ろうとしたら、グループの中で一番若そうな、皮ジャンを着た1人が、カモを見つけたように、
「裏に何台かあるから。見てみないか?」と言ってきた。
店の裏手は整備工場になっていた。そこには、2台のボロバイクがあり、2台共売りに出したい様子で、どうやらこれは、親父の友人達のバイクらしい。客である私の意向とは無関係に、また仲間内のバイク話が15分位近くも続く。売る気があるのか、ないのか? いい加減私も疲れたので帰ろうとしたら、スズキのGS750が$2,000、ヤマハのXT350が$1,500との判決がようやく出た。すかさず私は、安い方を$1,300に値切った。あっという間に商談は成立して、買ってしまった。
メーターケーブルはすでに切れていて、何マイル走っているのかも分からない。エンジンも少しくたびれているようだったが、この際走れれば何でもいい、そんな気持ちだった。
「ヘルメットはあるか?」と聞くと、
「そんなもん、いらねーよ」と白髪の親父の一言。
当時のアメリカでは、ヘルメットの着用義務はなかった。かくして、とうとう自分の足を手に入れたのだった。
バイクに跨り、もらったばかりのカギを差込み、イグニッションをONにして、チョークを引く。キック一発でエンジンを始動させた。暖気運転中も、店の中の3人は、と振り返れば、購入者の私にまったく関係なく、会議を再開している。
チョークを戻し、「サンキュー!」と一言だけ言って、クラッチを離し、アクセルを開けた。飛び出すようにマシーンは走り出す。その途端、周りの情景も一変した。今までのロスとは景色も違う!
西海岸の青空と心地よい5月の風が顔に当たる。
「気持ちいい!」。これ以上の喜びはない。自由の土地、自由の道。そして、自由の時間を手に入れたのだから。
それは、上陸1週間後のことだった。
全米地図を買ってユース・ホステルに戻り、ベッドに寝そべりながら今後の計画を考えた。ロスを出よう。他の町に移動しよう。出発だ。仕事は?
ニューヨークまで走りながら見つければいい。アメリカは広い。きっと何か見つかるさ。
バイクを手にした喜びで、私は楽観主義に転向していた。
第5回:
さらば、ロサンジェルス! その2