第349回:ふたりでもひとり旅気分 -寝台特急あけぼの-
東京と青森を秋田経由で結ぶ『あけぼの』という寝台特急がある。秋田新幹線開業時は生き残った。新幹線の新青森延伸についても、JR東日本秋田支社が『あけぼのは当面は存続』と地元に伝えている。秋田新幹線開業後も一定の需要はあったらしい。それでも『当面は』という言葉が気になる。新幹線開業後の利用客の推移次第では、来年度中に廃止されるかもしれない。
旅情漂う上野駅地平ホーム。
もうひとつの心配事は竜飛海底駅の動向だ。青函トンネル内は竜飛海底駅と吉岡海底駅がある。本来はトンネル火災など非常時のための避難用に設けられた駅だ。青函トンネル開業直後から、この両駅を使って青函トンネル見学ツアーが始まった。その後、吉岡海底駅は新幹線工事のため見学中止となった。竜飛海底駅はまだ乗降できて、地上部分の青函トンネル記念館をめぐるツアーを実施している。しかし、新幹線が新青森まで到達すれば、いよいよ北海道新幹線の工事が本格化する。いつか竜飛海底駅も見学中止になるだろう。
そこで、寝台特急『あけぼの』で青森へ向かい、竜飛海底駅を訪ねる旅の予定を立てた。日程は8月29日から9月1日。その間、犬の面倒を見てもらわなくてはいけないから、恐る恐る母にお伺いを立てた。「取材に出ようと思うんだけど」「どこに行くの」「……遠いところです」「……泊まりなのね」「はい」「どこなの」「えーと、津軽海峡トンネルを見物に……
"普通の人" にはあんまり楽しくないかと」「あら、いいわねぇ」「……行きたいですか」「行こうかしら、気晴らしになるだろうし」。
『あけぼの』が推進運転で入線。
「気晴らしになるだろうし」。この言葉が私の胸に突き刺さった。そう、この時期は母にとって気晴らしが必要な時期であった。24日に父の一周忌があるからである。いまさら悲しみにくれたりはしない。しかし父方の親族には無神経な言動をするものが多く、当日前後の気疲れは必至。終われば気分転換もしたくなるだろう。そこを突かれると、連れて行く……いや、ご案内しなくてはいけない気がする。一周忌のお疲れさん会である。
「でも犬はどうするの」と母が聞く。どうするもなにも、母が面倒を見ないなら預けるしかない。ペットホテルは人間のビジネスホテルより高い。そしてこれは飼い主の私の負担である。心も懐も痛い。悪気はないとは理解しつつ、残酷な問いかけに対して平静を保った。「今回も寝台列車ですが、夏休みだし人気があるのできっぷが取れないかもしれません。ふたり分のきっぷが取れたら行きましょう」と言うしかなかった。
そしてみどりの窓口へ。孝行息子に神が味方をしてしまい、往復ともふたり分の寝台券を確保できた。哀れなり愛犬インテル。またしてもペットホテルの檻の中だ。
機関車はEF64 客車に似合う色。
8月29日。上野駅地平ホーム。『あけぼの』の発車1時間前に着いてしまった。ひとりなら列車の発着を眺めるだけでも退屈しないけれど、母が退屈すると思うと気の毒でそれもしにくい。寝台特急カシオペアの展望スイートのサンプルを見に行く。それだけでは時間が余るので、構内のレストランに入った。夕食は駅弁を入手済みだから、冷たい飲み物を注文する。向かい合って座っても話題に困る。亡父の妹弟の話をした。一周忌の日、寺から出されて余った茶菓をかき集め、ごっそり袋に入れて持ち帰った。浅ましいとはこのことかと笑うと母は眉をひそめた。楽しい話題ではなかったようだ。もう無理やり話題を探さないと決めた。
『あけぼの』の上野駅入線時刻は20時50分らしい。13番ホームで待っていると、少し遅れて青い車体が向かってきた。上野駅の地上ホームは行き止まり式だから、出発するときの姿で逆向きに入ってくる。機関車が客車を後ろから押す格好だ。車掌が客車の先頭に立って、おそらく無線で機関士に速度を指示している。特別な列車のために手間をかけている。長距離列車の旅立ちにふさわしい儀式である。
B寝台個室『ソロ』の車両。
こういう作業を大事な儀式と受け止めるか、面倒な作業と敬遠するかで、客車寝台特急の運命は変わる。いまは後者の感覚のほうが大きいかもしれない。労働者も経営者も効率と簡素化を望む。それはよい事だけれど、"旅を支える"というプライドを失っているのではないかとも思う。いや旅情自体の価値が薄れて、働く人もそこにプライドを持てなくなっているかもしれない。古式ゆかしい雰囲気を好む旅人は、ただ嘆くばかりだ。
私たちの寝台は5号車の1番と2番。B寝台個室 "ソロ" だ。開放B寝台と同じ値段で個室。直立が難しいほど狭いながらも、独立占有の空間だ。1番は下段、2番は上段。私は母に上段を勧め、荷物運びを手伝った。上段は景色がよく見えるし、窓が天井に回り込んでいて、部屋を暗くすれば星も見える。下段は景色は低くなるけれど、空間はちょっとだけ広い。帰りも
"ソロ" の上下だから、上下入れ替わって両方試せばいい。私は10年以上も前に、秋田からの帰りに『あけぼの』に乗った。そのときにソロの上段に乗っている。だからお先にどうぞという心境だ。
『ソロ』上段 窓が天井に回り込む。
『ソロ』下段 上段より若干広め。
私はホームに出て機関車を見に行った。直流区間専用のEF64形電気機関車だった。客車と同じ青い色で、編成全体に統一感がある。これぞ正当派ブルートレインだ。いや、ほんとうは東海道線のEF65やEF66のように、機関車の側面にも客車と同じ白い帯がほしかったけれど。それは望みすぎだろうか。「せめて1本だけ、カッティングシートを貼った帯でいいんだけど」と思う。客車は8両。A寝台個室、B寝台個室、開放型B寝台、指定席扱いの寝台「ごろんとシート」の4種類。食堂車やロビーカーはない。
5号車に戻り、母の様子を窺う。2月に乗ったカシオペアとは違ってかなり狭く、窮屈そうに見える。しかし当人は楽しそうである。私は下段で荷物を整理して、駅弁の包みを抱えて上段に戻った。もっとも私は、「21時すぎの発車だから、どこかで食事を済ませて乗ればいい」と思っていた。しかし母は旅が決まるとすぐに、「駅弁を食べなくちゃ」とはしゃいでいた。駅弁を食べなければ汽車旅ではない、と考えている様子であった。
個室でひとり旅気分。
今日は東京駅構内で「うなぎ弁当」を買って来た。上野駅の夜は駅弁屋は開いていないだろうと推測したからだ。上野駅に来てみれば、駅弁屋は開いていた。けれど品数は少なかった。ロビーカーがないので、ひとり用の狭い個室にふたり詰まって食べる。列車が動き出し、ゴツゴツとポイントをわたり、小刻みに揺れる。都会とはいえ、進行方向右側の車窓は暗い。上野の繁華街は車窓左側だし、右側の建物のほとんどは昭和通り側が表で線路に背を向けている。
弁当を食べ終わってしばらくして、私は母に、「おやすみなさい」と言った。まだ22時前だ。しかし私は徹夜明けで眠いし、部屋が明るいと夜景も見えない。母と息子の間には尽きぬほどの話題もない。夜汽車ではひとり、流れる街の灯を見ていたい。そのために
今回の旅は往復とも"ソロ" を手配した。明日の函館のホテルもシングルを2部屋にした。母には説明しなかったけれど、今回の旅のコンセプトは「ふたりで行くけどひとり旅」である。母にも気楽なひとり旅気分を楽しんでもらおう。
-…つづく
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