第324回:大野城ウォーキング -京福バス勝山大野線・越前大野駅-
更新日2010/03/25
えちぜん鉄道勝山駅からバスに乗った。JR越美北線の越前大野駅行きである。かつて京福電鉄は勝山と大野を結ぶ鉄道路線を持っていた。しかし、この路線は国鉄が越美北線が開業したため乗客を奪われ廃止された。うまく存続できれば鉄道による勝山-大野観光の回遊ルートができたはずで、勿体無い話である。が、赤字では仕方ない。しかし越美北線だって赤字を承知で税金を投じて作ったわけだ。これはいわば民業圧迫であろう。そのせいで赤字が後を引き、安全設備の投資に手が回らず、事故を起こす遠因になったとしたら、京福電鉄に同情したくなる。
バスで越前大野へ。
廃線ルートに沿うわけではないけれど、今は京福バスが勝山と大野を結んでいる。鉄道と違って、勝山市街を通り、大野市街を通過してから大野に着く。だから使いやすくなったはずだが、休日の今日は4往復しかない。しかもこの便の客は私のほかに3人。バス路線の維持も厳しそうだ。私以外のお客さんはすべて、トンネルを抜けたところの停留所で降りてしまった。もともと両駅を結ぶ旅客需要は少ないようだ。
バスに揺られて約30分で越前大野駅に着いた。しかし、越美北線の九頭竜湖行きは約2時間後の10時15分発。なんとも間の空いた乗り継ぎだ。しかしこれでもベストチョイスである。そもそも越美北線の運行本数が少なくて、福井と九頭竜湖を結ぶ列車は1日に4往復しかない。そして列車は九頭竜湖駅ですぐに引き返してしまう。九頭竜湖を見物するなら福井発09時08分の列車に乗り、九頭竜湖に10時46分着、帰りは九頭竜湖発14時33分発に乗る。この行程しか選択肢がない。
ただし越美北線のみ往復するとえちぜん鉄道勝山永平寺線に乗れなくなる。だから勝山永平寺線で勝山へ行き、バスに乗り継いで大野に来たわけだ。これなら2時間早く大野に着き、福井発09時08分の列車に乗り継げる。逆のルートで帰りに勝山永平寺線に乗るルートも検討したが、バスの便がなかった。
朝市へ向かって歩く。
列車の気配のない駅は閑散としており、売店のおばちゃんも暇そうである。待合室に二人しかいないから、お互いになんとなく気になる。こんなとき、場末のラーメン屋のようにテレビに夢中になってくれたら気楽だと思う。おばちゃんはまじめに座っており、こちらからお呼びがかかるかと期待しているようでもある。そうしているうちに私は空腹になった。おばちゃんに「何か腹の足しになるものはないかい」ときいたけれど、パンも弁当もない。里芋あられという地元のお菓子を見つけた。薄塩味の軽い煎餅で、噛み砕くとほのかに土の香りがある。うまい。
「良かったら朝市に行ってみて、あそこなら何かあるから」という。大野城に行く途中に城下町の名残があって、今日はそこで朝市が開かれているそうだ。小一時間で往復できるというので見物しに行く。大野駅で2時間待ちと決まったとき、何か見物しようと調べたところ大野城を知った。しかし距離がありそうなので行かないつもりであった。その手前で朝市があるならちょうどいい。きっと大野城を見上げる程度の見物はできるだろう。私はおばちゃんに町歩き用のパンフレットを貰った。
里芋を出す店が多い。
駅前広場を出て右に曲がると、もう大野城が見えた。出かける前に見た地図では離れているように感じたけれど、意外と近い。城が大きく、高い場所にあるからかもしれない。駅周辺は住宅街である。やや広めの戸建てが多い。越前大野から福井までは列車で1時間。通勤通学できる距離ではある。畑をつぶして宅地化したばかりのような土地もあった。もっと広い空き地があって、まさか高層マンションでも建つのかと思ったら、町営の駐車場であった。しかしクルマもバスも少ない。これから観光キャンペーンをやるつもりか、もしかしたら桜や紅葉の名所で、大勢のお客さんが訪れる時期があるのかもしれない。その広い駐車場で犬を散歩させている人がいた。犬がしきりにこちらへ来たがるので、遊んでもいいかと飼い主に言ったが「無理です」と言われた。
城下町の名残なのか、商店が並ぶ通りを中心に道が碁盤の目のようになっている。黄色い旗印が並ぶあたりが朝市だ。仏壇用の花や里芋を売る人が多い。ちょっと時間が早かったようで、調理された品はなかった。里芋はすぐに調理できるよう皮をむいて袋詰めしてある。しばらく歩くと大きななべを出している店があったけれど、水は煮立ってなかった。結局、立ち止まるべきところはなく終端に来てしまった。
古い倉を改造した店。今日は結婚式らしい。
ここまで来るともう大野城の麓であった。時計を見ればまだ30分しか経っていない。パンフレットを見れば、片道20分ほどらしいので、大野城へ行ってみる。ちょっとした登山であるけれど、年寄りでもゆっくり上れるような緩やかな道である。犬の散歩にちょうどいいな、と思っていたら、途中で幾度となく犬の散歩とすれ違った。初めて上るときはきついけれど、日課になってしまえば健康に良い散歩道だと思う。
本日は快晴なり。朝は肌寒くても太陽が出れば気温が上がる。上り坂の私の汗が増えて、眼鏡をはずして顔をぬぐいたくなる程になっている。立ち止まれば町の景色が見渡せてよい気分。しかし空気の流れがなくなって汗が噴出す。歩き続けたほうがいいらしい。トットット、トットット……歩くリズムができあがると無の境地。上り坂も苦にならない。むしろ、だんだん心地よくなってくる。
大野城への山道。
大野城の外壁は真っ白に輝いていた。古さを感じさせない姿は当然で、この城は約40年前に新しく建てられた。1575年に初めて築かれた城は200年後の1775年に焼失しているという。初代城主は織田信長に仕官した金森長近で、あの勝山の一向一揆を鎮圧した褒美としてこの地を与えられた。武勇の長近に対して、弟は落語の始祖、安楽庵策伝というから、ちょっと粋な家系である。長近はその後、秀吉、信長に仕え、初代高山藩主となっている。大野城は長近の立身伝の礎といえそうだ。
大野城。
築城時の石垣のそばに「この石垣は能面積みといって、水はけが良く耐久性がある」と説明書きがある。しかしその裏には「落石注意」とも書かれていた。この一枚が「歳月」を象徴しているようだ。歴史好きならもっと楽しめそうな処ではあるけれど、私は高いところから町を眺めただけで満足した。帰りは違う道から降りようと、案内板を見ながら降りていく。城の北側に下りるつもりが西側に出てしまい、駅から遠くなってしまった。早足で駅に戻る。また汗が噴出した。
帰り道に見つけた「石灯籠地蔵」
碁盤の目の町作りで測量に使われたという。
-…
つづく
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