第326回:九頭竜湖サイクリング -越美北線2-
残念ながら「太古の昔、九頭竜湖には九つの頭を持つ竜が棲んでいた……」という伝説はない。九頭竜湖は1968(昭和43)年に完成したダム湖である。そして、同じくらい残念なことに、越美北線の九頭竜湖駅は九頭竜湖のそばにはない。道のりで数キロ離れていて、願わくは、えちぜん鉄道の永平寺口駅のように、「九頭竜湖口」と書いてほしいくらいである。駅から九頭竜湖へ行くためのバスもない。九頭竜湖駅と越美南線の美濃白鳥駅までを結ぶバスがあったけれど廃止されてしまった。
越前大野駅前の恐竜たち。
九頭竜湖駅に来て、九頭竜湖を見ない。それはなんだか勿体ないような気がした。観光案内所にレンタサイクルがあるという。きっと最近の貸し自転車は電動アシスト式だろうと期待して申し込んだら、都会の駅前を占拠するお買い物タイプだった。これでダム湖へ上がっていくのか……。せめてもの慰めは三段ギアがついていることだった。荷物は事務所で預かってくれるという。私はカメラだけ取り出した。
「九頭竜湖へ行ったぞ、と思える所までどのくらいかかりますか」
「ダムの事務所ですね。行きは1時間、帰りは20分くらいでしょう」
同じ距離を往復するだけだが、時間差が大きすぎる。
「かなりきつい上り坂ってことですよね」
と念を押すと
「挫折しても、途中にきれいなところがありますから」
観光の旅で挫折という言葉が出てくるとは思わなかった。
これで九頭竜ダムへ!?
九頭竜湖までは1本道だ。私は意気揚々と自転車をこぎ始めた。大野城は徒歩で上った。それに比べれば自転車はラクだ。なにしろ帰りは下り坂である。が、しばらく走って、これは大変なことになったと思った。山腹の、見上げるような所を道路が横切っている。あんな高いところへ行くのだ。しかしもう行くと決めた。後戻りはできない。そもそも、自転車の上り坂がキツいと思う理由は、平地と同じ速さで走ろうと無理をするからだろう。少し遅くてもいいから、じっくりとペダルを踏めば、一歩ずつ歩くよりも楽なはずだ……ということはなかった。踏み台昇降よりも足に負担がかかり、額から流れた汗が目に入る。
前方に見える道も通りみち。
私はあきらめて自転車を降り、押して歩いた。自転車を時速10km、徒歩を時速4kmとすると、自転車で1時間かかる距離は、徒歩だと2時間半くらいだ。帰りは20分というから、ダム湖に佇む時間は10分程度。まあいいだろう。景気を眺め、記念写真を撮るにはちょうどよい時間である。それに、時折、冷たい風が下りてきて心地よい。まずは小さな鷲ダムが前座のように現れた。波のない水面は暗くて重そうだ。
鷲ダム。
その先は道に落石覆いがかかっている。ふだん徒歩や自転車の往来のない道なのだろう。大型バスやトラックが勢いよく走り、こちらは心細くなってくる。あちらは「物好きが歩いているな」としか見ないだろうけれど、こちらは風に煽られると崖下に落ちてしまう。
国鉄時代、越美北線と越美南線は接続されて越美本線となり、福井と岐阜を結ぶ計画だった。それまでの「つなぎ」として国鉄バスが結んでいた。ところが国鉄の赤字が深刻となって鉄道建設は中止。越美南線は廃止されそうになって、第三セクターの長良川鉄道が引き継いだ。それでも国鉄バスは残っていたけれど、何年か後に廃止された。地図を見ればかなり景色がよさそうで、それは道の駅で憩う人々の数が証明している。だからこそ、せめて路線バスだけでも残してほしかった。
九頭竜ダム発電所が見えた。
岬のように山が突き出たところを回り込むと、九頭竜ダムの放水路と発電施設が見えてきた。ちょうどダム壁の対面に当たり、ダムの姿がよくわかる。「挫折しても景色のいいところ」はここだろうか。確かにダムを見たといえる場所である。ダムの事務所ビルも手が届きそうなところによく見える。挫折している場合ではない。ここまできたらダムに行きたい。「帰りの列車を1本遅らせたっていい」という気分になってきた。ここで1本遅れると次の列車は4時間後の18時34分。今日の旅は終わりってしまう。えちぜん鉄道の三国線を諦めなくてはいけない。
それでもダム壁の向こうを拝みたい。坂道が緩やかになったので、ペダルを踏んで登りきった。ダム事務所は道の駅に比べれば人は少なく、注目されずに済んだ。ほかに自転車で来た人はいないようで、どこに停めるかちょっと迷い、建物の壁に沿って停めた。このビルの職員が見回り用に使っているように見えて、見事に風景になじんで違和感がない。お買い物自転車はどんな風景にも溶け込むステルス機能を持っている。
九頭竜ダムから。
予想より少し早く、1時間半で着いた。はるばるやってきた達成感も手伝って、ダム湖の風景の素晴らしいこと。自然の湖は岸に建物が並んで風景を壊しているけれど、ここは人口湖で、建物はこの堤防と事務所だけである。そこに立っているから、視界にほかの建物は入らない。もうすこし先に行くと橋がかかっているらしいけれど、ここからは見えない。まるで昔からこうだったかのような景色だ。が、この水の底には村があり、人々の暮らしがあった。それに気づかせてくれる映画があって、事務所棟の見学コーナーで繰り返し上映されている。それをひととおり見終わると、汗も引き、出発にちょうどよい時間になった。
帰り道はずっと下り坂。ペダルをひと踏みしただけで速度がどんどん上がっていく。ノーペダル。ノーブレーキ。爽快そのものだ。私はいままでスキーやスノーボードをやらず、坂を下りるだけのことで何が楽しいのかと思っていたけれど、これは楽しい。前後の車とほぼ同じ速度で町の入り口まで降りきった。15分しかかからなかった。
帰りは足羽川と並ぶ。
予定通り14時33分発の福井行きの列車に乗った。足に疲労感があるけれど、幸いにも座れ、車窓を眺めていれば疲れも忘れる。越前大野までは休憩気分。そこから先は初乗り区間だから本気を出す。本気と言っても風景を愛でるだけのことで、戦う相手は居眠りである。しかし心配は無用だった。晴天で景色もよく、大野から牛ヶ原までは盆地ののどかな景色、牛ヶ原からは峡谷へと景色が変わる。徒歩の時代の旅人も苦労しただろうと思わせる険しさである。美山からは足羽川が寄り添う。
ここから一乗谷までは何度も鉄橋を渡った。少しでも平地があると川をわたり、行き詰まるとまた川を渡る。橋の数は7つ。変化に富んで楽しい景色だが、経路を検討した人や建設にかかわった人の苦労が偲ばれる。そんなに苦労した線路や鉄橋が、2004年の豪雨で5つも流された。こんな細い川でも暴れるのか、いや、細いからこそ勢いが強かったのかもしれない。今日の足羽川は穏やかで、水面もきらきらと輝いている。
福井駅に到着。
越美北線の起点は北陸本線の越前花堂駅だ。しかしほとんどの列車が福井に乗り入れる。長編成の特急列車が行き交う線路に、たった一両のディーゼルカーがいそいそと上がりこむ。本線に乗ってしまったからにはスピードを出さねばならぬ。キハ120はここぞとばかりに懸命に走り、高架化されたばかりの福井駅に到着した。15時58分。長いホームに1両だけ。しかし遠慮することはない。1時間20分かけて、今日も無事に山から降りてきたぜ、どんなもんだい、と得意げな表情に見えた。
-…つづく
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