第317回:天の川駅の向こう -江差線2-
更新日2010/02/04
分水嶺を越えても線路はアップダウンを続けていた。私たちの旅は都合よく、閑散とした車中では、それぞれが別の席で一人旅気分を楽しみ、混んだ車内では二人掛けで他人との相席を免れる。今はそれぞれ一人旅を楽しんでいた。湯ノ岱駅で停車中にM氏がやってきて、ここでタブレット交換だと教えてくれた。窓から顔を出すと、ちょうど駅員が運転士に輪を手渡すところだった。テレビのローカル線番組では珍しい場面だいうけれど、タブレット方式は意外と残っている。いや違う、私が珍しいローカル線ばかり訪ね歩いているから見る機会が多いのだろう。
湯ノ岱駅からタブレット閉塞区間。
こちらは曇り空だが、遠くの山のほうは谷が煙っている。しかし、さらに向こうの山頂付近は青空。江差あたりは晴れているようだ。ぼんやりと景色を眺めていると、またM氏がやってきて「もうすぐ天の川駅が見えるはず」という。江差線にそんな駅があったかなと思った瞬間、確かに駅名標が見えて、あわててカメラを向けた。液晶画面を確認すると、ぶれた写真ながら確かに「天の川駅」と書いてあった。
「天の川駅」は、地元の有志が江差線の存続を願い、観光の話題作りのために作ったという。ホームひとつ。駅名標だけの建物で、正式な駅ではないから列車は停まらない。観光シーズンくらいはシャレで停めてあげてもいいと思うけれど、そういう話も聞いたことがない。ロマンチックな駅名の由来は、この付近に本当に「天の川」という川があるからだ。M氏は物知りだ。きっと念入りに今回の旅を予習したのだろう。
天の川駅を通過。
そんなM氏にもうひとつ質問してみた。
「山の中なのに、潮の香りが強いです。もう海が近いんでしょうか」
苦笑いしながら即答された。
「さっきから向こうの席で、イカの燻製を食ってるオヤジがいる」
江差駅の手前、上ノ国駅周辺は住宅が密集している。江差が栄える前は、ここが本州からの拠点だったという。家が多くてもここは町外れにあたり、隅っこにスナックが3軒寄り添っている。この集落に許された規模の”歓楽街”かもしれない。裏情報が集まりそうな雰囲気だ。私が流れ者の探偵なら、まずはあそこから探りを入れるだろう。まず真ん中の店に入り、入り口に近いカウンターに座る。よそ者の定番だ。
店が空いているか常連グループが帰ると「そっちは寒いからこっちに来な」とママが奥の椅子を勧める。
「あんた、見ない顔だね」
「ああ、今の汽車で着たばかりだ」
「汽車だって、古いこと言うじゃないか」
「そうだな。でもガキのころは汽車だった」
「おや、ここの出かい」
「ああ、ずいぶん昔の話さ。わけありで逃げた」
「あんたが」
「いや、お袋だ。よく覚えちゃいないが、オヤジが死んですぐ」
「ふーん」
初日はこの程度の会話で我慢。翌日から通い続けて、まずは両隣の店の評判を聞き、噂話を小耳に挟みつつ、町のキーマンを探っていく。いったい探偵は何を探っているのか。数日たって評判の悪い常連グループとちょっとしたいざこざを起こし、わざわざ店の前で倒れ、ママに傷の手当をしてもらい、そのままママの部屋に泊まる。……私には無理だ。こんな展開で面白い話にしていくなんて、高倉健にしかできない。
日本海が見えた。
夢想しているうちにディーゼルカーは海沿いに出た。雲は多いけれど青空が見える。太陽は雲に隠れていて、遠くの海に光のカーテンができていた。16時16分。定刻どおりの江差駅到着。線路ひとつ、ホームひとつの小さな駅だった。複線ぶんの路盤があるけれど、線路は撤去され砂利で埋められていた。その向こうにもかつて線路があったであろう空き地がある。丘を切り崩したところが駅構内だったらしい。
その斜面の上には新築の住宅が並んでいる。線路の途切れた先にも瀟洒なアパートが建っている。大都市の通勤圏でもないのに新しい住宅があるのも妙だなと思う。市のWebサイトによると、江差町は「北の大地の移住促進事業」を展開中だ。そこには生活の便利さ、医療、高齢者支援などの項目があって、職業斡旋については触れられていない。都市をリタイヤしたリッチ層に「のんびりと田舎暮らしをしませんか」と誘っているらしい。この地方は温暖な海流があって雪が少ないらしいので、余生を過ごすにはいいかもしれない。
江差駅。
江差駅舎は平屋で、風除け室があるところはいかにも北国風だ。しかし地味な造りで、とりたてて旅情を誘う雰囲気はない。駅前広場を巡っても観光客向けの店はなかった。もっとも、ここも上ノ国駅同様に町の中心部からは離れている。江差市街までは徒歩20分くらいだろうか。そこにはニシン御殿が保存されていたり、鴎島という景色のよい陸続きの島があったり、当地沖で沈没した幕末史に欠かせない軍艦「開陽丸」が引き上げられ復元されているという。時間があればそれらをぐるりと回ってみたかった。しかし今日は10分で折り返さなくてはいけない。
次に訪れる機会があったら行ってみたい。が、そういう場所がもう数え切れないほどある。日本で最初にレイルウェイライターを名乗った種村直樹氏が、晩年はバスを乗り継いで日本列島外周の旅を打ちたて、40年かけて完遂した理由も、鉄道全線完乗後の、こうした”落とし物”を拾いたかったからだろう。鉄道を旅したいという気持ち、鉄道のその先へ行きたいという気持ち。これはいつまでも付きまとう葛藤である。
江差駅ロータリー。
-…つづく
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