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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 
第341回:雪の芸術品 -石勝線(夕張支線)-
更新日2010/08/05


夜明け前の薄明るい時間に目覚めた。帯広のビジネスホテルの窓から駅前広場を見下ろすと、バスロータリーも歩道も地面が見えた。網走より雪が少ない地域らしい。しかし寒さは変わらぬようで、どのビルの屋上からも湯気が立ち上っている。今日は06時48分発の特急"スーパーとかち2号"に乗る予定である。荷物をまとめていると携帯電話に着信。母だ。
「起きた?」
「起きてるよ」
「ドア見た?」
「ドア? なにそれ」
「私、部屋が変わったのよ」
なるほど、ドアの下からA4サイズの紙が差し入れられていた。事情を聴くと、夜中にバスルームのバルブが壊れたらしく、水滴の音が響いていたという。しばらく我慢したものの、ついにフロントに連絡し修理が始まるも失敗。真夜中に部屋を移動したらしい。私が眠っている間にそんな騒動があったらしい。チェックアウト時のフロントの対応は、「昨日は失礼しました」の一言だけだった。どうも母はそれが気に入らなかったようだ。どうやら今日は不機嫌なスタートである。格安ホテルめ、ノベルティのひとつでも渡せばいいものを。


帯広駅ホームから日の出を見る。

もっとも、母の不機嫌は長続きしなかった。高架ホームから"スーパーとかち2号"に乗り込んだら、窓の向こうに太陽が力強く昇ってきたからである。母は、「きれいねぇ」と目を細める。帯広の市街地が終わる頃には遠くに雪を頂く山脈が見えて、さらに景色と機嫌が良くなった。車窓左手は日高山脈、車窓右手は石狩山地である。列車はふたつの山並みの間に入っていく。谷を抜ければ新たに夕張山地が立ちはだかっている。カーブで迂回しつつ高度を稼ぎ、トンネルをいくつか過ぎれば、車窓は再び真っ白な雪に包まれた。


朝日を浴びるキハ261系。ボディに私の影が入ってしまった。

トンネルの中で根室本線と石勝線が分岐する。私たちの"スーパーとかち2号"は石勝線に入った。石勝線は根室本線を短絡する新線として建設された。根室本線は函館本線の滝川から分岐して道東へ向かう路線だ。富良野を経由し、険しい夕張山地と日高山脈を迂回するルートである。その後、トンネル技術の発達と蒸気機関車の廃止によって、大きな山脈を貫く石勝線ルートが開通した。これで札幌と帯広・釧路間の所要時間は大幅に短縮された。石勝線は人里離れた山中を走るから駅は少ない。


雪の山脈の美しさ。

石勝線の数少ない駅、トマム駅付近で、2本の高層ビルが見えた。バブル景気の頃に建てられたホテルである。開発会社は倒産し、現在は占冠村が所有して、リゾート会社に運営委託しているという。地方の鉄道では上下分離と言って、施設を自治体が保有し、運行を民間会社が行うという仕組みがある。トマムはリゾートホテルの上下分離政策である。列車は次の占冠に停まった。エンジン音が小さくなって、辺りの静寂が客室まで静めてしまう。デッキと客室は自動ドアで仕切られていて、どれだけの乗降があったかはわからない。やがて列車は静かに加速した。またトンネルと降雪の山間部の繰り返しであった。


新夕張駅付近は快晴。

08時21分。新夕張駅着。峠を越えたらすっかり晴れていた。まぶしいほどの青空だ。私たちはここで降りた。ここから北へ支線が出ていて、夕張に通じている。この16.1キロの区間が私の未乗区間になっている。今まで特急で直行していたため、ぽつんと残された未乗区間だ。今回はここと室蘭本線の支線の、ふたつの飛び地を消化する日程を組んだ。そもそも未乗区間に乗る旅が私の本領であって、そこに付き合わされる母にとっては面白くなかろう。もちろんそれも織り込み済みで、私にとっては母に、「こんな旅ならもう行かない」と言わせたい、と企んでいる。


夕張行きは40分後。ホームで待つには寂しいので、私たちも改札外の待合室に移動した。"スーパーとかち2号"からは、私たちの他に小さな子を連れた夫婦も降りた。里帰りらしい。父親が携帯電話で迎えを頼んでいた。待合室には朝の強い日差しが差し込んでいる。暖かい。駅前は車路以外は雪で埋もれている。朝の雪だから真っさらで、私はそこに足跡を付けてみたくなった。雪を珍しがる子供のように歩き回る。どこも膝までの深さがある。屋根のある自転車置場があって、そこでいったん雪を払おうとしたら、その手前が実はかなり深く、腰まではまった。

苦笑しつつ脱出して、ちょっと下がったところに「紅葉山駅」の駅名標があった。これはいいものをみつけたとカメラに収めた。石勝線のうち、室蘭本線の追分から紅葉山を経由して夕張までは、かつて"夕張線"といった。夕張炭坑から室蘭方面へ石炭を積み出す路線だった。その夕張線の一部を使って石勝線が建設された。そのときに紅葉山駅は新夕張駅と名前を変えた。その痕跡がこんな所にあったとは。四十を過ぎた息子が無邪気に雪まみれになっている。そんな姿を待合室の母は知らない。私は駅舎に戻り、母にも散歩を勧めた。たった数分で戻ってきたけれど、気晴らしになったようである。


お茶目な除雪車。

帯広行きの特急と追分行きの鈍行と夕張行きの改札が同時に始まり、私たちはホームに上がった。気温は低いけれど、風がなく、日差しが強いので寒さを感じない。高架駅だから風景が広々として気持ちがいい。2面4線のホームには夕張行きのキハ40形ディーゼルカーが1両。向こうの線路には黄色い除雪車が停まっていた。朝の仕事を終えてきたばかりらしい。よくみると防雪版に目玉が描いてあったり、車体に虹を描いたり、かわいい雰囲気である。厳しい仕事を少しでも楽しくしようという心意気だろうか。


夕張行のキハ40形。JR北海道の気動車は車番が前面にデザインされている。かっこいい。

ディーゼルカーの車内はスキー客の女の子3人グループ、同じく男の子二人のスキーグループ、そして地元の所用客が二人。それぞれボックストートに座る方向がバラバラで、列車がどちらに進むか判断しづらい。そんな私の気持ちを弄ぶように、キハ40は一瞬だけ後退してから走り出した。夕張支線の線路は夕張川が作った谷間を上っていく。風景は道路と雪の原が続いている。夕張川はかなり蛇行しており、線路には沿っていない。ディーゼルカーは雪の道を坦々と走っていく。景色は単調だ。いつか変化があるかもしれないと注視していたけれど、イベントは夕張川の鉄橋程度である。

今回の夕張支線訪問は少し悩んだ。冬は見所が無いからだ。夕張支線沿線には、炭坑で栄えた夕張の歴史を伝える記念館や、大ヒット映画『幸福の黄色いハンカチ』のロケ地となった炭坑住宅などがある。しかし、雪深いこの時期は閉館中だ。高校時代の、鉄道にしか興味がなかった私なら、列車で往復できればそれで充分だった。しかし年齢を重ねるほど、「あれも見たい、これも見ておきたい、次にいつ来られるかわからない」と欲が出る。だから夏に来て、できる限りの見物をしたい。


夕張の街が見えてきた。

それでも今回は乗った。歳を取り、いくつか病気をするうちに、微かに寿命を意識し始めた。もはや、「次にいつ」ではなく、「初めてはいつ」も考えなくてはいけない。身体が動かなくなったときに未乗区間があったらと思うと焦る。乗れるときに乗っておいて、二度目に行きたい場所を控えておく。そんな『二度目に行きたい場所リスト』も増えている。まったく、歳を取るとは面倒なことである。そういえば、母との旅だって、あと何年できるかわからない。もちろんそんな残酷な話は母にはできない。

私と母は別々のボックス席でそれぞれの思いに耽っていた。すると母が来て、「窓に絵が描いてあるのよ、きれいね」という。そんなものあったかな、と指さされた所を見ると、氷が結晶になって、幾何学模様を描いていた。
「これは自然の芸術だね。氷の結晶だ」
「違うわよ。きっと誰かが描いたのよ。面白いわねぇ」
「え、そんなことないでしょ。絵じゃないよ」
「なに言ってるんだい」
いや、ここまでにしておこう。本人が絵だと思って愛でているならそれでいい。力強く反論して機嫌を損ねるとやっかいだ。


夕張駅。かつてはもっと奥の炭坑付近まで線路が延びていたという。

終着駅の夕張は小さな駅だった。観光案内所と喫茶店を兼ねたトンガリ屋根で、童話のお菓子の家のようでもある。こんな駅が雪原にぽつんとあったらいい風景だ。けれど、駅前には巨大なリゾートホテルが建っていた。風情がないと嘆いてはいけない。財政破綻した夕張市にとっては頼みの綱である。ここは札幌からバスで約90分。札幌から特急で新夕張まで来て支線に乗り継いでも約90分である。なかなか便利なスキー場だ。ならばいっそ、ホテル内に駅も作ってしまえば良かったのに、と思う。


乗ってきた列車で帰る。

スキーにはまったく縁がない四十男とその老母は、駅前をしばらく眺めて乗ってきたディーゼルカーに戻る。発車間際に私たちの席のそばを運転手さんが通りがかった。なにを思ったのか、母は彼を呼び止めた。
「ねぇ、これ、絵よね。どうやって描いたのかしら」
と、窓ガラスの隅を指さす。
「ああ、これは雪の結晶ですな」
彼はそう言い残して、足早に去っていった。


氷雪の芸術?

-…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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