第330回:劇的なリフォーム -富山ライトレール-
時間が余った。北陸鉄道石川線を踏破し、加賀一ノ宮駅についた。これで今回のたびの目的地はすべて巡った。まだ昼前であった。このまま特急と新幹線を乗り継げば、明るいうちに東京に戻れる。しかし私は寝台特急『北陸』に乗ってみたかった。『北陸』の金沢駅発車時刻は22時18分。たっぷり半日の空白だ。そこで、加賀一ノ宮駅ですぐに引き返さずに、白山比朎鐓社をお参りした。徒歩10分ほどの参道は森の坂道で、冷たく澄んだよい空気だった。
次に、パーク獅子吼というレジャー施設に行ってみた。緩やかな坂道を延々と歩き、ロープウェイで上がる。私一人だと安定しないせいか、ゴンドラが傾く。まるでスリルたっぷりのアトラクションである。山頂を散歩して、ハンググライダーの離陸ポイントから北陸鉄道の廃止区間を眺めた。あまりにも距離があって、肉眼ではどこに電車が走っているかわからない。デジカメの望遠レンズを通して見た。気配を察してシャッターを押したけれど、はたして写ったかどうか。
パーク獅子吼から北陸鉄道石川線を見下ろす。
鉄道模型のような景色だった。
平日の昼間、広い公園に私一人。手持ち無沙汰の係員に誘われて、自動運転のバッテリーカーに乗ってみた。ゴルフ場のキャディカーのような乗り物で、公園の最も高いところを一周する。レールがないのに道を離脱しない。周回路にマーカーが打ち込まれ、車載センサーがそれを追跡していく。これは意外にも面白かった。自動運転だから両手でカメラを構えられる。このひと巡りで獅子吼を制覇した気分になった。レストランで焼きたてのパンとコーヒーを頂いて"下山"。北陸鉄道石川線で戻り、西金沢で北陸本線に乗り換えた。この時点で、まだ15時ごろだった。
ひとり自動カートでパーク獅子吼を楽しむ。
金沢市内を見物してもいいし、映画やゲームセンターで暇をつぶすという手もある。しかし、乗り放題の「北陸フリーきっぷ」を使わなければもったいない。私は特急列車で富山に向かった。4年前に訪れた富山港線が第三セクターの『富山ライトレール』になっている。富山駅付近のルートが変更されて、短いながらも未乗区間になっていた。いまからだと、一往復して金沢に戻れそうだ。もし遅くなったら富山から『北陸』に乗ればいい。
富山駅到着直前。海側の窓から北口駅前広場が見えた。富山ライトレールのターミナルがあって、ホームの庇の柱などに鉢植えが飾られていた。その界隈だけがお手本どおりの欧風な風景だ。この駅前から下奥井駅の手前までが新たに路面電車として作られたルートである。JR時代の富山港線は富山駅の端を使っていた。ここだけ見れば新路線のようである。住宅のリフォームを紹介するテレビ番組になぞらえれば、まさに劇的なビフォー・アフターだ。
変貌した富山港線「富山駅北駅」。
丸っこい外観の低床車両に乗り込んだ。座席はすでに埋まっている。4年前はガラ空きの電車で、どこに座ってもよかった。しかしこの電車は大勢の人々が利用している。私は運転台の後ろに立った。前面ガラスが大きく、運転席も広く、その後ろは仕切りがなくて、よい眺望である。発車時刻となって列車が動き出す。静かだ。そしてすぐとまる。駅前広場から大通りへ出るための信号であった。そして電車は大通りの端、歩道との境目を走り出した。単線で、線路の間に芝が植えられていた。美化対策と、自動車の進入をさりげなく拒むという目的があるのだろう。
電車は連接車体をくねらせて右折し、高層ビルが並ぶ大通りに入った。今度は道の真ん中だ。中央分離帯でもあるわけで、車も遠慮がちである。電車は堂々と進んでいる。新しい交通システムであり、町のシンボルである。もしかしたら、車に乗る人も誇らしいと感じているのではないか。富山の人々は鉄道に好意的かもしれない。おそらくそれは、富山地方鉄道や黒部峡谷鉄道が観光客に重宝されているからだろう。いまや富山ライトレールにも観光客が訪れる。富山県にとって、鉄道は"外貨"を稼ぐ装置と言える。知人や親戚がその恩恵を受けている、という人も多いことだろう。
運転室展望が楽しい。
線路はまっすぐかと思ったら、ときどき半車線ほどズレる。小さな川を渡った先には作りかけの分岐レールがあった。将来の増発に備えて、複線化、あるいはすれ違う設備を準備しているようだ。やがて電車は左折し、専用軌道に入った。ここからが旧JR富山港線である。電車は新しくできた奥田中学校前駅に止まった。ここまでで、未乗路線に乗る目的は果たした。しかし、せっかく来たからには終点まで行きたい。私はそのまま運転台後ろにかじりついた。
4年前に訪れた風景はまだ記憶に残っていた。路線の経営者が変わっても、風景まで影響が出ることはない。ただし、城川原駅には車両基地が新設されていた。そして駅はすべて低いホームの電停スタイルになった。古いホームや駅舎は取り払われて面影もなく、唯一、東岩瀬のみ高いホームと駅舎が残っていた。それは記念物という扱いで、低床電車には使えない。線路の向かいにちゃんと新しいホームができている。1時間に1本のローカル線が、15分間隔の近郊路線になった。今はまだ代わり映えしない風景だ。でも今後はどうか。駅のそばに商店が増えたりするのだろう。
JR富山港線だった区間。駅はすべて改築された。
終点の岩瀬浜駅も駅舎が取り壊されていた。趣のある建物だったので残念。しかし、電車の大きな窓からホーム、そして駅前広場が見渡せるようになった。これはいい。接続するバスや迎えの車が見える。無人駅の駅舎なんて、死角を作るだけの邪魔な存在かもしれない。人がいてこその駅舎であって、合理化するなら徹底的にやったほうがいい。
4年前はここですぐ引き返した。しかし今回は富山港を散歩しようと思う。ライトレールのホームに観光案内があって、展望台や古い町並みがあると書いてあったからだ。4年前は何もなさそうだと思ったところに、実は見どころがあった。私はまず観光会館に立ち寄り、案内地図をもらった。途中の駐在所でお巡りさんに道を確かめると、展望台から大町通りという古い町並みを抜けると、ライトレールの東岩瀬に出ると教わった。これはいい回遊路である。
富山港展望台。
展望台は巨大な石灯籠のような建物で、無料でよかったと思って入ってみたら、エレベーターやエスカレーターなどがない。だから無料なんだな、と苦笑しつつ、階段を上った。今回の旅は足をよく使う。秋という涼しい気候が足を動かしているといえる。その足の疲労具合からして、ここは住居でいえば4階建てくらいだろう。展望室の高さは低い。しかし、周りに大きな建物がないため、これで十分に展望できる。古い町並みの屋根瓦が並ぶ様子を楽しむならちょうどいい。港側も船がよく見える。もっと晴れて空気が澄んでいたら、蜃気楼も見られただろうか。
北前船で賑わったという通り。
古い町並みは大町通りという。幕末から明治にかけて賑わったところのようで、北前船で財を成した回線問屋の建物が残っている。何もかも古い民家であるけれど、案内のおじさんの説明によれば、土間の床は小豆島産の一枚岩を切り出し、柱や梁は能登の黒松、板戸は屋久杉などなど、全国各地の良材を集めたという。子供のころに見せられても何も感じなかったと思うけれど、ちょっと社会経験を積んでみると興味深い。デジタルな道具がまったくない時代、人々は何を楽しみ、何を生きがいとしていたのか。成功した人生のご褒美はなんだったのか。
古い建物を見ると、人生の根底にある喜びや悲しみの原点がくっきりと浮かび上がる。こういう感情は、建物の質感や空気を通じて伝わってくるものであって、写真を見ても伝わってこない。写真では感じられないものを得る。そんな建物との出会いが、最新式の電車に導かれた。皮肉なものだが、それもまた、旅の魅力だと気づかされた。
東岩瀬駅は公民館として残されていた。
-…つづく
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