第340回:懐かしい響き -SL冬の湿原号-
4人掛けのボックスシートに母と二人。幸いにも相席の客がいなかった。車内の売店で駅弁や飲み物を調達してテーブルに並べた。座席を求めて歩いていた人々も減り、出発前のざわつきも落ち着いてきた。もうすぐ発車である。私は嬉しくなってきた。母も同様だろう。ふぉぉぉと汽笛が鳴って、軽い衝撃がきた。一瞬の静寂があって、また衝撃。こんどは力強く引っ張られる。客車特有の挙動である。「懐かしい音ねぇ」と母が言う。この上なくうれしそうである。蒸気機関車は全国で復活しており、汽笛の音なんてTVで何度も聞いている。しかし、ライブ音には独特の臨場感と迫力がある。
「懐かしいって、何年ぶりですか」
「60年位かな」
「母さん、まだ子供のころじゃないの」
「そうよ。小学校に上がる前」
にわかに想像できないけれど、そりゃあ母にだって少女時代はあっただろう。そういえば、母の子供のころの写真を見たことがない。祖父は新しい機械が好きだったから、きっと写真があるはずだ。まあ、頼んでまで見せてもらおうとは思わないけれど。
SL列車からの風景。
太平洋戦争が終わったとき、母はまだ子供だったと聞いたことがある。
「戦後はどの汽車も混んでいて、窓から乗る人もたくさんいたわ。トイレも行けないくらいで、子供は窓から用を足していたわねぇ」
などと言う。他人事のように言うけれど、彼女もそんな子供の一人だったに違いない。私には理解できない昔の話。蒸気機関車が当たり前で、珍しくなかった時代の話である。タイムマシンがあるなら、蒸気機関車が闊歩した時代を体験してみたいと思う。しかし、冷房も暖房も整っていない時代だと思うと、やっぱり今が一番いい。
列車が速度を上げると、微かに石炭の匂いが漂ってきた。この匂いも母の懐かしさの要素だろう。母の実家は銭湯である。石炭を燃やしたころもあったかもしれない。物資の少ない戦中戦後は、燃やせるものなら何でも燃やしたはずだ。10年前以上前に88歳でなくなった祖父が、二十歳そこそこで風呂屋を始めた。その銭湯は今も母の弟が守っている。あれ、そろそろ開業100年になるような気がする。祖父はひとつの場所に腰をすえて半世紀以上も商いを続けた。なかなかすごい人だと思う。
煙が懐かしい香りを運んでくる。
車窓は今までと変わらぬ雪の平野である。午後の強い日差しを受けて、まぶしいほどの白さだ。ときどき車窓が暗くなった。蒸気機関車の煙が降りて、照り返しを遮っている。青い空、照りつける太陽。真綿のような雪の原。もしかしたら、外は暖かいかもしれないと錯覚する。しかし、これでも気温は氷点下である。窓を開けようなんて思ってはいけない。そういえば、スハ44は旧型客車で乗降扉は手動だった。私が高校生のころ、まだ上野から常磐線方面の旧型客車の列車が残っていた。扉を開けたまま走る列車があったなんて、今では考えられないことである。この客車も自動扉に改造されているようだ。
私は車内の売店で買った駅弁を母に勧めた。『SL冬の湿原号特製弁当』である。中味は北海道の海の幸がふんだんに盛り込まれており、それゆえに私は食べられない。食べられないけれど中味は見たい。母に勧めておいて、食べようとしたところを制し、写真を撮った。「私だけ食べちゃって悪いわね。あなたはお腹が空かないの」と母が言う。私は標茶駅で買った菓子パンを見せた。母は安心したらしく、うれしそうに箸を動かす。
「私、ふだんは朝ご飯なんて食べないのよ。さっきおにぎりと鶏肉を食べちゃったから、お昼ご飯なんて食べきれないわ」
いやいや、見事に平らげた。
「食べられるかしら」と言いつつ食べてしまう。いつものことだから私は驚かない。
母のSL弁当。私が食べられないものが多い。
車内放送で車窓の解説が始まった。雑音にかき消されてよく聞き取れない。注意深く聞いていたら、列車が釧路湿原に入ったらしい。どちらを向いても雪景色だからさっぱりわからないけれど、茅沼駅を過ぎたあたりから、右の車窓が釧路湿原である。右は私たちが座っている側だ。反対に、左の車窓からは湖が見えるという。背を伸ばしてみたけれどよくわからなかった。車内放送は日本語が終わると中国語が始まる。JR北海道としても中国からの観光客を意識しているらしい。
そういえば、中国語通訳と言う名札を付けた係員が男女1名ずつ乗っていた。中国では、SLが現役だと聞いたことがあるし、大陸北西部の冬は北海道より過酷だろう。そんな中国の人々にとって北海道は珍しいだろうか。上海や香港あたりの南の地方の人にとっては珍しいかもしれない。それに、中国の北国は観光どころではないほど過酷かもしれない。山崎豊子の小説『大地の子』に出てきた労働収容所を思い出し、いろいろ想像してしまう。まさか、もうあのような時代ではないと思うけれど。
隣の車両のストーブでスルメを焼き始めた……。退散。
湿原の、列車が駅に止まるあたり小さな看板が立っている。「鶴が飛来するから、ホームから降りないで見守ってほしい」という内容と「鶴は煙と汽笛が嫌い」という、SLの運行に反対する趣旨とがある。観光と自然保護の兼ね合いは難しい。SLの運行が誰からも歓迎されているわけではない。それはそうだろうと思う。だからこそSLは淘汰され、ディーゼルカーや電車と交代してきた。それが近代化である。しかし、SLのせいで鶴が飛来しなくなるかというと、それはちょっと怪しい。鉄道にSLしか走っていなかったころから鶴は来ていたはずだ。さっきも、遠くに鶴が見えると放送があった。まあ、遠くであるけれど。
鶴の気持ちは解らないけれど、鹿はSLなど気にしていない様子だ。たびたび車窓に現れては、車内の人々の歓声を起こしている。つがいだったり、親子だったりするようだ。雪原に鹿が走る様子を見ると、いかにも北海道らしい風景だと思う。鹿は本当に怖いもの知らずで、人や人が作った物を恐れない。宮島や奈良の鹿は平然としている。だからこそ神の使いだという説になったかもしれない。もっとも、北海道では列車と鹿の事故のニュースは絶えない。乗客は喜んでいても、運転士は冷や汗をかいているかもしれない。
線路のそばまで鹿さんたちが来る。
白い大地の様子が少し変わり、雪の積もり具合が整ってきた。ここはもう畑だろう。少しずつ建物が増えて、列車は市街地に入った。釧路である。標茶を出て1時間20分ほど経った。短かったような、これ以上は飽きてしまうような、乗り物アトラクションとしてはちょうどいい時間だった。客車はカタカタとポイントを渡り、ゆっくりとホームに滑り込んだ。15時10分。晴天の午後だったせいか、あるいは網走とは気候が違うためか、釧路駅の寒さは緩い。
釧路に到着。この向きで走ってきた。
記念撮影には都合がいいかも?
まだ明るいから、釧路でも見物をしたかったけれど、私たちは1時間後の特急"スーパーおおぞら12号"で帯広に向かう。明日の朝一番の帯広発の特急に乗るためだ。帯広駅のわずかな時間、私たちはトイレと本屋、そして、鮭の稚魚が泳ぐ水槽を眺めた。釧路発札幌行きの特急は最新のディーゼルカーで、とても乗り心地がよい。母も私も、約1時間半の車中をくつろいで過ごした。
私には帯広で泊まる理由がもうひとつある。名物の豚丼を食べたい。今回の旅の日程を作ったとき、肉食の私が満足できそうな食事は帯広の豚丼しかなさそうだった。網走では海鮮居酒屋、駅弁も海の幸で、母にはうれしく私には苦手。今夜は母にも肉食になってもらおう。
本日の締めくくりは最新の特急車両。
帯広名物の豚丼。鰻丼の豚肉版という印象。
-…つづく
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