第332回:母と訪ねる3000キロ -東北新幹線はやて-
東京発17時44分発の『はやて29号』に乗った。バレンタインデーである。私の隣の席に女性が座っている。私を小さいころからよく知っている人で、独身である。いや、正しくは半年前に夫を亡くして独身になり、身軽になったので私の旅についてきた……などと曰わく有り気に書いても仕方ない。母である。もうすぐ70歳。今回の旅は保護者同伴である。もっとも、息子が中年になると、どちらが保護者か被保護者かわからない。ハッキリさせないほうが、いいかもしれない。
今回は夕方の新幹線で出発。
八戸行き「はやて」初乗り。盛岡 - 八戸が未乗区間。
私は窓際の席を母に譲り、目を閉じている。もう日が暮れて外は夜景。彼女は「鉄道の旅なんて何十年ぶりかしら」とつぶやき、うっとりとして窓を眺めている。自分の顔が映っていて、その向こうに街の灯がある。あんまりいい景色じゃないような気がするけれど、余計なことは言わないほうがいいだろう。
通路を隔てた3人掛けの席には幼い子を連れた夫婦がいた。ミッキーマウスの風船がふわりと頭を出し、こちらを向いている。子供の寝顔が満足げであった。そういえば、私たち家族の旅は25年前。航空会社勤務の父の勤続褒賞の旅だった。レンタカーで移動しつつ、フランスのTGV、ユングフラウの登山鉄道、ドイツ国鉄のルフトハンザエクスプレス、シャモニー登山鉄道を巡った。両親と私と弟がそろった旅はそれだけだった。
隣で家族連れが眠っていた。ミッキーの視線が気になる……。
「駅弁、いつ食べるの」「まだ早いよ。八戸着が21時ごろだから、19時ごろでいいんじゃないか」「ちょっとお腹すかない?」「いや、別に……」「お菓子あるわよ」「まだいいよ……って、お菓子なんか持ってきたの」
ほら、と母が布製の手提げ袋を開けて見せた。せんべい、かりんとう、小袋入りの乾き甘納豆……。遠足に行く子供のようだ。しかし、チョコレートやビスケット、スナック菓子などがひとつもない。齢相応の品揃えである。
「こんなに持ってきたの。楽しそうだねぇ」「そりゃあ楽しいわよ」
母はにっこりと微笑み、甘納豆の小さな袋を寄越した。
「ところであなた、時間を19時とか、20時とか言うのね」
「それは鉄道好きの習性のようなものですから……」
私が旅に出るとき、母はいつも留守番役であった。私の部屋に泊まり込み、犬の面倒を見てくれる。それが私には、母にも犬にも後ろめたい。だから本当は趣味を楽しむ旅であっても「仕事です」「出張です」と誤魔化してきた。最近は旅先で取材した記事も書いているし、この「のらり」も仕事のうちであるから、その言い訳は嘘ではない。しかし、母の世代は「仕事とは耐えて報酬を得るもの」という認識がある。だから当初は母も「大変ね」と言うだけだった。
しかし、母も旅好きである。年に一度は米国の知人宅で過ごし、別の友人たちとアラスカへオーロラを見に行ったという話も聞いた。だから私の行き先も気になるようで、それとなく聞いてくる。私は断片的に答えるけれど、母は私の鉄道好きを知っているから「仕事とはいいつつ、本当はとても楽しい旅行かもしれない」と感づいていたようである。ある日、「札幌にとんぼ返りだったよ」と言ったついでに、うっかり「トワイライトエクスプレスに乗ってきた」と明かしてしまった。あのとき、母の表情に変化があったようなないような……。今思うと、これで疑惑は確信に変わった。
母は幕の内弁当。私はハンバーグ弁当。
昨年の終わり頃だった。母が友人と北海道へ行ってきたという。富良野プリンスホテルに泊まり、ドラマ「北の国から」など倉本聡ゆかりの地を巡った。往復は飛行機、現地はガイド付きバスで移動。オフシーズンのためか2泊で総額3万円とお買い得で、ことのほか楽しかったらしい。私も倉本聡作品のファンであり、行ってみたいと思っていたところだ。だからこれは素直に羨ましく、いいな、俺も行きたかったな……と悔しがって見せた。
これで母は上機嫌になり「あなただってそろそろ出張に行く時期じゃないの。また犬と留守番してあげるわよ」と言った。
「そうだなあ、時期としては来年早々。俺も北海道にしようかな。こないだは札幌駅から出なかったし」
そしてまた余計なことを言ってしまった。
「2月なら流氷を見られるかも」それを母は聞き逃さなかった。
「私も行く」
「えっ」
「私も流氷を見たい。何年か前に行った時は時期が早すぎて見られなかった。行きたい行きたい」
母よ、あなたはいま、留守番するって言ってなかったっけ……と思いつつ、正面から言われてしまうと断れない。
「でも、やっぱりあなたの仕事の邪魔になるわよね」と言いつつ、しっかりこちらを見据えているわけで。
「いえ……そんなことないですよ。切符を取れたら行きましょう」と言うしかなかった。
流氷を見に行くなら、羽田から飛行機で女満別空港へ直行すればいい。しかし私の旅は鉄道が主である。第一の目的は未乗となっている釧網本線の踏破。この時期は「流氷ノロッコ号」と「SL冬の湿原号」が走るから、両方に乗ろう。帰路に石勝線の夕張支線と室蘭本線の東室蘭-室蘭間も立ち寄る。列車としては東北新幹線最速の『はやて』、東北新幹線新青森開通後に消える特急『つがる』と夜行急行『はまなす』に乗りたい。きっぷは道内特急自由席と片道の新幹線、北斗星B寝台に乗れる『ぐるり北海道フリーきっぷ』を使う。帰りに北斗星のB寝台個室をふたつ予約したけれど、これは後に寝台特急『カシオペア』に変更した。カシオペアは二人部屋しかないから、これは私にも好都合だ。
車中泊2回、ビジネスホテル2泊という2泊5日のプランを作った。全行程で3000キロに及ぶ鉄道の旅である。70歳の老婦には、体力的に辛い旅かもしれない。しかしそこが狙いでもある。母に「こんな旅はもうこりごり。もう一緒に行かない」と言ってもらいたい気持ちがある。最後にカシオペアを奮発した理由は、こんな"辛い旅"に付き合ったご褒美のつもりだ。そんな私の思惑も知らずに、母はこの一ヶ月間、上機嫌だった。「私ね、動きやすいように、荷物はリュックにするわ」「今から新しい靴を履いて、慣らしておかなくちゃ」と、会うたびに言っていた。
幕の内は定番のおかずが入っている。
ハンバーグはちょっと固い。駅弁は「冷めても美味い」が至上のはず。
ハンバーグは駅弁に向かないかも。
車窓は暗いけれど、地面はぼんやりと白くなっている。そんな景色を母は静かに眺めていた。私はなんどか居眠りをした。東北新幹線の盛岡までは何度も乗ったから、今は休憩時間である。今日は徹夜仕事から帰り、犬の散歩に出かけ、戻ってから犬をペットホテルに預けに行き、それから荷造りと、慌ただしい一日だった。それは母も知っているから何も言わない。夜の車窓は瞑想に耽るにはちょうどよいし、母親と娘ならともかく、息子では話題も少ない。
新幹線は仙台に到着した。ミッキー風船の親子が降りていく。それをきっかけに私たちは駅弁を開いた。母は幕の内。私は黒毛和牛のハンバーグ弁当。ハンバーグはやや堅かった。母は「駅弁なんて久しぶり」ときれいに平らげた。母はとても楽しそうである。しかし、この後は苦行になるはずだ。今夜の寝床は堅いカーペットである。そして私たちが鉄道の構内から出る時刻は明日の昼。網走に着くまで列車に乗りとおしであった。母よ、あなたは耐えられるか。
八戸駅到着。2月中旬なので空気が冷たい。
-…つづく
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