第339回:雪の峠越え -釧網本線 知床斜里~標茶-
10時15分。快速"しれとこ"が定刻どおり北浜駅に到着した。2両編成で後ろの車両は空いていた。垂直な背もたれのボックスシート。車窓は3度目の同じ海岸である。ただし、流氷の量は増えて、海面の白い部分が広くなっている。この列車は知床斜里で5分間停車した。後ろ1両を切り離すというので、あわてて前の車両に移った。ここから釧路までは峠越えになる。過疎区間だから1両でいい、という判断なのだろう。しかし今日は中国人観光客が多く、たちまち座席が埋まった。立ち客も多い。
3度目の海岸線。流氷が増えた。
座席は車端部がロングシートで、中央がボックスシート。母をロングシートに座らせて、私は立った。地元のお年寄りがすべて着席できたようで、ほっとした。もう1両、つないでくれてもいいのに、と思う。私は母を見下ろす位置でつり革につかまった。しかし、この位置関係はしっくりこない。母と会話するには遠いし、黙っていても寂しい。私は母に「撮影してくる」と言って、運転台の後ろへ向かった。どんなに混雑しても前方を眺めていれば楽しい。そこでなら何時間でも過ごせる。母も私に気を使うことなく、たっぷり居眠りできるだろう。
快速"しれとこ"は知床斜里で後ろ1両を切り離す。
知床斜里を発車したディーゼルカーは、くいっと90度右へ進路を変えた。そこからは定規で引いたような直線の線路である。しばらくは住居が見えていたけれど、景色はやがて広大な雪原となった。本当は畑であるはずで、所有権の境界を示すかのように細い木が並んでいる。線路がすこし右へカーブして中斜里駅。南斜里駅は通過し、走って左へカーブして清里町駅。平野部をおおむね南西方向へ走っている。もともと集落があったところを結んだか、あるいは駅ができて集落ができたか。停車した駅では2、3人の乗降客があった。乗る客は誰もが混雑に驚いている。普段は空いているらしい。
ココが私の定番の位置。
真っ白な景色を列車は進んでいる。札弦駅を出ると雪が降ってきた。小さな雪の粒がこちらに向かってきて、窓ガラスに当たって散っていく。風はなさそうだけれど、列車は走っているから雪が斜めに降っているように見え、吹雪のようである。線路は少し上りになったようだ。雪原地帯が終わり、山が見えてきた。前方の景色を見ようと若い女性がやってきて、カメラを構えた私をふさぐように立ってしまう。きっと中国の人だ。日本人なら少し会釈でもしただろう。不愉快だが気質の違いだ。あきらめるしかない。
この女性はカメラを構え、撮影に夢中になるあまり、どんどん前に出て、運転士の横の視界に入ってしまった。運転士はしばらくは耐えていたけれど、5分ほど立って、「見えないから下がって」と手を差し向けた。女性は不満そうな表情で後ろに戻った。その行き先を追っていくと、子供が待ちかねたように手を出し、女性に触れようとしていた。母親だったとは意外だ。ちょっとした動作に違和感がある。日本人の母親なら、混雑した車内で子供から離れないだろう。運転台にいくなら子供を連れていくと思う。
吹雪の峠道へ。
緑駅を過ぎると、線路は本格的な上り勾配になった。降雪はますます激しく、カーブも急になり、いかにも峠超えという趣である。そんな天候でも列車は平然と走り続ける。これが鉄道の頼もしさだ。真っ白な風景をしばらく走り、トンネルに入って暗い車窓に変わり、そして、再びまぶしいほどの白い世界になった。平坦な道を走って川湯温泉駅に到着。10人ほどが降りて、20人ほど乗ってくる。おばちゃんたちのグループ旅行のようだ。誰もが大きなかばんやトランクを持ち込んでいる。しかしそれを携えていると車内に入れない。「ここに置いていいかね」と誰にともなく声をかけた。私が「いいんじゃないかな」と言うと、安心したようにデッキにかばんを置いていく。それでも場所が足りなくなったので、運転士が、「ここを使って」と運転室横の空間にかばんを並べ始めた。ここにかばんを置けば乗客の立ち入りを防げる。運転士にとっても好都合である。
川湯温泉駅。木彫りの熊も寒そう。
線路は再び山岳路に入った。地図上では摩周湖と屈斜路湖の間である。どちらも線路から離れているから、車窓からは見えない。景色は雪山と針葉樹ばかり続いている。かなり寒い場所だと思うけれど、満員の列車は暑苦しいほどであった。
釧網本線の歴史によれば、これらの山のどれかが硫黄鉱石の産出現場だったらしい。しかし、歴史の痕跡もすべては雪に隠されている。夏にもう一度乗り、雪に隠された景色を見たい。逆に、何もかも露わな夏に乗ると、それらが雪に隠された冬に乗りたくなる。
12時19分着の標茶駅で降りた。ここから先は"SL冬の湿原号"で釧路に向かう。SLの発車は13時52分で、約1時間半も先である。北浜駅の3倍の待ち時間であるけれど、今度は退屈しない。SLを目当てにした観光客がたくさんいて、その観光客相手の土産売りもいる。5分後には下りのSL列車が到着し、構内で機関車を前後に付け替える作業を行った。私もカメラを持って駅構内を歩き回った。釧路発標茶行きは機関車が前向きだ。
標茶駅に到着したSL列車。
標茶駅には転車台がないので、帰りの釧路行きは機関車が後ろ向きになって引っ張っていく。乗っている分には見えないから、機関車はどちら向きでもいい。しかし、写真を撮るなら前向きの機関車を撮りたい。人の歩かないところで積雪にはまり、濡れて凍えた足で跨線橋を上って降りて機関車を撮った。
乗客を降ろしたSL列車はいったん構内の端に引き上げるという。駅舎に戻り、窓口氏に聞くと、きっぷを持った撮影希望者のみ、先に改札をしてくれるという。待合室で待っていた母と合流し、それまでどうするかと聞いてみた。昼食時間帯であるけれど、母はここで待つという。外で食事をしてもいい時間だ。でも、なるべく鉄道のそばにいたいと思っているだろうか。駅の雰囲気が好きだという、そんな"子譲り"な心境になったようだ。
機関車の入れ替えを見物する。
「撮影される方、どうぞ」の声がかかり、私は再びホームに立った。SL列車の機関車はC11形で、客車は14系のレトロ風改造車である。14系は特急列車用に作られた座席車で、車体はブルートレインと同じ青、特急電車なみのリクライニングシートを備えていた。晩年は上野-青森間の夜行急行の座席車や、札幌と道内各地を結ぶ夜行特急にも連結されていた。SL列車用に改造された14系座席車は、車体が昔風の茶色となり、座席はボックスシートになった。新しい部品を使いつつ、急行なみの設備に格下げされている。
スハシ44の車内。本物のレトロ客車をレトロ風に改造?
よく見ると、中間にもっと本格的な改造客車があった。14系は丸みのある車体だけれど、これは平板な車体で、窓枠もいっそう古めかしい。列車が乗車用ホームに転線したときに車体番号を確認すると"スハシ44"と書いてある。14系ではなく44系だった。スハ44系といえば、まさにSLが走っていた時代の客車である。銀河鉄道スリーナインの客車のモデルだと思っている。この車両だけはレトロ"風"改造ではなく、本物のレトロ品であった。"シ"という記号は食堂車を意味する。しかし、窓からのぞくと普通の座席で、車端部分に売店があった。たぶんあそこに簡易キッチンがあるのだろう。内装は若干のリフォームが行われたらしい。各ボックスにテーブルも備えられている。
売店で駅弁などを調達。
ありがたいことに、私たちの座席指定券はスハシ44形に割り当てられていた。今回の旅は良い座席に当たっている。流氷特急では展望車の1号車だったし、ノロッコ号は海向きの二人掛けだった。SL列車は本物のレトロ客車である。これらの指定券を作ってくれた駅員は若い女性で、列車の座席表を調べつつ、丁寧に座席を確保していた。せっかちな私は、「なんでそんなに時間がかかるのか」と思ってしまったけれど、なるほど、彼女は思い出に残る旅になるように苦心してくれたらしい。すばらしい仕事ではないか。
釧路へはこの向きで出発する。
-…つづく
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