第316回:幹線と閑散線の境界 -江差線1-
更新日2010/01/28
札幌には時計台、大通公園、藻岩山など、旅行者にとって見るべきものがたくさんある。しかし鉄道好きには、北海道の車両も観光の対象だ。私たちはトワイライトエクスプレスの機関車を観察し、回送列車となって去っていく様子を見届けた。これは長距離列車に乗ったときの儀式のようなものだ。入れ替わりに特急「スーパーカムイ」が到着する。789系という電車だ。形は近年のJR北海道の特急タイプに似ているけれど、銀色とグレーの配色でまとめられ、精悍な顔つきをしている。
トワイライトエクスプレスを見送る。
スーパーカムイが到着。
いつまでたっても飽きないところだが、私たちは今夜の青森発で大阪に戻らなくてはいけない。改札を出ることなく構内で駅弁を調達して、函館行きのスーパー北斗10号に乗り込んだ。さっき朝食を食べたばかりであるけれど、スーパー北斗10号は札幌発10時37分、函館着13時50分で昼食時間にかかる。雄大な北海道では、3時間以上走る特急列車など当たり前だ。そんな大陸感覚も北海道の汽車旅の魅力である。
私たちは振り子特急スーパー北斗へ。
私たちは周遊切符を持っているので特急自由席は追加料金なし。その自由席はほぼ満席だった。5連休だからだろうか。列車が動き出し、さっきトワイライトエクスプレスで見た景色を、逆戻しで見ている。M氏はカメラを持って先頭車両へ。この列車はディーゼルカーの「キハ281系」を使っている。先頭車の運転席が高い位置にあり、前面中央部分はその貫通路の窓から前方の眺望が楽しめる。M氏はそれを撮影するつもりだった。しかし先客が陣取っていたといい、すぐに戻ってきた。
またもや東室蘭駅を通った。今回の旅で、なんとか室蘭まで往復したかった。しかし日程が詰まりすぎた。江差線と室蘭線完乗の二者択一となってしまい、先行きの怪しい江差線を選んだ。こんなところにぽつんと未乗路線を残したくない。でも、北海道を訪れる限り、このルートは何度も通るだろう。室蘭も大きな街だから、東室蘭-室蘭も安泰のはず。だが江差線の木古内-江差間は怪しい。北海道新幹線の開業と共に消えるかもしれない。そんな理由で行程を決めるというのも悲しい。
昼食は駅弁"知床とりめし"
不思議なもので、2時間も列車に揺られると腹が空く。駅弁は"知床とりめし"だ。知床は網走の先である。同じ北海道とはいえ、ずいぶん遠くから名物を取り寄せたものだと思う。理屈はともかく、弁当は美味い。中身はごく普通の鶏めしで、薄味の炊き込みご飯が具の鶏肉の風味を引き立てている。大根の桜漬け、五稜郭型のニンジン、さやいんげんの緑など、彩りも考えられている。料理人の心遣いを感じる品だった。
函館では4分の接続で青森行きの特急、スーパー白鳥26号に乗り換える。同じホームの反対側に停まっていたので、乗り換えはラクかと思ったら、自由席の位置が前後逆だった。あわててホームを5両分走り、乗った車両が大混雑。デッキにも人が立っている状態だ。5連休の最中ということもあるのか、青函トンネルを往来する人は予想以上に多かった。青函航路は末期でも定員約1,200名の船が7~10往復していた。今は定員約350名の電車が10本。数字で見る限りは窮屈になったようだ。
スーパー白鳥で木古内へ。
約30分の乗車で木古内に到着。私たちは混んだ列車を降りた。ここから江差行に乗り換える。次の発車は30分後である。私たちと一緒に数十人が降りたようだが、ほとんど改札口に行ってしまった。停車中のディーゼルカーは1両で、私たち以外の乗客は10人ほどだ。ボックスシートに荷物を置いてホームを散策する。長いコンテナ貨物列車が停車中で、M氏はかなり遠くまで見物に出かけた。江差線は単線で、青函トンネルは複線だ。継ぎ目の木古内駅が列車往来の待機所になっているらしい。
江差線は五稜郭から木古内を経由して、松前半島の日本海側の江差にいたる路線だ。しかし五稜郭から木古内までは津軽海峡線の一部となっていて、実質的に江差線と言うと木古内から江差までの支線という印象がある。五稜郭から木古内までは電化され、本州連絡の特急や貨物列車が頻繁に走るけれど、江差方面は閑散区間で、北海道新幹線が開業すれば廃止されるのではないか、という報道も散見される。実際、木古内から分岐していた松前線は赤字を理由にとっくに廃止されてしまった。
江差行きに乗り換える。
江差線が残った理由は五稜郭から木古内までの輸送量があったからで、国鉄時代の赤字ローカル線整理は路線単位で行われた。区間単位だったらこちらも廃止されたかもしれない。当時、江差線には並行する道路がなかったため残ったというけれど、現在は併走する道路が開通している。いつでも代行バスが走れるし、函館と江差を直行ルートで結ぶ民間のバス路線もある。時間もさほど変わらない。危機的な路線である。
木古内を出たディーゼルカーは海峡線と分かれた。晴天だが雨が落ちる。妙な天気である。海と山が接した地域だからかもしれない。吉堀駅を出ると、エンジン音をさらに上げた。半島の背骨のような渡島山地を越えるためだ。車窓を見る限りは穏やかな山越えだ。山岳路線というよりも公園を周回しているような森の中である。特徴はないけれど、のんびりとした晩夏の彩色。さて、春や冬はどんな景色になるのだろう。
吉堀駅の待合室は貨物用車掌車。
景色はよいけれど人家は見かけない。こんな場所に線路を敷いた理由は、ひとえに当時の江差がニシン漁や北前船の基地として栄えていたからだ。乾物の身欠きニシンは保存食として重宝されたらしい。しかしそのニシンも漁獲量が減り、ニシン御殿も廃墟となり……とは、北海道を語る上でよく知られた話だ。往時は"大都会"の江差へ、函館から急行列車が設定されていたという。それも今の風景からはピンと来ない。かつてニシンがどれだけ食卓に上がったか、ニシン漁激減後に生まれ、魚嫌いの私には想像できない。おばあちゃんが作る昆布巻きは確かに旨かった。そば屋のメニューにあるニシン蕎麦は食べたことがない。
大自然が作った庭園のよう。
-…つづく
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