第319回:夜明けのミニ・ロビー -寝台特急日本海 2-
更新日2010/02/18
トイレに行きたくなって目覚めた。土踏まずを刺激する細い梯子を下りて便所に行き、用を足している間に列車が停まった。駅名標に魚津と書いてあった。時刻表には05時08分発車と記されている。昨夜は21時には寝入ったようだから、たっぷり8時間も眠った。喫煙コーナーに誰もいなかったので、私は寝台に戻らずそこで景色を眺めていた。外は暗いけれど、近くの建物の輪郭がかろうじて判る。もうすぐ夜明けだろう。
喫煙コーナーに佇む。
夜の町の、眠っている景色が好きだ。建物と街灯と、ときどき動いているクルマのライト。人影のない景色は模型を見ているようである。レールの響きと、時折届く汽笛。それ以外の音はない。静寂の景色を日本海が通過する。列車にも町にも日常の風景。今日はそこに私が紛れ込み、日常ではない景色を眺めていた。その違和感も旅情だと思う。
遠くのほうに不思議な光を見つけた。たぶん山の中腹くらいのところ。4つ、5つの白い点のような光が、左右に不思議な動きをしている。峠を越えてきたトラックのヘッドライトだろうか。それにしては光が弱い。そうかといって、街灯のような控えめな灯りではない。遠方の空は暗く稜線が見えない。あそこが空か山かも判らない。UFOかもしれない、なんとも不思議なものを見つけて、ちょっと嬉しくなった
そのまま景色を見入っていると、ガラガラと商店のシャッターが開く音がした。通路を挟んだところ、車掌室の隣にシャッター付きの壁があって、それを車掌さんが開けたのである。私が振り向いたので、「失礼しました」と言った。何かを取り出している。聞いてみると、今日は満席のため、トイレットペーパーが無くなると予想したので、すべてのトイレに補充するという。今日は満席、という言葉が気になるので聞いてみた。
「混雑時期は満席になりますな。ふだんもそれなりに乗っていますよ。日本海が2往復から1往復になってから、この列車としては増えました」。
トイレットペーパーを取りに来た車掌さん。
日本海は2008年の3月まで2往復で、それ以前は1往復が函館まで足を延ばしていた次期もあった。この列車は日本海4号のダイヤを継承している。利用者が少ないから減便されたとは言え、根強い需要があるのだ。大阪-東北間だけではなく、北陸-東北間の利用者も多い。それはこの後、北陸地域の停車駅で降りていく人の多さで知ることになった。外が明るくなった頃、私と同年輩の女性が来て向かい側に座り、煙草を1本吸った。彼女は高岡で降りた。列車が走り始めたとき、ホームには10人くらいのお年寄りが歩いていた。こうして北陸地域で降りる人が多ければ、その空いた席でくつろげると期待する。
窓がパチパチと音を立てている。雨が降っているらしい。ふと、太田裕美の『九月の雨』を思い出し、口ずさんでみる。いい歌だけれど、サビの部分しか思い出せなかった。雨の区間はすぐに終わり、風景は朝霧に包まれた。線路脇にカメラを構えた人がいる。男性と女性の二人で、夫婦かカップルだろうと思った。しかし傍らには赤い車と黒い車が停まっている。撮影の名所で、二人は他人同士。それなら女性は”鉄子さん”だろうか。あそこで出会った二人が、今後どうなるか知りたい。まあ、たいていは何もないだろう。
金沢駅の手前で中年の夫婦が現れた。荷物を足元に置いて、デッキの前で立っている。私はひとりで座っていたので席を勧めた。列車が金沢駅に停車すると、窓から北陸新幹線の路盤が見えた。私が「もうだいぶ出来てきましたね」と話しかけると、奥さんのほうが、「この辺りはもうとっくに出来ていて、それからぜんぜん進んでいないんですよ」と教えてくれた。たしかに、コンクリートの路盤が出来た部分はこの辺りだけで、列車が走り出すとすぐに途切れ途切れになった。道路と交差する部分はあとから橋をかけるらしい。建設予定の場所に建物が残っているところもある。確かに、開業はずっと先のようだ。
金沢駅到着。手前が北陸新幹線の路盤。
金沢駅から車内販売の売り子さんが乗ってきた。ガシャガシャと音を立ててワゴンに商品を詰めている。私たちがいなければここが作業場になったのかもしれない。ちょっと申し訳ない気分になる。その作業を眺めていると車内放送が始まった。時刻は06時60分。売り子さんは準備万端整えて隣の車両に向かった。A寝台から出てきて客が、売り子を追いかけて、やがて袋を提げて帰ってきた。車内販売は07時から始めるという話しだけれど、準備ができしだい、営業を始めるようだった。朝食の弁当が欲しいなら急いだほうがいいと思った。もっとも、私のほうは備蓄があるので安心である。
相席となった夫婦は加賀温泉駅で降りていった。自宅の最寄り駅なのか、ここが目的地なのか、どちらだろう。疲れた様子からすると帰路ではないかと思う。入れ替わりにM氏がやってきた。私は「お客が降りたB寝台に移ろう」と提案した。福井を過ぎてから様子を見に行くと、となりのB寝台車にさっそく空きを見つけた。私たちは荷物をこちらに移動する。A寝台を畳まなくても、B寝台でくつろげる。だから座席転換をしないのか。
先頭の客車から機関車が見えた。
われらが日本海は特急とは言えのんびりとした寝台列車だ。したがって途中で昼間の座席特急に追い越される。この列車の場合は敦賀駅で追い越される。しかも、なぜかこの列車は機関車を交換する。こういう場面は鉄道ファンとしては見逃せない。M氏はもちろんカメラを構えて飛び出していく。私も追いかけた。深夜に起きて見に行くほどではないけれど、この時間は朝の散歩にちょうどいい。なにしろ停車時間は19分もある。
先頭車両付近にはカメラを持った人が10人ほどいた。私もそこに混ざった。青森からここまで働いてきたEF81形が外されて、遠くのほうに走り去った。しばらく待っていると、また同じEF81形の同じ色の機関車がやってきて接続された。同じ性能の機関車に交換する理由が判らない。後に調べると、これらの機関車はここ敦賀を拠点としていて、機関車たちはここで区切りをつけて点検整備をしているとのことだった。それは理解できるけれど、なんだってあんな遠くまで行って戻ってくるのだろう。もっと手近なところに交代用の機関車を置いておけば、もうちょっと短い時間で済むだろう。この交換の間に、後続の特急”しらさぎ”と”サンダーバード”に追い越された。特急が特急を追い越すという場面も貴重なので写真を撮っておく。いずれ仕事の連載コラムで使えるはずだ。
外された機関車。
同じ色の機関車がやってくる。
敦賀から山岳路線に入る。北陸本線の上り列車はループ線を経由するので、M氏と私は窓に注目する。しかし私は地理がよく判っていないので状況が判らない。車窓左手を注目すれば、トンネルをひとつ出ると眼下に小浜線が見えるかも知れず、次のトンネルを過ぎると元の場所に戻って線路が見えるはずだった。実際には、あっ、あれか、と思うまもなく終わってしまった。納得がいかない。敦賀駅から分岐する小浜線が未乗だから、それに乗るときにもう一度じっくり見てみたい。もっとも、ループ線は交差する部分で外から眺めたほうが楽しいと思う。それはM氏も同意見で、機会があれば張り込みたいらしい。
湖西線に入り、遠くに琵琶湖が現れた。どの辺りだったか、トワイライトエクスプレスから「鉄引き取ります」という看板が見えた。くず鉄のリサイクル工場である。しかし、「鉄」の字が大きくて、それが「鉄道マニアを処分しませんか」という意味に見えて面白かった。それをM氏に教えようとした瞬間に、その看板のそばを通過してしまう。残念である。
行きのトワイライトでは、琵琶湖を背にしてランチタイムだったなと思いつつ、青森駅で買ったおにぎりとサンドイッチで朝食とする。列車は近江舞子駅に停車した。時刻表には表記されていないけれど、ここで後続の特急”雷鳥”に道を譲る。停車駅扱いにしてくれたら、外に出てホームから琵琶湖が望めるかもしれない。もっとも、そんなことをして発車が遅れたら困るだろう。いままではのんびり走ってきたけれど、これからは近畿圏の大混雑区間に突入するのだ。古い客車だ、古い機関車だと甘えている場合ではない。
大阪駅到着。
京都からラストスパートをかけて、定刻どおり10時27分に大阪着。列車を見送る儀式を済ませた。新大阪からは11時53分発の”のぞみ158号”で東京に戻る。約1時間半の乗り換え時間はゆとりを持ったわけではなく、お土産を買うためでもない。この列車が500系電車で運行される貴重な”のぞみ”だからである。500系を使用する定期列車の”のぞみ”は2往復まで減ってしまった。11月には1往復になり、来年3月で消滅する。私たちにとって、これが最後の”500系のぞみ”乗車になった。
500系のぞみで東京へ。
2009年09月21-23日の新規乗車線区
JR:355.3Km
私鉄: 0.0Km
累計乗車線区(達成率)
JR(JNR):18,055.9Km (80.35%)
私鉄: 5,362.1Km (77.57%)
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